クリーンなカーボン・クレジット市場をいかにつくるか

執筆者:大嶋秀雄 2022年12月7日
タグ: 脱炭素
エリア: アジア
カーボン・クレジットの課題とは(C)Tanes/stock.adobe.com
脱炭素の取り組みに欠かせないカーボン・クレジット取引だが、客観的な評価基準がないこと、ルールが未整備であることに起因する取引の不透明性が課題となっている。クリーンなカーボン・クレジット市場の実現に向けて、どのような取り組みが行われているのか。注目は、三井住友銀行など各国の大手金融機関8社が参加する、ブロックチェーン技術を使ったカーボン・クレジット取引プラットフォーム「 Carbonplace 」だ。

 

世界的に急増するボランタリー・クレジット

 世界的に脱炭素の取り組みが広がるなか、温室効果ガス(GHG)の排出削減量や吸収・除去量を取引可能にしたカーボン・クレジットへの注目が高まっている。カーボン・クレジットは、再生可能エネルギー(再エネ)の導入や森林保護といった取り組みによるGHG排出削減量等に応じて発行、販売され、カーボン・クレジットを購入した企業は、自らのGHG排出量と相殺(オフセット)することができる。カーボン・クレジットには、国連などの国際機関や各国政府・自治体が管理する公的なクレジット制度(コンプライアンス・クレジット)のほかに、民間の認証機関等が管理するクレジット(ボランタリー・クレジット)があり、とくに足元では、民間主導のボランタリー・クレジットの新規発行が世界的に急増している(図表1)。

 

 カーボン・クレジットは、GHG排出量に経済的な価格を付与する炭素価格(カーボン・プライシング)の一種であるが、法的な拘束力のある炭素税などとは異なり、企業の自主的な活用のための仕組みであり、導入ハードルが相対的に低い。また、制度の自由度も高く、様々な形で活用されている。

 たとえば、クレジット発行側では、個人の住宅における太陽光発電を企業が取りまとめてクレジットを発行し、得られたクレジット販売益を個人に還元するといった、個人が参画する取り組みもみられる。一方、クレジット購入側では、企業としてのGHG排出削減だけでなく、商品やイベント単位の脱炭素化にも活用されている。東京ガスなどは、液化天然ガス(LNG)の採掘から液化、輸送、販売、消費に至るサプライチェーン全体のGHG排出量をオフセットした「カーボンニュートラルLNG」を提供しているほか、日本航空などは、乗客が追加費用を支払うことで、航空機利用に伴うCO2排出量をオフセットできるプログラムを実施している。また、2021年の東京オリンピックでは、東京都と埼玉県がオリンピック開催に伴うCO2排出量をオフセットできるカーボン・クレジットを組織委員会に寄付した例もある。加えて、米国では、既に脱炭素を達成しているGoogle社が、過去の排出(カーボン・レガシー)をオフセットしている。

 カーボン・クレジットを活用すると、脱炭素を進める企業では、クレジットを販売することによってさらなる脱炭素に向けた取り組みのための資金を確保できる一方、技術的に排出削減が難しい企業では、クレジットを購入することで、無理な排出削減による重い負担を回避しつつ、オフセットにより脱炭素への貢献を示すことが可能となる。結果的に、カーボン・クレジットが広く普及することによって、社会全体として脱炭素の効率的な推進につながる効果が期待される。

 また、カーボン・クレジットの活用により期待されるもう一つの効果は、消費者の脱炭素意識の醸成である。具体的には、カーボンニュートラルLNGのように、オフセットによって実質的に脱炭素化した商品・サービスが広がれば、消費者が消費行動を通じて脱炭素に貢献できるようになるとともに、日常的に脱炭素を意識する機会が増える。また、住宅への太陽光発電導入に係るポイント還元事例のように、家計が脱炭素に向けたプロジェクトに参画して、クレジット販売収益の還元を受けられれば、脱炭素への強いインセンティブになるだろう。急激な変化や痛みを伴いがちな脱炭素を進めるうえでは、国民の理解・協力が不可欠であり、家計における意識の醸成は重要である。

カーボン・クレジットの課題

 しかし、カーボン・クレジットは、こうした様々な効果が期待されるものの、現時点では多くの課題も抱えている。

 主な課題を挙げると、第1に、不透明な取引実態がある。現状、カーボン・クレジットは相対取引が中心であるため、取引相手を確保しにくく、売買高や価格といった取引に関する情報も限られ、クレジットの発行から売買、保有、オフセットまでのトレーサビリティも十分確保できていない。

 第2に、不明瞭な価格決定プロセスである。カーボン・クレジットには、現状では客観的に価値を評価する基準がなく、認証基準や裏付けとなるプロジェクトの種類といった様々な違い(品質)があるため、排出削減量だけではその価値を評価できない。

 第3に、ルールの未整備である。現時点では、オフセットの活用可能範囲や情報開示、商品・サービスにおける表記などに関するルールがない。オフセットの過度な活用や不十分な情報開示は、消費者や投資家から批判を受ける恐れがあるため、企業にとってカーボン・クレジットは使い勝手が良いものとはいいがたい。

 そのほか、カーボン・クレジットの信頼性も十分とは言えず、排出削減効果に疑念のあるクレジットの存在も指摘されている。各企業において、個々のクレジットの信頼性を検証することは容易ではなく、企業による活用の妨げになっている可能性がある。

課題解決に向けた政府の取り組み

 こうした課題の解決に向けて、国内外で様々な取り組みが始まっている。

「取引の透明性向上」に向けては、世界各国でカーボン・クレジット取引所を設置する動きがみられ、米国やシンガポールなどでは既に取引が行われているほか、英国や豪州などでも取引所の設置が検討されている。わが国でも、経済産業省の実証事業として、2022年9月から東京証券取引所においてカーボン・クレジット市場の試行が行われている。取引所における市場取引が拡大すれば、取引相手を確保しやすくなるとともに、売買高や売買価格、取引履歴といった取引情報が把握可能となり、取引の透明性向上につながる。

 また、「価格決定プロセスの明確化」や「活用ルールの整備」、「クレジットの信頼性」に関しては、国際イニシアティブを中心に、カーボン・クレジットの品質評価基準やオフセット活用のガイドライン等の検討が進められている。たとえば、2022年6月には、英国政府の支援で2021年に設立された国際イニシアティブVCMI(Voluntary Carbon Markets Integrity Initiative)が、企業のカーボン・クレジット活用に関するガイドラインの草案を公表し、オフセットを活用する前提として、企業は自社の排出削減に真剣に取り組むこと、科学的なデータに基づいた排出削減計画を示すことなどを求めている。さらに2022年7月には、ボランタリー・クレジットの質を確保するためのガバナンス機関として2021年に設立された国際イニシアティブICVCM(The Integrity Council for the Voluntary Carbon Market)が、カーボン・クレジットの品質評価に関する原則案を公表し、クレジット量の正確な算出、プロジェクトの詳細な情報開示、同じ排出削減に基づく複数の発行や複数の使用といった二重計上の防止措置などのカーボン・クレジットの発行にあたっての原則を示している。

 今後は、こうした国際的な取り組みを踏まえて、各国におけるガイドライン等の策定を急ぐ必要がある。

ブロックチェーン技術を活用したプラットフォーム

 こうしたなか、民間企業においても、企業が安心してカーボン・クレジットを活用できるように環境を整備する取り組みがみられるが、とりわけ注目されるのは、各国の大手金融機関が共同で2022年内の本格稼働を目指す、カーボン・クレジット取引プラットフォーム「Carbonplace(カーボン・プレイス)」である。Carbonplaceは、ブロックチェーン技術を活用することで、様々な認証基準が併存するボランタリー・クレジットの取引の透明性やアクセシビリティの向上、二重計上リスクの軽減などを図るものであり、英国のナットウエストやスタンダード・チャータード、フランスのBNPパリバ、スイスのUBS、カナダのCIBC、わが国の三井住友銀行といった各国の大手金融機関8社が参画している。このプラットフォームでは、VCS( Verified Carbon Standard )やGold Standardといった国際的に認められた認証基準のボランタリー・クレジットが取引される予定であり、取引のトレーサビリティを確保するとともに、所有者のためのデジタル・ウォレットの提供も予定している。

 カーボン・クレジット取引所との提携も進めており、2022年3月には、シンガポールのカーボン・クレジット取引所CIX(Climate Impact X)の新しい取引プラットフォーム「Project Marketplace」に、Carbonplaceの決済機能やウォレット機能を組み込むための実証事業を行うと発表している。詳細は公表されていないものの、CIXの取引機能の高度化によるCIXの顧客の利便性向上に加えて、Carbonplaceの顧客のCIXへのアクセスも可能となれば、取引の活性化も期待できる。

 その他の民間企業による特徴的な取り組みとして、英国のIHS Markit社が、2021年10月に立ち上げた情報プラットフォーム「Carbon Meta-Registry」が挙げられる。こちらは、取引の透明性向上や二重計上リスクの軽減などを目的に、カーボン・クレジットの取引情報等を一括管理するものであり、コンプライアンス・クレジットとボランタリー・クレジットの両方を含む8つの認証基準に基づくクレジットを対象に、126カ国の6600以上のプロジェクトが登録されている。今後は、他の取引所・プラットフォームとの接続やカーボン・クレジット取引の決済機能の追加などが検討されている。

クリーンなカーボン・クレジット市場の構築に向けて

 カーボン・クレジットには、脱炭素の円滑な推進に向けて他の手段では得がたい効果が期待できるものの、様々な課題も抱えている。今後は、官民が連携して、カーボン・クレジットに関するルール・品質評価基準などの策定や取引プラットフォームの構築・連携を早急に進め、企業が安心して活用できる環境を整備することによって、企業による適切な活用を促し、カーボン・クレジット市場の拡大につなげていくことが期待される。

 

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執筆者プロフィール
大嶋秀雄(おおしまひでお) 日本総合研究所 調査部 金融リサーチセンター 主任研究員。京都大学理学部卒、三井住友銀行入行。日本総合研究所調査部、日興リサーチセンター理事長室、三井住友銀行リスク統括部を経て、現職。専門は、金融機関の経営環境、金融システム。注力テーマは、企業や金融機関の気候変動対応。
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