「戦場取材」に意味はあるか――日本人大学院生がウクライナで見た「初めての戦争」

執筆者:菅原春二 2025年4月19日
タグ: ウクライナ
エリア: ヨーロッパ
東部戦線で取材したウクライナ軍の戦車兵。この直後にドローンの攻撃を受けた(以下、写真はすべて筆者撮影)
非営利団体「ジャーナリスト保護委員会」によると、世界では2024年だけで124人ものジャーナリストが殉職した。ウクライナでは2022年2月以降、今日までに21人のジャーナリストが死亡しているという。日本では「無謀」「迷惑」「自己責任」などとネガティブに語られる傾向も根強い戦場取材に、一人の日本人大学院生が挑戦した。

 私は新聞社やテレビ局に勤める職業ジャーナリストでも、軍事専門家でもない。日本で生まれ育った20代後半の日本人大学院生だ。ただ、気になったことがあれば自分の目で確かめに行くことが、幼い頃から自然に身についた習慣だった。他人の言葉やメディアの報道を鵜呑みにせず、一次情報を自分で取りに行き、事実を見極めたいという思いが常にある。

 ウクライナへの渡航も、まったく同じ動機からだった。日本のメディアやSNSで語られていることは、どこまでが真実なのか。そして、もし“報道されていない現実”があるとすれば、それはどんなものなのか。

 戦場取材に興味をもったのは、高校生の頃。2015年、過激派組織ISISによって、シリアで日本人ジャーナリストらが殺害されるという衝撃的な事件がきっかけだ。危険な戦地に向かった彼らの行動に対し、日本国内では「自己責任論」や「首相の責任論」など、責任の所在ばかりが議論された。しかし私は、なぜ彼らが命を懸けてまで現地に向かったのか、その「動機」に強い関心を抱いた。誰もが避けるような危険地帯に足を踏み入れ、現地で見たこと・聞いたことを日本に伝えようとするその姿勢に、報道の本質と社会的な意義を感じた。そして、自分もいつか、そんな報道に関わる人間になりたいと憧れた。

 そして、ロシアの本格侵攻開始から3年を迎える前、ようやく現地へ行く機会が訪れた。なお、筆者側の諸事情により、本稿は編集部の了解を得て「菅原春二」という仮名で寄稿させていただく。

恋人を失った女性が取材を受けてくれた理由

 2024年秋。私は、ポーランド東部の街ルブリンのバス停に立っていた。そこから夜行バスで7時間かけて、ウクライナ西部の都市リヴィウへ向かう。チケットとパスポートを見せてバスに乗り込む。車内はざわめきに満ちていた。乗客のほとんどはポーランドからウクライナへ戻る女性だ。国民総動員令により、18歳から60歳のウクライナ人男性は、一部の特例を除き国外に出ることが禁止されている。女性しかいないバスの車内は、すでに戦争の現実を静かに物語っていた。

 夜中の2時。予定より少し早く、バスは国境に到着した。深夜ということもあり、車列は短い。15分ほどでゲートが開き、私たちのバスの順番が来た。乗客全員がいったんバスを降り、ウクライナ側の入国審査が行われる建物へと向かう。審査を担当するのは、戦闘服を着たウクライナの兵士たちだった。

カテゴリ: 社会 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
菅原春二(すがわらしゅんじ) 東京都出身。2024年秋、戦火の続くウクライナ東部を現地取材。6歳から剣道を始め、現在は四段。全国高等学校定時制通信制体育大会の剣道大会では団体戦で準優勝を果たす。1年のアメリカ留学での剣道経験がきっかけとなり、剣道を通じた国際交流にも力を注ぐ。ポーランドで開催されたジャパンフェスでは、剣道のワークショップを現地で実施した。
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