ウクライナ讃歌
ウクライナ讃歌 (19)

第4部 ヴィクトリヤの軌跡(3) 最後の旅

執筆者:国末憲人 2025年9月25日
エリア: ヨーロッパ
独立広場(マイダン)で開かれた追悼集会が終わり、膝をついてヴィクトリヤの柩を見送る人々[2025年8月8日、ウクライナ・キーウ](以下、特記のないものはすべて筆者撮影)
『フロマドスケ』との契約を解除されたヴィクトリヤは、2004年の「オレンジ革命」など民主化運動と歩みをともにしてきたオンラインメディア『ウクラインスカ・プラウダ』に職を得た。ここでも「竜のような性格」は変わらなかったという。2023年7月、彼女はやはり行き先を告げずに、最後の占領地取材に赴いた。反占領の運動にかかわった16歳の少年2人が“テロリスト”として射殺されたベルジャンスクと、スタッフがロシア軍に拘束されたザポリージャ原発に向かったと考えられている。

 

『ウクラインスカ・プラウダ』へ

 ウクライナで、ジャーナリズムはどれほど機能しているだろうか。

 パリに本部を置くNGO「国境なき記者団」(RSF)は毎年、世界180前後の国や地域の報道の自由度を示すランキング「世界報道の自由度インデックス」を発表している1。権威主義傾向の強い旧ソ連諸国は軒並み評価が低く、特にロシアは2010年代、180前後の国・地域のうち150位前後をさまよっていたが、2022年のウクライナ全面侵攻以降さらに毎年評価を下げた。2024年は全180カ国中162位、2025年は171位に後退し、最下位グループの一角を占めるに至っている。

 ロシアほどではないものの、ウクライナもかつては低評価だった。2004年はモーリタニアと並んで138位を占め、140位のロシアとほぼ肩を並べていた。しかし、2010年代に入って次第に評価を上げ、2024年には61位にまで上昇した。2025年は少し下がって62位だが、57位の米国に迫る順位であり、欧州連合(EU)加盟国でもハンガリーやブルガリアを上回る。ロシア・ウクライナ戦争によってメディアに対するオリガルヒ(新興財閥)の影響力が低下したこと、独立系メディアの活動がロシアのプロパガンダや偽情報を凌駕していることなどが評価につながっていると、「国境なき記者団」は説明している。

 ウクライナでは2014年の「マイダン革命」以降、法の支配や民主化が急速に進み、ゼレンスキー政権がオリガルヒの影響力削減に取り組んだことがその流れを加速させた。真っ当なジャーナリズムの定着も、こうした傾向に沿った現象だといえる。

 2025年の調査で、日本はウクライナより低い66位である。ジャーナリストの自己規制の強さやジェンダー格差、ソーシャルメディアでの右翼による記者へのハラスメントなどが、評価を下げた要因として挙げられている。

 戦後80年に及ぶ報道の自由の伝統を誇る日本が、お上に黙って従うソ連の伝統をつい最近まで残していたウクライナより下と評価されるのに、納得しない人が少なくないかもしれない。ただ、ジャーナリストとしての筆者の肌感覚からすると、ジャーナリズムの面で「ウクライナの方が上」と断言するほどではないが、「両国はほぼ同レベルの質にある」とは言えるように思える。

 もちろん両国で毛色の違いは明確である。日本は何より、新聞やテレビなどの大手メディアが、危機は叫ばれるもののまだまだ安定した活動を継続している。チームワークに基づく調査報道は、「国境なき記者団」の評価の高い欧米諸国と比べても遜色ない。一方で、特ダネ狙いの飛ばし記事を出したり、内部で足の引っ張り合いを演じたりと、組織が大きいことによる弊害も時々目立つ。抑圧される前に自己規制が働くのも、日本ならではの現象である。

 これに対して、ウクライナのメディアは戦争による制約を大きく受けており、軍事関連の情報は報道が制限される場合もある。だが、多くのメディアは少数精鋭で、明確な意欲と使命感を抱いて活動するジャーナリストに支えられている。ジャーナリスト養成の教育制度が確立されていること、報道機関の歴史が浅いだけに邪魔をするベテランがいないこと、その結果若者たちが第一線に出てがんがん活動できることも、好条件だろう。メディアの編集幹部も20代や30代が珍しくない。ロシア・ウクライナ戦争という明確な取材対象が存在することも、記者のモティベーションを高めている。男性が戦場に取られているからでもあるが、女性が圧倒的に多いのも特徴である。

 様々なメディアの中でも高い評価を得ている1つが、オンラインメディア『ウクラインスカ・プラウダ(ウクライナ・プラウダ)』である。

『ウクラインスカ・プラウダ』は2000年4月、当時の大統領レオニード・クチマ(87)に対する厳しい批判で知られたジャーナリストのゲオルギー・ゴンガゼ(1969-2000)らが立ち上げた。設立間もなくの2000年9月、ゴンガゼは誘拐され、11月に首なし遺体となって発見された。その後、この殺害にクチマ自身がかかわっていたとする疑惑が浮上し、世論の動揺を招いた。ここで広がった政治不信は、2004年の民主化運動「オレンジ革命」を生み出す土壌の1つともなった。『ウクラインスカ・プラウダ』はゴンガゼの死後も引き継がれ、影響力を持つメディアとしてウクライナ社会に定着している。

 ベルジャンスクで拘束された後、オンラインTV『フロマドスケ』との契約を解除されたヴィカことヴィクトリヤ・ロシナ(1996-2024)は、いくつかの門をたたいた。その1つがこのメディアだった。

「たどり着いた」

『ウクラインスカ・プラウダ』の編集長セヴギリ・ムサイェヴァ(38)は、クリミア・タタール人の女性である。民族の強制移住先であるウズベキスタンで1987年に生まれ、家族に連れられて89年にクリミア半島に帰還した。国立キーウ大学でジャーナリズムを専攻し、ニーマンフェローとして米ハーバード大学に学んだこともある。ビジネスニュース配信会社のジャーナリスト、米雑誌『フォーブス』の通信員、自ら設立したフェイスブックのニュースハブ編集長を経て、2014年に『ウクラインスカ・プラウダ』の第2代編集長に27歳で就任した。以後11年間この職にある。

『ウクラインスカ・プラウダ』編編集長のセヴギリ・ムサイェヴァ

 ムサイェヴァの部下のもとにヴィクトリヤが連絡をしてきたのは2022年5月だった。ムサイェヴァはもちろん、彼女の名を聞き知っていた。その2カ月前、ベルジャンスクでロシア当局に拘束された際には、その解放を求める運動にムサイェヴァ自身も加わっていた。

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授、本誌特別編集委員 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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