ウクライナ讃歌
ウクライナ讃歌 (18)

第4部 ヴィクトリヤの軌跡(2) 占領地の闇

執筆者:国末憲人 2025年9月23日
エリア: ヨーロッパ
生前のヴィクトリヤ・ロシナ[2021年10月12日、ウクライナ・キーウ](C)REUTERS/Stanislav Yurchenko
まだ占領地との行き来ができた2022年2月24日からしばらく、ヴィクトリヤは何度か占領地を取材している。22年3月、攻撃が激化していた東部ドネツク州マリウポリに向った彼女は、途上、ザポリージャ州南部ベルジャンスクでロシア軍に拘束された。本人執筆の記事によれば、約10日間の拘束期間中、食事を拒否し体力は激しく衰えたものの、特段の恐怖感はなかったという。解放後はキーウに戻り、再び占領地を目指そうとするが、職場は彼女との契約を打ち切った。「もう責任を負えない」との声が上がっていた。

 

 ロシア軍のウクライナ全面侵攻から1カ月も経たない2022年3月11日、ウクライナのオンラインTV『フロマドスケ』のホームページに「光の街、占領下エネルホダルからの報告」と題するヴィクトリヤ・ロシナ(1996-2024)の記事が掲載された1。エネルホダルは、ウクライナ南部に位置するザポリージャ原発の職員たちが暮らす人口約4万5000人の街で、クリミア半島から進撃したロシア軍部隊によって、包囲戦の末に占領されていた。記事は、占領下のこの街にいち早く入り、実情を伝えるものだった。

 ロシア軍が原発を占領してしばらく、エネルホダルを含む原発周辺は完全封鎖されていたが、3月9日になって、街からウクライナ側に避難民を脱出させるための「人道回廊」が設けられた。多数の車が占領地からウクライナ側に逃れようとする中で、ヴィクトリヤは1人、この回廊を逆行したのである。

 彼女は直前の3月5日、ザポリージャ市近くでロシア軍戦車部隊から銃撃を受け、九死に一生を得たばかりだった。その出来事はしかし、彼女の取材意欲をいささかも減じることはなかった。

占領下の原発城下町

 6基の原子炉を有するザポリージャ原発は、大河ドニプロ川をせき止めるカホウカダムによって生まれた湖「カホウカ貯水池」2の岸辺に位置する欧州最大の原発である。ロシア軍は侵攻間もない3月4日、周辺を占領した。以後、ウクライナ人の原発職員は自由を奪われたまま、ロシアの管理下で原発を稼働させている。

 ヴィクトリヤは雪が舞う中、ウクライナ側からロシア軍の5度の検問を通過して、エネルホダルにたどり着いた。記事によると、途中でロシア兵から「この道は一方通行だ。もう帰れないぞ」と言われた。ロシア軍車両は「Z」のマークをつけており、軍服とロシア語のアクセントからチェチェンの部隊だと分かったという。たどり着いたエネルホダルの街角には人影がほとんどなかった。

 湖岸で釣りをしていた漁師のヴラジスラヴは、ロシア軍占領下の生活をヴィクトリヤに語った。

「みんなパニックに陥り、神経質になった。ただ、少し落ち着いてきたようだ。軍人たちは、街に出歩かないし、威圧的でもない。この状態ができるだけ早く終わってほしい」

 占領直後はロシア軍の目があって湖岸にも出られなかったが、地元自治体がロシア軍と交渉し、可能になったという。

 南部のザポリージャ州やヘルソン州でロシア軍が占領した地域では、当初それほど弾圧が厳しくなかったといわれている。占領に反発する住民たちは、銃口に脅されながらもしばしば抗議活動を展開し、ロシア軍側はそれを黙って見つめていた。ロシア軍が統制を厳格化するのは、ウクライナ軍の反撃が強まって以降のことであり、ヴィクトリヤの報告は、それ以前の、まだ人々が困惑している占領地の様子を伝えている。彼女が訪れたエネルホダルの市役所には、依然としてウクライナ国旗が翻っていた。市長のドミトロ・オルロフは彼女に「占領下ながら、住民にかかわる物事は自分たちで実行できている」と説明した。電気や飲料水、暖房も確保できていた。一方で、食料や医薬品の供給は止まり、燃料も枯渇していた。それだけに、市の要求によって「人道回廊」が開かれたことは、大きな成果と受け止められていた。この回廊を伝って約1000人の住民が脱出したという。

 エネルホダルには、チェチェン部隊を含む約500人のロシア兵が駐留し、そのうち約400人は原発に詰めていた。彼らは店から商品を略奪しようとしたため、住民たちは自警団を組織して対抗した。原発にはロシアのメディアが連れてこられ、「原発にウクライナ側の武器が隠されていた」など、ロシア側に都合いいストーリーを流した。原発の職員らに取材を拒否された彼らは、自分たちでインタビューを勝手につくっていた。街に来たロシアの代表団の1人はヴィクトリヤに話しかけた。

「なぜ私たちにそれほど否定的な態度を取るのか。私たちは誰も傷つけていないし、殺してもいない。私たちの側はエネルホダルで4人を亡くした」

 なぜ私たちの国に来たのか。ヴィクトリヤが尋ねると、彼は「命令だった」とだけ答えた。彼らは、掲げられていた欧州連合(EU)の旗を降ろしてソ連国旗に似た赤い鎌トンカチの旗を掲げたが、ウクライナ国旗には手をつけなかった。

 これらの状況を淡々と語るヴィクトリヤの記事は、このころの占領地の実像を活写している。検問を突破して反対側に入る勇気を持ち得た彼女ならではの特報である。

 大騒ぎになったのは、彼女がこの記事を送った後だった。消息が途絶えたのである。

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授、本誌特別編集委員 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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