Ⅰ. はじめに
アラブ首長国連邦(UAE)は、石油収入に依拠した経済構造からの脱却と、国際的な貿易・物流拠点への転換を国家戦略として掲げてきた。その過程において、港湾企業の存在は単なるインフラ運営主体にとどまらず、国家の対外戦略を具体化する装置として重要な役割を果たしている。地政学的に不安定な中東にあって、港湾ネットワークの構築を通じて国際経済秩序への接続を強化し、アフリカ・アジア・欧州・南米を結ぶ広域的な経済回廊を形成している点は、国際経済ネットワークの具現化を示す好例と位置づけられる。
注目すべきは、アブダビを拠点とするAD Ports Groupと、ドバイを拠点とするDP Worldという二大港湾企業の展開である。両社はいずれも政府系ファンド(SWF)の支援を受け、国家戦略と不可分の存在であるが、その発展の軌跡と海外展開の手法には顕著な違いがある。DP Worldが2000年代以降に漸進的に国際展開を進め、欧州やアジアを起点にグローバルな物流統合を図ってきたのに対し、AD Ports Groupは2020年代に入って急速な拡張路線を取り、短期間でアフリカ・南アジア・欧州・南米に拠点を広げた。
本コラムは、まず現代港湾論に基づく理論的枠組みを確認したうえで、UAEの国家戦略と港湾産業の関係を整理し、両社の対外戦略を比較する。そして、その戦略的意義と経済的利得を考察することによって、UAEがいかにして中東の不安定性を超え、国際的に影響力を発揮しうる経済ネットワークを構築しているのかを明らかにすることを目的とする。
Ⅱ. 理論的背景:港湾企業が進める「ネットワーク上での位置取り競争」
港湾・海運研究は、従来「後背地(hinterland)」に焦点を当てる傾向が強く、港湾を地域経済の付属的な存在とみなす視点にとどまってきた。しかし、グローバル化の進展とともに、港湾は単なる貨物の積み降ろし拠点ではなく、物流チェーンの中核として戦略的意義を帯びるようになった。Adolf and Liu(2014)は、近年の海運業の発展が港湾に新たな機能的要請を与え、港湾を「グローバル・サプライチェーンの焦点(port-focal logistics)」として再定義すべきであると論じている1。つまり港湾は、もはや受動的なインフラではなく、国際物流の設計と統合を担う主体へと変容している。
この点を理論的に補強するのが、Ducruet(2015)の海運ネットワーク論である。彼は、港湾を個別に扱うのではなく、「港湾ネットワーの進化」を分析対象とする必要を強調する2。特に、港湾の役割は後背地への結節にとどまらず、前方連関(foreland)を通じて国際ネットワークの効率性や安定性を規定する、と指摘する。この枠組みを用いると、港湾企業の対外展開は、単なる市場拡大ではなく、海運ネットワークの結節点を戦略的に選び取り、国家的な交易ルートの形成と輸送ルートの多様化に寄与する行為として理解できる。
こうした理論的視点を踏まえると、AD Ports Group や DP World の対外戦略は、個別案件の羅列ではなく、「ネットワーク上での位置取り競争」として解釈できる。前者は紅海・アフリカを軸に急速に結節点を拡充し、後者は長期的に積み上げた拠点網を深化させることで、いずれも国家戦略に直結する海上輸送ネットワークの強靭化を推し進めている。すなわち、UAE港湾企業の動向は、Adolf and Liu が説く「グローバル・サプライチェーンの焦点」すなわち港湾のサプライチェーン統合機能と、Ducruet が示した「港湾ネットワークの進化モデル」の双方を体現する事例と位置づけられるのである。
Ⅲ. UAE政府戦略と港湾産業:経済多角化に不可欠の基盤
UAEの港湾産業は、単なるインフラ事業にとどまらず、国家戦略の中核を担う分野として位置づけられている。石油依存からの脱却と経済多角化を掲げる同国にとって、港湾と物流は、非石油経済の成長、国際貿易の拡大、そして食料・資源安全保障を同時に実現する不可欠の基盤である。
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