医療崩壊
医療崩壊 (103)

「タカ派」と「自由主義」のハイブリッド、高市総理は関西のどんな気風から生まれたか

執筆者:上昌広 2025年11月12日
タグ: 日本 高市早苗
エリア: アジア
女性初の総理大臣となった高市早苗氏は「伝統的な関西人」ではない[所信表明演説する高市首相=2025年10月24日](首相官邸HPより)

 10月21日、高市早苗氏が第104代内閣総理大臣に選出された。日本初の女性首相であり、その歴史的意義は大きい。このニュースは多くの海外メディアでも報じられ、世界の注目を集めている。

 高市政権は、自民党と日本維新の会による連立政権である。関西出身の政治家が日本の政権を主導するのは稀であり、私はそれが現在の日本社会の姿を象徴していると考える。本稿では、その背景と意味を考察したい。

学問・成長企業・スポーツでは「西高東低」

 マスコミは「東京一極集中」や「地方の衰退」を繰り返し強調するが、必ずしもそうとは言えない。近年、さまざまな分野で東京勢は関西勢の後塵を拝している。

 たとえば、今年ノーベル賞を受賞した坂口志文氏と北川進氏はいずれも関西出身で、京都大学で学んだ研究者である。坂口氏は大阪大学特任教授、北川氏は京都大学特別教授として受賞した。

 過去10年間に自然科学分野でノーベル賞を受賞した日本人6人のうち、4人が京都大学、2人が東京大学の卒業生だが、出身地はいずれも西日本である。内訳は関西4人、九州と四国が各1人。関東出身者はいない。

 これまでに日本出身者および被団協(日本原水爆被害者団体協議会)を含め31件のノーベル賞の受賞があるが、出身高校の所在地でみると、関西が10人と最も多く、中部7人、中四国5人、関東4人、九州3人と続く。学問の世界における「西高東低」の傾向は、今に始まったことではない。

 経済界も状況は変わらない。2019年4月27日付日本経済新聞によれば、平成の30年間で時価総額を大きく伸ばした企業は、トヨタ自動車(15.2兆円増)、キーエンス(8.3兆円増)、日本電産(4.6兆円増)、ソニー(4.6兆円増)、任天堂(4.3兆円増)、武田薬品工業(4.1兆円増)などである。上位10社のうち、関西に本拠を置く企業が6社を占め、関東勢はソニーなど3社のみであった。

 一方、時価総額を減らしたのはNTT(20.3兆円減)、東京電力HD(8.6兆円減)、野村HD(5.9兆円減)、日本製鉄(4.2兆円減)、新生銀行(4.1兆円減)など、多くが国策色の強い企業である。上位10社のうち5社は東京で生まれ、現在も東京を拠点としている。平成期を通じて時価総額を伸ばした企業群に比べ、グローバル化への対応が遅れたことが明暗を分けたといえよう。

 スポーツの世界でも、この傾向は顕著である。“The Sporting News”が発表した「MLB歴代日本人選手ベスト10」では、10人のうち5人が関西出身で、関東は岩隈久志氏ただ一人だった。

日本の大企業は関西人を生かせない

 かくの如く、研究者やアスリート、新興企業の分野では関西勢の活躍は目覚ましい。一方で、日本の伝統的大組織では、その存在感は意外なほど薄い。たとえば霞が関では、現在の1府11省3庁のトップ(事務次官等)に占める関西出身者はわずか2人に過ぎない。民間との連携や実利を重視する経済産業省は関西人と親和性が高い印象があるが、2010年以降の事務次官9人中、関西出身者は1人のみである。

 企業社会も同様で、日本を代表する三菱グループにおいても、2010年以降の中核企業(MUFG、三菱重工、三菱商事)の社長経験者13人中、関西出身者は1人にとどまっている。

 伝統的組織の最たるものが政界である。ここでも関西勢は振るわない。明治以降の歴代首相は 66人(104代)だが、関西出身者は西園寺公望ら7人にとどまる。平成以降に限れば、対象は20人(29代)中宇野宗佑氏と今回の高市氏のわずか2人である。学術・新興企業・スポーツでの活躍とは対照的な状況だ。

 なぜ、こうした違いが生まれるのか。それは、学者やアスリート、新興企業のリーダーに求められる素養と、伝統的な大組織におけるリーダーの資質が異なるためだろう。関西の文化は前者に向いている。

 関西人は、直接的で情緒表現が豊かであり、笑いと対話を重んじ、初対面でも距離を縮めやすい傾向がある。「儲かりまっか」に象徴される商人文化が、その背景にあるとされる。一方、東京人は控えめで公私を明確に分け、秩序や個の空間を尊重する傾向が強い。こうした対照的な気質の理解は、多くの人が抱く共通認識として、一定の妥当性を有しているのではないか。

造り酒屋が学校を経営する関西の価値観

 私は、こうした気質の差異は教育の違いに由来し、その背景には地域の歴史が大きく影響していると考えている。関西の中心である畿内――京都・大阪・奈良に、兵庫県の阪神間を含む地域――は、江戸時代を通じて大藩が置かれなかった。

 これは、外様大名と京都の皇統の権威、大坂の経済力が結びつくことを徳川家康が警戒したためとされる。結果として、この地では幕府の直接的な統制が相対的に弱く、地域独自の教育が発展し、それが関西人特有の気質を育んだと考えられる。

 明治以降の我が国で、高等教育を担ったのは、江戸時代の藩校の系譜を継ぐ教育機関であった。たとえば、東京大学は江戸幕府の昌平坂学問所や天文方、さらには佐倉順天堂などの学統を継承している。九州大学は福岡藩の藩校・贊生館、東北大学は仙台藩の藩校・明倫養賢堂の流れを汲んでおり、この傾向は広く認められる。

 高校段階でも同様で、福岡県立修猷館高校、岡山県立岡山朝日高校、福井県立藤島高校、滋賀県立彦根東高校、神奈川県立小田原高校など、旧藩校を源流とする名門校が全国に存在している。

 これらの学校の校風には、旧武士階級の精神性が色濃く反映されている。たとえば「質朴剛健(修猷館高校)」、「赤鬼魂(彦根東高校)」、「至誠無息(小田原高校)」といった校訓は、その象徴的な表現といえる。

 制度上は明治期の廃藩置県により藩校との直接の連続性は断たれたものの、武士道的価値観は現在に至るまで受け継がれている。こうした精神は、地域を担うエリート層に求められる素養として、今日にも脈々と息づいているのであろう。

 畿内には、兵庫県三田市の三田学園などを例外として、旧藩校の流れを汲む学校は存在しない。その代わり、この地域の近代教育を支えたのは、宗教団体や商家であった。たとえば、洛南高校(京都)、東大寺学園(奈良)、四天王寺高校(大阪)は仏教系、洛星高校(京都)、大阪星光学院、神戸女学院(兵庫)はキリスト教系である。また、灘高校や甲陽学院(兵庫)は造り酒屋による私学経営を背景に発展してきた。

 大阪の公立ナンバーワンとされる北野高校も、明治6年に大阪府が難波東本願寺掛所に設置した欧学校を起源とする。

 校訓にも、その出自や思想的背景が色濃く反映されている。たとえば洛南高校は、「自己を尊重せよ」「真理を探究せよ」「社会に貢献せよ」を掲げており、これは仏教における「三帰依(帰依仏・帰依法・帰依僧)」を現代的に言い換えたものとされる。

 一方、灘高校の校訓は「精力善用・自他共栄」である。自らの力を最大限に善用し、他者と協働しながら共に発展することを理想とする考え方であり、創設母体である嘉納家(商家)の精神を踏まえたものだ。講道館柔道にも継承されている。「質朴剛健」や「至誠無息」といった武士道的規範とは対照的な価値観を示している。

 人格形成の大部分は青年期までに完了し、その過程で家族や友人に加え、地域文化や学校教育が共有する価値観が大きな影響を及ぼす。城下町を中心とした武士支配の枠組みが希薄であった関西の歴史と風土は独特であり、そこから固有の価値観が育まれてきた。

「関西型の政治家」が期待される社会は不安定?

 関西的な価値観は、研究者やアスリート、さらに商人にとっては大いに適性を発揮する。しかし政治家となるとどうだろうか。政治的リーダーには権威が求められ、その裏付けとして正当性や信頼が不可欠である。「質朴剛健」や「至誠無息」といった旧藩校由来の校訓は、日本人が政治指導者に期待する資質を象徴しているといえる。

 関西出身者には、既成の体制や形式に対する拘りが弱いという指摘がある。その自由闊達さは創造性を促す一方で、安定性に欠ける場面も否めない。

 オウム真理教事件では、高学歴の信徒が犯罪に関与したことが社会的衝撃を与えたが、その中には早川紀代秀、村井秀夫、豊田亨、井上嘉浩など、関西出身者が多かった。また、私の母校である灘高校から東京大学医学部に進学したI君とO君も逮捕され(うちI君は不起訴)、エリート教育を受けた若者が逸脱する「脆さ」に注目が集まった。

 政治に求められる最も重要な資質の一つは安定性である。社会規範を尊重し、節度ある行動を示してこそ、幅広い国民の支持を得ることができる。この点は、関西にしばしば見られる自由闊達で型にはまらない価値観とは方向性が異なる。

 近年の日本政治において、「関西的価値観」が支持を得ている。たとえば、東京都の小池百合子知事、神奈川県の黒岩祐治知事、千葉県の熊谷俊人知事はいずれも関西出身である。小池氏は甲南女子高校、黒岩氏は灘高校、熊谷氏は白陵高校の出身であり、甲南女子と灘は実業家、白陵は塾経営者によって創設された教育機関である。

 国政においても、関西出身者の存在感は高まっている。日本維新の会は言うまでもなく、れいわ新選組の山本太郎氏(兵庫県宝塚市出身、箕面自由学園中退)、NHKから国民を守る党を母体とする政治活動で知られる立花孝志氏(大阪府泉大津市出身、大阪府立信太高校卒業)など、多様な政治勢力の中に関西出身者が名を連ねている。

 また、2023年に日本保守党を創設し、今夏の参議院議員選挙で当選した百田尚樹氏(大阪市生まれ、奈良県立添上高校出身)もその一人である。

 さらに、今回の選挙で議席を伸ばした参政党の神谷宗幣氏は福井県高浜町の出身だが、関西大学への進学以降、大阪を政治活動の主要拠点としてきた。

 閉塞感漂う日本で、国民は従来型の政治リーダーに失望し、「関西型」の政治家に期待が集まっているのだろう。同様の傾向は、世界各地で起こっているが、社会の安定という点において憂慮すべき現象と言わざるをえない。

高市総理に流れる「松山」と「橿原」の特殊な気風とは

 今回、高市総理の下、自民・維新の連立政権が成立し、関西勢が政界を仕切ることになった。日本の政治史上、はじめてのことだろう。どうなるだろうか。

 高市政権を分析する上で、彼女の生い立ちを振り返ることは重要だ。高市総理とは、どのような人物だろうか。結論から言えば、「伝統的な関西人」ではない。

「高市」という姓は、愛媛県を中心とした瀬戸内地域に多くみられる。父・高市大休氏は松山市出身で、設備機器メーカーに勤務し、大阪営業所長を務めた経歴を持つ。

 幕末の伊予松山藩は佐幕路線を貫き、明治維新後には新政府から冷遇された。この史実については、司馬遼太郎『坂の上の雲』に詳しく描かれている。松山の政治家としては塩崎恭久氏が挙げられ、安倍晋三元総理と近い立場にありながらも、独自のリベラルな政策姿勢を示してきた。高市氏は、このような文化の影響を受けているはずだ。

 彼女が育った奈良県橿原市も、独自の歴史的背景をもつ。畝傍・耳成・天香久山の「大和三山」を擁するこの地は、神話上、神武天皇が東征ののち畝傍山の東南に「橿原宮」を築き即位した場所とされる。

 7世紀末には藤原京が当地に置かれ、律令国家の基盤が整備された。室町〜戦国期には興福寺や筒井氏の支配下にあり、織田信長の勢力下では今井町が「今井宗久の町」として自治的な商業都市として繁栄した。江戸時代には徳川幕府の直轄地を中心とする統治を受け、今井町は引き続き商業自治都市として発展を遂げた。

 橿原市は、橿原神宮を中核に、歴史的に商業的自治を育んできた地域的特性が共存する都市である。このような宗教的象徴性と自立的都市文化が重層する環境は、住民に独自の価値観を育む要因となってきた。高市氏の政治的姿勢を理解する際にも、こうした地域性を考慮すれば、その見え方が変わってくるはずだ。

安倍元総理の「長州藩的タカ派」とも、また違う

 彼女は単なる「タカ派」とは位置づけきれない側面を持つ。その一つが神戸大学経営学部という進学先の選択である。高市氏が入学した1979年当時、神戸市は「神戸市株式会社」と称されるほど活力に満ち、ダイエーをはじめ民間企業が躍進していた。都市の活気を背景に、神戸大学経営学部は高い評価と人気を誇っていた。

 その学力をもってすれば他にも幅広い選択がありえたはずだが、あえて同学部を選んだことは、その学風や都市文化への共感を示唆する。実際、クラブ活動(軽音部)も含めてキャンパスライフを積極的に楽しんだとされる。知人の神戸大学軽音部OBは、「高市先輩の『活躍』はあまりにすごく、OB会では箝口令が敷かれています」という。

 神戸大学経営学部は、日本で初めて経営学を専門に据えた学部であり、実学志向とリベラルな校風を特徴とする。同校の前身である神戸高等商業学校初代校長・水島銕也は、「本校の生徒たる諸氏は、すべからく言論の人たることを避けて、実務の人たらんことを期すべし」と述べ、実践を重視する姿勢を明確に示した。卒業生には、トヨタ自動車工業初代社長の豊田利三郎や出光興産創業者の出光佐三など、産業界を牽引した人物が名を連ねる。校是である「真摯・自由・協同」は、同学部の精神を象徴している。

 高市氏が、神戸という自由闊達な都市環境に親近感を抱いたのは、故郷である橿原市今井町の商業自治都市の伝統と重ね併せたのかもしれない。これは、「タカ派」として知られる高市氏の別の側面を示している。

 高市氏は、橿原神宮に象徴される「タカ派」的な側面と、このような自由主義的な側面を併せもつ人物だ。伝統的な関西人ではない。

 また、安倍晋三元総理のような「長州藩的タカ派」でもない。長州藩元勲の子孫である人物は、「長州藩士の活動の源泉は、鬱屈した下級武士のルサンチマン」という。「吉田松陰から岸信介まで一貫している」らしい。このあたり、高市氏とは違いそうだ。

 彼女の目標は、女性初の総理大臣に就任することだっただろう。これまで、自民党内はもちろん、世論の支持を得るため、「タカ派」的な側面を強調してきたように思う。ただ、彼女の経歴を調べる限り、それで終わる人物ではなさそうだ。日本の政治に必要なのは、弱者に優しい伝統的な保守の復活だ。関西勢が主導し、迷走する日本の政治の方向転換を期待したい。

カテゴリ: 政治 カルチャー
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執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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