高市早苗首相の国会における「台湾有事」発言に、中国が激しい反発を示した。高市首相の反中国の姿勢は従来から顕著だったが、それに対する中国の不信感も根深い。問題は長引くだろう。
この混乱の背景には、双方の不信感に加えて、様々な問題がある。台湾をめぐる日中両国間の歴史的背景、台湾の国際法上の曖昧な地位、アメリカの戦略的曖昧性の今日的な運用体制、日本と中国の力関係の過去数十年での劇的な逆転に伴う両国民の心理、中国政府の高市政権の政策に対する警戒心、日本国内の高市支持者の鮮明な反中的な性格と解散選挙をにらんだ政局の動き、などだ。いずれも容易には解消されない問題ばかりである。
だが意外にも注目されていないのは、日本の平和安全法制における「存立危機事態」概念の特異な仕組みだ。高市首相の発言については、野党が誘導尋問をした、首相が軽率だった、などの当事者に焦点をあてる意見が多々ある。だが、それらは結局、安保法制にもとづく「存立危機事態」の認定が、非常に曖昧模糊とした議論にならざるをえないことに起因する。
そもそも「存立危機事態」とは何なのか。
ある意味で、問題の根幹は、「存立危機事態」という誰も簡単には説明することができない概念によって、日本の安全保障政策の枠組みが決まってしまっているところにある。
今回の騒動の根幹にあるのは、日本の安全保障政策の枠組みの脆弱さだ。したがって人が替わっても、世代をこえて、何度でも同じような問題が起こるだろう。
本稿では、あらためて「存立危機事態」という概念が持つ性格について考え直す。そのうえで、この概念がもたらす日本の安全保障政策の枠組みの根本的な閉塞状況を指摘する。
安倍政権と内閣法制局・憲法学者の政治的妥協
「存立危機事態」という概念は、2015年平和安全法制の成立時に、政治的妥協をへて、苦肉の策として導入されたものだ。当時の第二次安倍政権は、日米共同作戦を可能にするための集団的自衛権行使の方法を求めていた。第一次安倍政権に続いて組織された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」は、集団的自衛権の行使は違憲ではない、という内容の報告書を、2014年に安倍晋三首相に提出した。安倍首相は、その報告書を受けて法整備に乗り出す。
ただし、集団的自衛権の行使を違憲とした1972年内閣法制局見解を否定することなく、いわゆる集団的自衛権の一部解禁と言われる路線を模索することになった。その背景には、懸念を持っていた連立パートナーの公明党の存在だけでなく、過去の見解の否定に頑なに抵抗する内閣法制局官僚の壁もあった。
歴代の内閣法制局長官たちが、憲法学者とともに一斉に安保法制懇を批判し、法整備に乗り出す安倍政権を批判していた。安倍首相は、慣例を破る人事で、2013年に外務省の小松一郎氏を内閣法制局長官にあてていた。しかしこの人事が、かえって内閣法制局の官僚たちの態度を硬化させていた。憲法学者たちは、小松長官の人事それ自体が「クーデター」だと主張した。世論も、新しい法律に警戒心を見せていた。
そこで発明されたのが、「存立危機事態」という概念だ。
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