歌舞伎座が、あと一カ月ほどで「楽」になる。去年ほぼ一年を病床で過した私には、入院前の玉三郎と菊之助の「二人道成寺」が別れの舞台だった。三年がかりで改築される新・歌舞伎座が再び幕を上げるとき、私はもう生きていないのではないか。 老優の中には私と似た思いを抱く人がいるらしい。ここ二年ほどの歌舞伎座の舞台には、常にはない気迫のこもった演技があった。その一つ、三津五郎の「将軍江戸を去る」(一昨年四月)に私は感動した。 十五代将軍徳川慶喜が上野寛永寺の一室で書見している。微風が来て明かりを吹き消すが、端座したまま動かない。ホトトギスの啼く音がする。それは内外から日本を襲う大動乱の中に浮かぶ静寂の一刻である。

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