菅直人政権は尖閣諸島問題を国内法に基づいて粛々と処理すると胸を張っていたはずが、高まる中国の圧力を前に唯々諾々と従うかのように中国人船長を釈放した。にもかかわらず、却って中国側の要求は高まるばかり。これでは菅首相が戦略的互恵関係を強弁しようが、戦略のみならず互恵ですらない。四苦八苦状態の日本を横目にしながら、いま中国は、かつて内外から日本の金城湯池と目されていたASEAN(東南アジア諸国連合)に猛烈な南進攻勢を掛ける。
中国のもう1つの南進拠点・南寧
中国が南進を本格化したのは1990年代初期。沿海地域に較べ経済発展が大幅に遅れた雲南、貴州、四川、広西など西南地区の開発を目指した当時の李鵬首相は、「雲南を南に向かって開き南進せよ」と大号令をかけた。以来、ミャンマーとの関係やメコン川流域開発に象徴的にみられるように、雲南の省都・昆明を拠点にして南進を続けてきた中国だが、近年になって、かつて中越懲罰戦争の際のヴェトナム攻撃最前線基地であった広西チワン族自治区の首府・南寧を2つ目の南進拠点として動き出した。
南寧を拠点にした南進戦略の代表例が、中国南部の広西チワン族自治区沿岸、広東省の雷州半島、海南省、ヴェトナム北部沿岸に囲まれ南シナ海に繋がる広大な北部湾海域を囲む地域や国を一体化した経済圏にしようとする「泛北部湾経済合作区」構想だ。2007年3月の全国人民代表大会・中国人民政治協商会議の際、広西チワン族自治区政府は、この構想を中国経済を牽引してきた珠江三角洲(香港、深圳など)、長江三角洲(上海など)、環渤海湾(大連、青島など)に続く「第4の経済圏」として国家プロジェクトに昇格せよと提案したのである。
この動きを捉え、胡錦濤国家主席と温家宝首相は積極支持を表明するのだが、じつは06年開始の「十一五(第11次5カ年計画)」で泛北部湾経済区を西部大開発計画における3つの重点開発目標の1つに繰り入れるなどして、総事業費1000億元(約1兆2500億円)の広西鉄道整備・建設計画が承認されていた。加えて、北部湾を囲む両国四方(ヴェトナム北部沿海と中国の広西、広東、海南、北部湾地区)のみならず、近隣諸国をも包括した泛北部湾経済合作区に拡大すべきとの方向が打ち出されたのだ。
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