中国が「インラック失脚」に落胆した理由

執筆者:樋泉克夫 2014年5月16日
タグ: 中国 タイ
エリア: アジア

 インラック首相の失職は、中国の東南アジア進出の将来に思わぬ障害になるかもしれない――。

 2012年春、インラック首相(当時)は訪日の途次、官民合同の大デレゲーションを引き連れて訪中している。つまり、外遊ルートは北京経由東京着、であった。その際、北京・天津間の高速鉄道に乗車し、中国との協力による高速鉄道建設計画を打ち上げた。じつは、インラック前政権は政権発足時から、バンコクを起点に、北部路線(ピサヌロークまで)、西部路線(ホワヒンまで)、東北部路線(コーラートまで)、東部路線(パタヤまで)の4路線を2022年までに完成させることを政策の柱に掲げていた。いわば高速鉄道網による国土改造である。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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