風が時間を
風が時間を (10)

まことの弱法師(10)

執筆者:徳岡孝夫 2017年1月21日

 話が少し戻って、ハワイ大学に近いYMCAに起居していた頃である。巨大なトレーラーバスが轟音を上げていく坂道の傍に、クラッシュド・アイスにコーラを注いで出す店があった。
 オバマ米大統領は1961年ハワイ生まれだから、あそこにはお腹にアメリカの大統領を宿した女子学生も坐っていた計算になる。
 夕方になると、そこにエジプト人の学生が現れ、小演説をブッた。
 堂々たる体躯、広い胸、子供のときから喋っている滑らかな英語。理路整然。聞き惚れる雄弁だった。
 世界大戦は済んだ。戦前の大国の役割は屑籠に捨てられた。疲れた旧勢力に代って世界を指導すべきは新しい指導者、なかでも我がナセル大統領である云々。
 彼は、5年前のバンドン会議を挙げた。インドネシアのスカルノ、中国の周恩来、インドのネルー、エジプトのナセル、日本の閣僚など、バンドン会議出席者の名を挙げて、その人柄を論じた。なかでも世界が未来を託すべきはナセルであるという。
 その単純なこと、東海散士『佳人之奇遇』そっくりじゃないかと思いつつ傾聴した。だが演説から7年後、ナセルは6日戦争とその後の処理を誤り、失意のうちに死んだ。
 ハワイには、私はもう1つ引っ掛かりがあって、それは真珠湾攻撃である。
 あれが宣戦布告前に仕掛けた[騙し討ち]か否かには、ここでは触れない。ただ留学生として行ってから約20年後、新聞連載「真珠湾40年」を書くため、私はハワイを再訪した。
 米海軍の演習かと思っていると、日本軍の奇襲だった。そのうえ日本軍がオアフ島に上陸したと噂が流れた。すでに日系人が大勢いる。
 どうしましたかと訊くと、中年婦人2人は答えた。
「野球のバットを握って食器棚の後ろに隠れました」
「そうですか。日本では女性に竹槍訓練をさせたと旧陸軍を嗤っていますがね」
「それはヘンです。緊急事態に身を守る、その準備をする。当たり前のことですよ」(『新潮45』2017年1月号より転載)

カテゴリ: 社会 カルチャー
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執筆者プロフィール
徳岡孝夫 1930年大阪府生れ。京都大学文学部卒。毎日新聞社に入り、大阪本社社会部、サンデー毎日、英文毎日記者を務める。ベトナム戦争中には東南アジア特派員。1985年、学芸部編集委員を最後に退社、フリーに。主著に『五衰の人―三島由紀夫私記―』(第10回新潮学芸賞受賞)、『妻の肖像』『「民主主義」を疑え!』。訳書に、A・トフラー『第三の波』、D・キーン『日本文学史』など。86年に菊池寛賞受賞。
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