【ブックハンティング】人口の半分を視界に入れることで変わる世界

キャロライン・クリアド=ペレス著、神崎朗子訳『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(河出書房新社)

執筆者:堀越英美 2021年3月13日
タグ: ジェンダー

 こんなクイズを聞いたことはあるだろうか。父親とその一人息子が事故に遭って父親は死に、重体の子どもが病院に運ばれる。病院の院長が手術を担当することになったが、子どもを一目見るなり院長は「彼は私の息子だ」という。どういうことだろう?

 院長は生き別れた実の父親?それとも……などとドラマチックに考えてしまいそうになるが、答えはシンプルだ。「院長はその子の母親だった」。性別に関する思い込みを逆手に取った、古典的なクイズである。

 人間とは男性のことであり、女性は特殊な存在にすぎない。先ごろ騒がれた東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗元会長の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」発言も、この偏見から派生したように思える。「女性がたくさん入っている」例として挙げられた理事会の女性率は、20%強(24人中5人)にすぎないからだ。「人間」として扱われる男性は20人近くいても”たくさん”ではないが、女性は5人もいれば、”もうたくさん”になってしまう。

 昨今ではガバナンスの観点から、組織人がこの種の発言をすれば問題視されるようになっている。だが本音のところでは、「うるさく言われるけど、女なんか入れても面倒が増えるだけ」と感じている人も多いのではないだろうか。そのような人にぜひ読んでもらいたいのが、本書である。本書は男性の差別意識を糾弾する本でもなければ、男社会で上り詰めるように女性にはっぱをかける本でもない。著者があらわにしているのは、悪意や意図の有無を問わず、「人間=男性」という古くからある思い込みのせいで、どれだけ社会全体が損なわれているかを示す広範なデータである。

歩道を除雪したら医療費が削減された?

 まず取り上げられるのは、スウェーデンのとある自治体の除雪スケジュールの話だ。歩道よりも幹線道路を優先する通常の除雪作業の順番を入れ替えて歩行者を優先したところ、医療費の削減につながったというエピソードに、性別は一見関係ないように思える。だが無償ケア労働の大半を負担する女性たちは、子ども・高齢者の送迎、ベビーカー移動などで歩道を利用することが多い。自動車では問題ない積雪でも、弱者連れの女性は怪我に見舞われやすくなる。当初、スケジュールを策定した男性たちは車で移動することが多く、そのようなリスクが見えていなかったのだ。差別の意図がなくても、意思決定の場に女性が少ないことでもたらされる社会的損益の、ほんの一例である。

 「存在しない」ことになっているのは女性の無償ケア労働だけではない。女性の身体そのものも、時として見えなくなる。自動車は男性の身体を標準に作られているため、自動車事故の重傷リスクは女性のほうが47%も高い。世界では3人に1人の女性が安全なトイレを利用できず、常に性的暴行や病気のリスクにさらされている。難民支援においても生理用品は後回しにされがちで、不衛生な代用品のために尿路感染症に罹る女性が少なくない。女性の苦痛は「お気持ち」の問題として扱われるという偏見も、いまだ健在だ。そのため月経前症候群(PMS)や月経困難症(生理痛)の研究に助成金がなかなか下りず、治療法はいまだ確立されていない。多くの女性が毎月苦痛に苛まれることで発生する社会的損失を想像しただけで、気が遠くなりそうだ。

 男性の身体を基準とする医学も、女性の身体を脅かしている。治験バイトといえば、健康な男性限定で募集がかかるのが通例だ。筆者自身、それを当然視して深く考えたこともなかったが、複雑なホルモンバランスに左右される女性のデータが不足したまま薬が作られているために、薬物有害報告は女性からのものが圧倒的に多くなっているという話には衝撃を受けた。また、心臓発作後に誤診を受ける確率は女性のほうが50%高い。心臓発作の兆候には男女差があるが、女性も男性の診断基準をもとに診察を受けるためだ。発展途上国の女性の健康問題は、ケア労働自体がリスクを含むものであるためにさらに深刻になる。バイオマス燃料を使って料理をする彼女たちは結核にかかりやすいが、結核に対する免疫反応が男性とは異なるため、誤診も多い。その結果、世界中で一年間に結核で死亡する女性の数は、妊産婦死亡数よりも多くなってしまう。

「男性は普遍的、女性は特殊」という思い込み

 「意思決定の場に女性を入れたほうがよいという理屈はわかった。だが女性割合目標を掲げると、実力不足の女性を無理して登用することにつながるのではないか」という懸念に対応しているのが、第4章「実力主義という神話」だ。冒頭に挙げられた、ニューヨークのオーケストラの事例はわかりやすい。長年女性の割合がほぼゼロだったオーケストラがブラインド審査を採用したところ、10年後には女性が新規雇用者の50%を占めるようになった。誰が演奏しているかわからない状態で審査するだけで、女性登用率が上がったのだ。女性の論文も、性別を隠してレビューを受けるほうが受理される可能性が高まり、評価も高くなる傾向があるという。実力の評価においても、「男性は普遍的、女性は特殊」という思い込みが目を曇らせてしまうことがある。ただでさえ、女性は家庭や地域での無償ケア労働を多く担い、職場でも評価につながらない雑用を頼まれやすい。「女性は実力不足」とレッテルを貼る前に、評価基準と職場での扱い、ケア労働の分担を再考する必要があるだろう。

 個人的に切実だったのが、自閉症の診断基準がほぼ男子のみを対象とした研究データに基づいているため、女子の自閉症が見逃されやすいという話だ。筆者の次女も自閉症スペクトラム障害なのだが、療育に通いながらも、小学校入学直前まで診断名がつかないままだった。MRI検査や染色体検査までしたというのに、療育の先生も私も、自閉症とは考えもしなかった。一般的な自閉症のチェックリストには当てはまらなかったからだ。たまたま女子の自閉症スペクトラム障害に関する英文記事を目にして専門医につながることがなかったら、今も途方に暮れたままだったかもしれない。

 ジェンダーギャップ改善の取り組みというと、恩恵にあずかるのはエリート女性だけで、弱者女性の生きやすさにはつながらないと揶揄されがちだ。だが、著者の広い視野はそれが間違いであることをデータで徹底的に示していく。政策、医学、テクノロジー、職場、都市計画、メディアに至るまで、「女性を勘定に入れる」だけで見える世界はがらりと変わる。世界人口の半分が直面している課題にフロンティアを見出せる野心的なビジネスパーソン、研究者、政策立案者は必読の書である。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
堀越英美 1973年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。著書に、『女の子は本当にピンクが好きなのか』『不道徳お母さん講座』(河出書房新社)、『スゴ母列伝』(大和書房)など。翻訳書に、『ギークマム 21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア』(共訳、オライリージャパン)、『世界と科学を変えた52人の女性たち』(青土社)、『ガール・コード プログラミングで世界を変えた女子高生二人のほんとうのお話』(Pヴァイン)がある。二女の母。
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