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ありし日の対馬勝雄中尉(波多江さん提供)
1936(昭和11)年が明けた。「昭和維新」を叫ぶ青年将校らは相澤三郎中佐事件の公判闘争、天皇機関説問題をめぐって活動を激化させていた。不穏な状況は、深く関わる青森出身の対馬勝雄陸軍中尉のいる豊橋教導学校をも巻き込み、勝雄に否応のない行動を迫った。そして運命の2月26日が訪れる。
新教育総監への反発
「謹賀新年 年頭所感 大君に仇なす仇はますらをが 国の内外を問はずうちなむ 大君の仇をうたずに迎えたる 年の初めぞ 心苦しき」
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