台湾を「中国ワクチン」で揺さぶる習近平 自主開発に賭ける蔡英文

執筆者:野嶋剛 2021年5月27日
エリア: アジア 北米
「防疫」が強みだった蔡英文政権だが……(台湾総統府HPより)
 
台湾での新型コロナ拡大を受け、焦点に急浮上したのがワクチン不足の問題だ。中国製ワクチンの提供を呼びかけた習近平政権、対中依存を望まず自主開発と米国の支援に期待をかける蔡英文政権。ワクチンをめぐる駆け引きが、米中新冷戦と台湾の未来を睨みながら、激化している。

「完璧」な出口戦略を狙ったが――

 台湾の新型コロナからの出口戦略は、もともとは「完璧」に練り上げられていたはずだった。

 今年前半は新規感染を徹底的に抑え込み、その間にワクチンの自主開発を進める。医療関係者などの先行接種には輸入ワクチンで対応し、年後半から一般市民への自主開発ワクチン接種を本格化させ、集団免疫を獲得する。そして海外との交流も段階的に解除して、生活や経済を正常化させる――。

 このシナリオのもとになっていたのが、4月末までの累計感染者数が1200例以下という世界にも類を見ないほどの抑え込みを成し遂げた「台湾モデル」と称賛される新型コロナ対策だった。

 ところが、今年5月に入ってそのシナリオが大きく狂い始める。

 台湾大手「中華航空」のパイロットの感染をきっかけに、彼が自主隔離していたホテルで感染が広がり、ほぼ同時期に風俗サービスも提供する喫茶店が立ち並ぶ台北の繁華街・萬華で大型のクラスターが発生した。

 パイロットが持ち込んだコロナウイルスが感染力の強い英国型の変異株だったことも災いし、迅速な疫学調査や隔離といった従来の対策ではウイルスの勢いは抑え込めなかった。

 ここ1週間は連日200~400人台の感染者を出しており、蔡英文政権は全土にレベル3(上から2番目)の警戒状態を敷いた。政権が屋外10人、屋内5人以上の集まりを禁止し、外出時のマスク着用を罰則付きで求めたのに対し、市民の側も外出を自ら控える「自主封城(自主ロックダウン)」で当局の求めに協力している。

 それでも26日には計635人(同日判明分は304人)の感染者を計上し、感染経路を追えない感染例も過去最高の122人を数えるなど、予断を許さない状況が続いている。

「重要な防疫物資は国産化」という方針

 台湾は新型コロナ流行当初からワクチン自主開発の方針を明確に掲げていた。それは台湾なりの「自助」重視の考え方に基づく。

 蔡英文総統は、台湾がマスクの不足を予測して自主生産体制を素早く確立し、海外への支援にもマスクを活用したことを例にあげて、

「重要な防疫物資は、国産化の能力が求められる。必要なときに自らを助けるだけでなく、他人も助けることもできる。マスクがいい例だ」

 と述べている。

 中国から常に強い圧力を受け、WHO(世界保健機関)にも参加できないなど、国際社会で孤立を強いられてきたゆえのサバイバル戦略であった。

 昨年秋、台湾企業の「メディゲン・ワクチン・バイオロジクス(高端疫苗生物製剤)」と「UBIアジア(聯亜生技開発)」の2社に対してワクチン開発の許可を与え、現在、実用化に向けた治験が第2フェーズの最終段階に入っている。

 従来の方針では第3フェーズが完了する今年夏以降の本格供給開始を想定しており、医療従事者や高齢者などについては、海外製造の輸入ワクチンで対応する方針だった。

 ただ、台湾内の感染状況が落ち着いていたため、医療従事者も一般市民もワクチン接種の希望が低く、ワクチンの輸入にそこまで高い優先度を置いていなかったようだ。これまでに英アストラゼネカのワクチンが約70万本輸入されている程度で、接種率は1%程度にとどまっていた。

 ところが、今回の感染拡大で状況が変わり、「疫苗荒(ワクチン不足パニック)」と呼ばれるほど世論の関心が一気に高まった。そのなかで、政府のワクチン入手の遅れを責める声も上がり始めている。

中国が各国に迫る「ワクチン or 台湾?」

 そこにつけ込むように、中国政府は5月17日、「台湾の中での人為的な政治的障壁を取り除き、台湾同胞がワクチンを入手できるようにすることが不可欠だ」との声明を発した。「人為的な政治的障害」という言葉で、かねてから中国ワクチンを断っている蔡英文政権の姿勢を暗に批判し、揺さぶりをかけたのである。

 中国では現在、5億回超のワクチン接種を国内で行い、人口の30%が受けた形になっている。海外にも35億回分のワクチンを輸出・援助しており、これは全体のワクチン製造の4割にあたる数量だ。

 中国にとってワクチンは外交的な影響力拡大のための非常に大きな武器になっており、蔡英文政権への揺さぶりのチャンス到来と見ているようだ。台湾が国交を有する中南米のホンジュラスやパラグアイに対しても、ワクチン提供と交換条件で、台湾との国交断絶を含めた「代償」を求めているとされる。

 この中国の動きに呼応する形で、対中関係の良好さを売りとする野党国民党の孫大千立法委員は、「中国の製造するワクチンがWHOやCOVAXの認証も得ているのなら、台湾は中国から購入すればいいのではないか」「米国は台湾のワクチン取得を助けると言っているが、具体的にどんな行動があるのか」と批判を強めている。また、中国製ワクチンの受け入れを求める国民党系の地方首長も現れている。

 強さを誇ってきた民進党政権の傷を広げ、1年半後の統一地方選や2 年半後の総統選挙につなげたいという狙いもある。

アメリカは台湾支援に乗り出すか

 蔡英文総統も、ここでなんとかワクチンの入手を進めないと、世論対策的にも感染症対策的にも厳しい局面を迎えてしまう。

 台湾は、対中関係とは対照的に、最近急速に関係を深めている米国との交渉に乗り出した。

 蔡英文総統の側近である蕭美琴・駐米代表は米国政府とワクチン提供の交渉に入っており、すでに「米国から前向きな対応があった」ことを自身のFacebookで明らかにした。

 また、コロナ対策の指揮をとる陳時中・衛生福利部長は5月21日、米国のハビエル・ベセラ厚生長官と電話会談を行った。台湾側の発表によれば、米国はワクチン取得に関して台湾を支援することを表明したとされている。

 米国では国内へのワクチン供給に目処がついたことで、これまで発表していた6000万回分に加え、新たに2000万回分のワクチンについて、途上国を中心とした外国に提供する考えを明らかにしているが、そのなかに台湾も含めるよう交渉していると見られる。

 また蔡英文総統は、台湾製ワクチンの開発も加速させることを表明した。

 もともと台湾のワクチン開発自体が米国との関係が深いものだ。

 台湾でワクチン開発を進めている前述の「高端」「聯亜」は、米国立衛生研究所が抽出したコロナウイルスのスパイクタンパク質の抗原を提供されている。この抗原は、米モデルナにも提供されており、モデルナはメッセンジャーRNA方式を使ったワクチンを作ったが、「高端」らは組み替えタンパク質のワクチンで直接体内のタンパク質を刺激して抗体を生み出させるタイプのものを製造している。

 蔡英文政権は、この台湾製ワクチンについて第3フェーズを特例的に省略させ、早期供与の開始を示唆している。

 台湾では、到着時期はまだ固まっていないが、アストラゼネカとモデルナに2000万回のワクチンを発注しているという。陳時中・衛生福利部長は、6月中に200万回分のワクチンが海外から到着し、8月末には台湾製のワクチンを含めて1000万回分のワクチンが調達できる見通しであることを明らかにした。こうした形で、台湾の人口2300万人にほぼ行き渡るだけの供給量を確保したい構えだ。

 それまでは、蔡英文政権は中国の揺さぶりをしのぎつつ、当面の感染状況をまずは抑え込まなくてはらない。だが、感染者数がなかなか下方に向かわないのが現状だ。

 これまでコロナの抑え込みを高い支持率につなげてきただけに、ここで万が一大きく転んでしまえば逆に強い反発と失望を招きかねない。台湾のコロナ対策は、米中新冷戦も絡みながら、いままさに正念場を迎えようとしている。

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執筆者プロフィール
野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)、『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)など。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『香港とは何か』(ちくま新書)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com
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