東急ハンズとその時代――「手の復権」からカインズによる買収まで

執筆者:加島卓 2022年5月7日
エリア: アジア
開店当時の東急ハンズ1号店(藤沢店) 同社HPより
 
女子高生を対象にした1994年の調査で「好きなファッションビル、総合雑貨店」の1位に選ばれたのは、東急ハンズ渋谷店だった。渋谷文化の象徴として一世を風靡した東急ハンズだが、コロナ禍で巨額の赤字を抱え、最後は競合他社に買収されるに至った。46年前の創業から今日まで、同社が戦後日本の経済・文化史に残した足跡をたどる。

 2022年3月31日、ホームセンター大手のカインズは東急ハンズを買収した。カインズは東急ハンズを「パートナー」と位置づけ、当面は屋号も維持する方針だが、東急ハンズは2020年12月末に三宮店(1988年3月開店)、2021年10月末に池袋店(1984年10月開店)を閉店しており、2021年12月22日に買収のニュースが報道された時は「昔ながらの東急ハンズ」を知る人びとを残念がらせた。そこで本稿は同社の「思想」とその歩みを振り返り、そもそも「昔ながらの東急ハンズ」とはいかなるものであったのかを明らかにしたい。 

東急ハンズの「思想」:手の復権

写真① 東急ハンズ町田店 筆者撮影

 東急ハンズといえば、緑色の大きな手のマークである(写真①)。東急不動産の子会社としてスタートした東急ハンズは、1976年に藤沢店、1977年に二子玉川店、1978年に渋谷店、1983年に江坂店と町田店、1984年に池袋店を開店した、DIYやクラフト、生活用品などを扱う「専門量販店」である[1]。

 設立の立役者は松尾英男(当時の東急不動産社長)と浜野安宏(浜野商品研究所)であり、五島昇(当時の東急グループ総帥)の「やってみろ」の一言でスタートしたという。藤沢店と二子玉川店での実験を経て、1978年に渋谷店を開店した東急ハンズは、「手の復権」をコンセプトに掲げ、「素材と道具と部品の専門店」を目指し、「徹底した相談販売」が特徴であった[2]。

 それでは、なぜ東急ハンズは「手の復権」をコンセプトに据えたのか。それは戦後日本が豊かになった大量生産大量消費の画一的な生活から、消費者一人ひとりの主体性を取り戻そうとしたからである。創業当時の東急ハンズは「量産された画一的なモノが生活を覆い、使い捨てがよしとされた時代」に問題意識を持ち、「自分の自由意思で、自在にモノを選ぶ」人びとを応援しようとした[3]。完成品を漫然と購入するのではなく、素材と道具と部品をじっくり吟味し、自分らしい生活を創り上げること。大量生産大量消費の時代に「手の復権」を主張することは、機械的な産業化を突き進める近代社会において「人間らしさ」を回復することだったのである[4]。

 ただし、こうした商売上の「思想」も当初は中高年の男性向けだった。そのうえで興味深いのは、東急ハンズを実際に盛り上げたのは都市の若年層だった点である。創業当時、東急ハンズは「『手』を強く打ち出し、男が遊べる店」を目指していたが、思いのほか「渋谷に遊びに来ていたヤングが、ドッと押し寄せてきた」という。当初の狙いは外れたが、「面白い店がある、というクチコミが、来店客の急激な変化」をもたらし[5]、日曜大工用品というよりギフト商品やパーティグッズが話題になったのだ。こうした意図せざる展開が、その後の東急ハンズを育てていくことになる。

縦型店舗から横型店舗へ

写真② 旧札幌店 筆者撮影

 東急ハンズといえば、白いタイル状の壁と円柱の建物である(写真②)。現在では少なくなってしまったが、今でも渋谷店や広島店などは、その外観だけで東急ハンズだとわかる。こうした建物を「縦型店舗」と呼ぶならば、東急ハンズは次第に「横型店舗」へ移行していった[6]。単独店舗から百貨店やショッピングモールのなかへと、東急ハンズはその居場所を変えていったのである。

 縦型店舗の渋谷店は「スキップフロア」を採用している点に特徴がある。渋谷店のスキップフロアはワンフロアを3つに分け、売場が8層構造になっている(写真③)。こうした構造は坂になっていた土地を有効活用するために考えられたものだが、これが当時の消費者には新鮮に映った。自分に必要なモノを自分で選びたい人にとって、渋谷店は宝探しをするダンジョン(迷路塔)のように見えたのだ。

写真③ 「渋谷店のフロアヒストリー」、東急ハンズ(編)『東急ハンズの本』東急ハンズ、1986年、pp.158-159
 

 ところが、このスキップフロアも、ショッピングモールのなかの東急ハンズしか知らない世代にはとても歩きにくいという。エレベーターで一気に最上階に昇ってから少しずつ降りてくるのか(縦型店舗)、エスカレーターで滑らかにフロアを移動するのか(横型店舗)。こうした歩き方の違いには、商業空間の変遷と人びとの「当たり前」の変化が感じられる。

写真④ 新宿店 筆者撮影

 画期的だったのは、新宿店(1996年10月開店)である。高島屋タイムズスクエアの2階から8階までテナントとして入居するその外観は(写真④)、横型店舗の下から縦型店舗が突き出ているように見えてちょっと面白い。実はこの当時、単独店舗の渋谷店や池袋店の売上高は10%前後落ち込んでいた[7]。そこで東急ハンズは複合型商業施設に出店を試み、その結果、新宿店には高島屋の買物袋を抱えた「ハンズ初心者」が大量に流れ込むようになったのである。

 こうして、2000年代には縦型店舗から横型店舗への移行が進んだ(表1)。だが、これに伴い、「残念なことに、最近の東急ハンズにはかつての元気が感じられません」という声も聞こえ始めた[8]。「昔ながらの東急ハンズ」は2000年代中頃から徐々に見えにくくなったのである。

 

新業態と海外進出

 創業30年(2006年8月)を迎えた頃から、東急ハンズは本格的に事業再生に取り組んだ。2006年11月、渋谷店が入るビルの売却が検討されていることも報じられ[9]、同年12月末には創業1号店の藤沢店を閉店した。さらには町田店(地上8階、地下1階)が、1999年の再編を経て(4フロアに縮小)、2007年に東急TWINSの6階と7階に移転した。

 事業再生のなかでも特に力を入れたのは、新業態の開発である(表2)。たとえば、都市部で売場面積を大幅に抑えた小型店舗の「ハンズ ビー」、地方都市の商業施設で期間限定営業する「トラックマーケット」、経営リスクの低いフランチャイズチェーン店の全国展開、期間限定のアウトレットの出店、などである。

 

 なかでもハンズ ビーは化粧品、キッチン用品、文具を柱に商品を大幅に絞り、「大型店で女性に人気の商品ばかり」を棚に並べた[10]。また東急ハンズ全体では化粧品など美容用品の販売を強化し、「ビューティライン」と呼ばれる専用売場を導入し、販売棚も「女性の目線の高さに合うよう何度もつくり替えた」(2010年〜)[11]。こうして東急ハンズは業態を多様化させ、男性向けのお店から女性向けのお店へとシフトチェンジしたのである。

 また2010年代には、梅田店(2011年4月開店)に併設した直営飲食店「ハンズカフェ」の全国展開が始まった。ハンズカフェでは店内スペースで体験型の販促イベントやクラフト教室を開き、時間滞在型の空間を目指した。こうして大型店の東急ハンズ、小型店のハンズ ビー、そしてイベントスペースを兼ねたハンズカフェという3業態が揃った。しかしそれと同時に、東急ハンズのイメージは人や地域によってバラバラになっていった。

 海外進出に積極的になったのも2010年代である。東急ハンズは1999年から台湾にフランチャイズチェーン店(HANDS TAILUNG)を設けていたが、2012年4月に中国・上海店(2016年1月閉店)、2014年7月にシンガポール店(2019年には4店目)、2018年12月には期間限定でタイ・バンコクにも売場を設けた。また、2020年には台湾の店舗をリニューアルし、日本での買物体験をそのまま海外へ輸出している。

 その一方、日本国内では九州新幹線の全線開通とターミナルビルの開業に合わせ、博多店(2011年)、熊本店(2013年)、鹿児島店(2014年)、大分店(2015年)、長崎店(2016年)など九州エリアへの出店が続いた。また、従来よりも売場を大幅に拡大したハンズビー東急プラザ表参道原宿店(2012年)や、インバウンド消費を狙った東急プラザ銀座店の新業態「ハンズエキスポ」(2016年)なども話題となった。

 こうした拡大路線と並行して、かつての単独店舗の見直しも進んだ。横浜店(1990年開店、地上7階、地下1階)は2013年に横浜モアーズ(5階〜7階)に、札幌店(1998年開店、地上7階)は2018年に東急百貨店さっぽろ店(8階、9階)に、心斎橋店(1999年開店、地上8階、地下1階)は2020年に心斎橋パルコ(9階〜11階)に縮小移転した。東急ハンズから白いタイル状の壁と円柱の外観がなくなり始めたのである。

 さらに、2013年9月には渋谷店のビル[12]、2015年4月には池袋店のビルが不動産会社のヒューリックに買収されたことが明らかになった[13]。創業40周年(2016年8月)を迎えるにあたり、吉浦勝博社長(当時)は「スキップフロアで残っているのは渋谷と三宮だけです。もともと創業の時のスタイルで小さな売り場を色々歩いて見てもらうというのがスタートでしたから。今はフラットな店が多いですね」と話している[14]。しかし、その三宮店(1988年3月開店、地上6階、地下2階)は2020年12月末に、そして池袋店(1984年10月開店、地上8階)も2021年10月末に閉店し(ニトリが改装出店することが2022年4月に報道[15])、「昔ながらの東急ハンズ」は本当にわずかになってしまったのである。

「ハンズマン」による「対面販売」へのこだわり

 ここまで東急ハンズの「思想」とその歩みを確認してきたが、同社が一貫してこだわってきたのは、仕入れ販売員による対面販売である。創業時の東急ハンズは、中高年の職人や技術者を「準社員」として採用することに力をいれた。そしてこの準社員を含む従業員が「全員で仕入れ、全員で販売員になる」という体制を敷き、「この仕入れ販売員こそが、ハンズの店を、どこにもない店へとつくりあげていった」という[16]。商品の仕入れから販売までを一人で担当するこの仕入れ販売員制度こそ、東急ハンズの「らしさ」を形づくっていたのである。

 なお、当時の流通業では仕入れと販売を区別するのが一般的だったため、この仕入れ販売員制度は「素人の発想」と批判されたという。1992年11月の時点で、東急ハンズ全従業員の85%に当たる2700人あまりが仕入れ販売員として売場に立ち、一人当たり約500品目を担当していたようだが[17]、こうした業務を担える人材集めとその育成には苦労したようである。そのため、DIYアドバイザー制度の活用(1983年〜)や専門知識を持つ「技能社員」の採用(1993年〜)、能力開発アドバイザー制度(2003年〜)などさまざまな試みがなされた。

 仕入れ販売員の特徴は「専門性」と「自主性」にある。これらを活かして、仕入れ販売員は「他店にない品ぞろえの面白い売り場」を作り、接客を通じて「コンサルティング」を行う[18]。こうした仕入れ販売員は「ハンズマン」とも呼ばれ、「私の名前と顔を知って、相談にのってもらえることを期待している、おなじみさんが毎週数十人はいらっしゃる」のが喜びだったという[19]。

 ところが、こうした仕入れ販売員の専門性や自主性と衝突したのが、1999年から導入されたプライベートブランド(PB)の「ハンズセレクト」(2011年からは「ハンズプラス」)だった。ハンズセレクトは販売員が消費者から聞いた声を反映し、本部で商品開発や仕入れを行った自主企画である。しかし「当初は自分の仕入れた商品を優先的に販売しようとする店員もいて、PBを(客の目に触れにくい)棚の下の方の場所に置いていたケースもあった」ようである[20]。

 このような仕入れ販売員と本部仕入れのバランスの変化が決定的になったのは、豊洲店(2006年開店)である。豊洲店では本部仕入れの比率を大幅に高め、従業員に占める社員比率を下げ、契約社員を増やすことにした。また横型店舗の豊洲店は既存店よりも天井を高くし、通路幅も広げ、商品が探しやすいよう什器の高さも抑えた。本部仕入れへの切り替えを進め、また商品を見つけやすい空間にすることで、仕入れ販売員(ハンズマン)でなくても販売できる体制にしようとしたのである。

写真⑤ 対面販売員 筆者撮影

 こうした展開を経て、東急ハンズは「実演販売」に力を入れるようになった。実演販売の専任チームが設けられ(2013年)、黒のベストと深緑色のベレー帽、ミドル丈のエプロンといったユニホームも用意し、週末や祝日には各地の店舗に実演販売担当者を配置した。仕入れと販売を区別したうえで、販売と実演を結びつけ、インターネット通販に負けない「ハンズ特有のにぎやかさ」を演出しようとしたのである[21]。

 2018年に新宿店で導入された「Hi! Tenshu」プロジェクトは、ここまで述べてきた仕入れ販売員の部分的復活である。Hi! Tenshuは目利きで定評のある販売員が「店主」となり、仕入れ権限も与えられたうえで、より独創的な売場を店内に数カ所設ける試みである[22]。実演販売であれ、Hi! Tenshuであれ、東急ハンズは店舗の集客力を上げるため、とにかく対面販売にこだわったといえる(写真⑤)。

新型コロナによる「とどめ」

 だからこそ、新型コロナウイルスの感染拡大による行動制限は東急ハンズに大きな打撃となった。緊急事態宣言が解かれた2020年6月、渋谷スクランブルスクエア店ではアバターを使った接客実験が行われている。また2020年7月には、渋谷店でZoomを使った実演販売のオンライン中継が始まった[23]。さらに2021年11月には、心斎橋店でサイバーエージェントや大阪大学と連携し、「Sota」という20体のロボットが接客を行った[24]。アバターであれ、オンライン中継であれ、ロボットであれ、東急ハンズは対面販売にこだわり続けた。

 しかし最終的には、カインズによる東急ハンズの買収が2021年12月22日に発表された。親会社の東急不動産ホールディングスによると、東急ハンズの2021年3月期の営業損益は44億円の赤字にまで転落していた(前の期は1億8100万円の黒字)、という[25]。売場効率の悪さや電子商取引への対応の遅さは以前から指摘されていたが[26]、こうした低迷に新型コロナウイルスによる影響がとどめを刺した形である。

 ここまで見てきたように、創業時の東急ハンズは「手の復権」という「思想」を掲げ、今日まで対面販売にこだわり続けてきた。その意味では、「昔ながらの東急ハンズ」とはまず、縦型店舗の中に男性向けの商品がぎっしり並び、棚の前で仕入れ販売員と世間話をする場所なのかもしれない。

 しかし歴史を踏まえると、こうした「昔ながらの東急ハンズ」は、同社の数あるイメージの中の一つに過ぎない。渋谷店を盛り上げたのは中高年の男性ではなく若年層の女性だった。1994年に女子高生を対象にした調査によると、「好きなファッションビル、総合雑貨店」は東急ハンズ渋谷店、渋谷ロフト、東急ハンズ池袋店の順だった[27]。また東急ハンズでは初期の頃から手編み、陶芸、彫金、ステンドグラスなどの教室が開かれ、クラフト好きな女性のニーズにもしっかり応えてきた[28]。カインズによる買収の報に接した人々は、それぞれがイメージする「昔ながらの東急ハンズ」を懐かしみながら、その時代の終焉を残念がっているのであろう。

写真⑥ 旧札幌店の店頭に並べられた「HINT FILE」 筆者撮影

 個人的な思い出を述べると、東急ハンズといえば、その入口にずらっと並べられた「HINT FILE」である(写真⑥)。これは「HANDS NOTE」として1993年から全国の店舗で無料配布された、家庭でできる補修や手作りの方法を紹介した手引書である(現在は https://hint-file.tokyu-hands.co.jp/ に移行)。東急ハンズでは、まず店頭でHINT FILEを確認し、必要なものをいくつか手にとってから、商品棚をあちこち移動し、ハンズマンに質問する。どれほどの人がこのような歩き方をしていたかはわからないが、こういう順路がそれなりに設計されていたのが筆者にとっての「昔ながらの東急ハンズ」だった。

 縦型店舗から横型店舗へ、男性向けから女性向けへ、そして海外へ。東急ハンズは時代の流れに従いその姿を変えながらも、一貫して「対面販売」にこだわり続けてきた。それがコロナ禍では仇となって同社の経営にとどめを刺した。しかし、創業時に掲げた「手の復権」――「量産された画一的なモノが生活を覆い、使い捨てがよしとされた時代」に問題意識を持ち、「自分の自由意思で、自在にモノを選ぶ」人びとを応援する――という「思想」は、19世紀に急速な機械化を批判したアーツ・アンド・クラフツ運動の現在形と考えることもでき、SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みと共通する点も少なくない。「手の復権」という東急ハンズの「思想」をカインズはいかに引き継ぐことができるのか。今後注目すべきはこの点であるように思う。

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[1]専門量販店とは「特定の商品カテゴリーに特化し、チェーンストア方式とセルフサービスを採用する小売り業態」のことである。東急ハンズの先行事例としては、1972年に開業したホームセンターの「ドイト」がよく知られている(満薗勇『日本流通史:小売業の近現代』有斐閣、2021年、pp.303-306)。

[2]東急ハンズ(編)『東急ハンズの本』東急ハンズ、1986年、p.85

[3]東急ハンズ(編)『東急ハンズの本』東急ハンズ、1986年、p.26

[4]デザイン評論家の柏木博によると、東急ハンズが主張する「手の復権」は、ウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動にまで遡ることができる考え方である(柏木博「電子テクノロジーへの不意打ち」、東急ハンズ(編)『東急ハンズの本 別冊』東急ハンズ、1986年、p.6)。

[5]東急ハンズ(編)『東急ハンズの本』東急ハンズ、1986年、p.121

[6]加島卓「縦長店舗と横長店舗:東急ハンズ」、近森高明+工藤保則(編著)『無印都市の社会学: どこにでもある日常空間をフィールドワークする』 法律文化社、2013年

[7]「高島屋新宿店、集客力と評価――複合施設の魅力、東急ハンズ、紀伊国屋書店…」『日経流通新聞』1996年10月24日

[8]和田けんじ『東急ハンズの秘密』日経BP社、2009年、p.15

[9]「東急不動産、不動産ファンドにハンズ渋谷店の資産売却、事業の再構築急ぐ」『日本経済新聞』2006年11月11日朝刊

[10]「東急ハンズ、ハンズビーたまプラーザ店、小型店で女性取り込み(戦略拠点あすを拓く)」『日経MJ』2010年7月7日

[11]「東急ハンズ、新宿店のビューティライン(戦略拠点あすを拓く)」『日経MJ』2010年12月1日

[12]「ハンズ渋谷店ビル取得、100億円、ヒューリックが再開発へ」『日本経済新聞』2013年9月13日夕刊

[13]「ヒューリック、「池袋東急ハンズ」など買収、2棟を計300億円で」『日本経済新聞』2015年4月4日朝刊

[14]「東急ハンズ社長吉浦勝博さん――コト消費、小型店で開拓、時代に合う提案力磨く(トップに聞く)」『日経MJ』2016年2月1日

[15]「東急ハンズ池袋跡、ニトリ出店へ ヒューリックから取得」『日本経済新聞』2022年4月14日、

[16]東急ハンズ(編)『東急ハンズの本』東急ハンズ、1986年、p.122

[17]「東急ハンズ、道具やゲーム類、まず販売員に使わせます、商品知識深め接客の質高める」『日経流通新聞』1992年11月12日

[18]「東急ハンズ新宿店の挑戦、読ませるメルマガ――仕入れ販売員、自主性を重視」『日経MJ』2002年1月31日

[19]「技能社員(1)専門性生かし契約(ヒト・職場最前線)」『日経流通新聞』1994年9月13日

[20]「東急ハンズ新宿店の挑戦、読ませるメルマガ――仕入れ販売員、自主性を重視」『日経MJ』2002年1月31日

[21]「東急ハンズ新宿店――売り場改革、契約社員と、思い入れ・責任感を醸成(めざせダントツ店)」『日経MJ』2014年5月5日

[22]「東急ハンズ、新宿店を大規模改装、目利き「店主」が品ぞろえ、ホビーや男性用化粧品、売り場づくり、個性前面」『日経MJ』2018年3月2日

[23]「東急ハンズ渋谷店、オンライン実演販売」『日経産業新聞』2020年8月3日

[24]「Re店舗「集う理由」をつくれ、「すること」提案、強さの条件、接客はデジタル×人の力」『日経MJ』2022年1月3日

[25]「ハンズ売却「EC決め手」、東急不HD社長、カインズに優位性」『日本経済新聞』2021年12月24日朝刊

[26]「収益力の改善、東急ハンズ急務、4~6月、営業赤字10億円、東急不、ECで巻き返し」『日本経済新聞』2020年9月1日朝刊

[27]「第47回消費者調査・いまどきの女子高生――雑貨店での買い物好き」『日経流通新聞』1994年6月9日)

[28]東急ハンズ(編)『東急ハンズの本』東急ハンズ、1986年、pp.182-185

 

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執筆者プロフィール
加島卓 1975年生まれ。東海大学文化社会学部広報メディア学科教授。社会学者。専門は、メディア論、社会学、広告史、デザイン史。著書に『オリンピック・デザイン・マーケティング:エンブレム問題からオープンデザインヘ』(河出書房新社)、『〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』(せりか書房)ほか。https://researchmap.jp/takashi-kashima
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