抜群のセンスが発揮された「語学探検記」

高野秀行『語学の天才まで1億光年』

執筆者:小川さやか 2022年10月8日
カテゴリ: カルチャー
 

 アジアやアフリカ、中南米の辺境地帯での探検的活動のために25カ国語以上という驚異的な数の言語を学んだ著者は、やがて語学(言語)そのものを探検の対象にするようになる。本書は、著者のすこぶる面白い、いわば「サバイバル言語学習記」あるいは「語学探検記」であり、外国語と聞くだけで苦手意識に苛まれてしまうという人こそぜひ読んでほしい。学部時代に山登りと海外旅行に明け暮れ、タンザニアで足かけ20年以上調査をして文化人類学者になった評者にも身に覚えがある、「生きた」言語を獲得する秘訣が満載なのだ。

 インドで知りあった自称マレーシア人に身ぐるみ剝がされるという窮地で「切実に話したいことがあれば、話せるようになる」という語学の真実に目覚め、謎の珍獣を探しに出かけたコンゴで、コミュニケーションをとる言語(公用語)と仲良くなるための言語(リンガラ語などの現地語)の二刀流を使いこなす快感を知り、言語ビッグバンが到来。だが謎の珍獣が見つからず、自己の存在意義を見失いかけると、語学=精神安定剤になることを発見。さらに魔術的リアリズムに魅せられて南米アマゾンへ行ったり、タイの大学でマンガを使う日本語講師をしたり、中国で史上最高の語学教師に出会ったり、雲南のアヘン栽培地に潜入したりといった多様な経験を通じて、独自の「語学」を開拓していく。

 「語学の天才まで1億光年」だとしても、著者はある種の天才だ。未知なる世界に分け入ってサバイブするには、知っている単語を使い回すなどの機転に加え、未知なる世界を身近なものに置き換えてみたり、核となる構造を大きくつかんだりするセンスが必要である。そのセンスはソマリのクラン(氏族)どうしの紛争を日本の戦国時代に置き替えて描いてみせた『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)など彼のノンフィクション作品に顕著に示されているが、次々と新しい言語の領野へと乗り出す際にもいかんなく発揮されている。

 たとえば、言語を「内か外か」でみる日本人の言語観と、民族語・共通語・公用語の「三階建て」の階層構造でみるコンゴ人の言語観というように各国の言語観を図的に捉えてみる。音や文法の規則性が高いスペイン語を「平安京」に譬えてみる。極めつきは日本語の漢字の音読みと中国語読みの法則性を自力で発見するなど、言語学における探究までしてしまう。

 自力で法則を見つけたものほど血肉になる知識や技能はない。言語に優劣はなく、どの言語にも等しく謎があり、それを操る人びとの知恵や世界観が込められている。世界を探検するように語学を探検する。その著者の生きざまに筋金入りの語学嫌いも勇気づけられること請けあいだ。

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執筆者プロフィール
小川さやか(おがわさやか) 文化人類学者。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。1978年愛知県生まれ。『都市を生きぬくための狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社)で2011年にサントリー学芸賞(社会・風俗部門)を、『チョンキンマンションのボスは知っている』で第8回河合隼雄学芸賞、第51回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その他著作に『「その日暮らし」の人類学』(光文社)。
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