
「歴史修正主義」というと、わたしたちは過去についての問題だと考えがちだ。実際には、これらは過去の操作を手段として将来的な利益を引き出すための、未来志向な思想である。過去を書き替えることで現在の評価を替え、これによって未来も変えることが意図されている。
現在、歴史の歪曲は、直近の過去を対象になされるようになっている。出来事の発生とほぼ同時に事実の否認が始まる。具体的には、目下のウクライナ戦争が良い例だろう。現在起きていることの隠蔽と否認、これを包み隠すためのメディアを駆使した情報戦とプロパガンダが繰り返されている。
ここに政治的資源が投入され、領土の変更や住民の編入などの制度的変更が加われば、歪曲された過去は社会的に既成事実化してゆく。そうすると事実の否認は、実際に歴史を違った方向へと導いてゆく。遠からぬ将来、ロシアとウクライナでは相当異なる歴史がそれぞれに「正しい歴史」と位置づけられて、国民に受容されていることは間違いない。そしてこの歴史像は、さらに次の世代へと継承されてゆくだろう。
歴史修正主義の歩み
ここで「歴史修正主義の歴史」を簡単に振り返り、現在の状況と比べてみよう。
歴史修正主義は、19世紀末のヨーロッパに登場した。ユダヤ系フランス人将校アルフレド・ドレフュスを、フランス軍部が捏造した文書でドイツのスパイに仕立て上げようとした「ドレフュス事件」がその始まりとされる。20世紀に入ると、第一次世界大戦の開戦責任をめぐって、自国に都合良く書かれた歴史が各国の政治外交の手段とされた。第二次世界大戦後は、戦争犯罪やホロコーストなど、大規模な人権侵害の矮小化が試みられた。
歴史の否認はそもそも、戦争犯罪や人権侵害の当事者による一種の罪状否認であることが多かった。自己保身のための事実の否認は歴史修正主義の原型であり、これは「歴史修正主義1.0」と呼べる。
出来事から時間が経過し、世代が交代すると、今度は歴史の当事者ではない人々が歴史を否認するようになる。彼らは先代により負の歴史を背負わされ、結果として国家としての展望や国民としての自尊心を喪失したとして、その原因とされる歴史の修正を求めた。1980年代末のドイツの歴史家論争では、ナチの歴史の軛から逃れる願望が背景にあったし、日本の文脈では「新しい歴史教科書をつくる会」などが掲げた、東京裁判による「自虐史観からの脱却」がこれに当たるだろう。負の歴史により国家の利益が損なわれているという理解から、「有益な過去」を求める動きが「歴史修正主義2.0」である。
現在、国際政治は「歴史修正主義3.0」の段階に来ているようだ。歴史修正主義が自尊心の問題であった時代がもはや牧歌的に思えるほど、今やこれは政治・経済・軍事と密接に絡み合っている。ここでは歴史の否認と否定は、一連の政治的・軍事的目的達成のための手段として最初から組み込まれているように見える。つまり、過去の否認から始まり、否認を実体化する制度の構築が続き、これにより歴史認識が形成され、最終的には過去の正当化に一巡するという流れが想定されているようだ。
「否定の既成事実化」の事例

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