日米欧「重工業衰退」の将来図(1):潜水艦編

執筆者:安西巧 2025年5月7日
タグ: 日本
エリア: アジア
軍用潜水艦メーカーの2社体制は維持されるべきか[潜水艦「らいげい」の引渡式・自衛艦旗授与式=2025年3月6日、川崎重工業神戸工場](海上自衛隊公式サイトより)
生産拠点の国外移転、デジタル・サービス経済へのシフト、環境・脱炭素政策の影響などにより、1980年代以降の日米欧の重工業は険しい道を歩んできた。グローバリズムが動揺し、世界経済のブロック化が鮮明化しつつある中で、いま各国で進むサプライチェーン再構築は、重工業に新たな役割を求めている。だが、企業側にそれを担う力は残されているのだろうか。

「経営陣が先頭に立ち、不正ができない仕組みの構築、不正発見の強化、組織風土・意識改革に全力で取り組む」

 海上自衛隊潜水艦の修理・検査を巡る裏金問題で川崎重工業社長の橋本康彦(67)は、中間報告を公表した2024年12月27日の記者会見で、再発防止の決意をこう表明した。

「潜水艦裏金事件」と呼ばれたこの不祥事は同年2月26日、大阪国税局が税務調査で、同社船舶海洋ディビジョン神戸造船工場修繕部が請け負った潜水艦修理工事を巡り、下請け企業が絡んだ架空発注が存在することを川重側に伝えたことで発覚。川重が6月14日に設置した特別調査委員会の「中間報告書」によると、不正行為が始まったのは「遅くとも約40年前」の1985年だという。調査が可能な2018〜23年度の6年間だけでも、架空発注の規模は総額17億円に達した。

 蓄積した裏金は、乗組員の求めに応じ提供したゴルフ用品や家電、ゲーム機などの購入費用に充てたほか、高級クラブやガールズバーなどでの飲食接待などにも使われた。「乗組員と良好な関係性を構築することで、業務を円滑に進める」ことが不正行為を続けてきた理由とされ、云わば「必要悪」として代々の担当者に組織的に受け継がれてきた。

遅々として進まぬ“コンプライアンスファースト”

 川重が特別委の「中間報告書」公表と同日に発表した役員処分は拍子抜けするほど軽かった。責任を問われ解任されたのは担当の常務執行役員(エネルギーソリューション&マリンカンパニーバイスプレジデント兼船舶海洋ディビジョン長)だった今村圭吾ただ1人で、退任日は3カ月後の2025年3月31日。他の関係役員は月額報酬の返上にとどまり、社長の橋本ら2人が30%カットを5カ月間、会長の金花芳則(71)ら5人が20%カットを3カ月間とされた。

 言うまでもなく、潜水艦はじめ防衛装備品は税金で賄う。架空発注の規模は「6年間で17億円」とされたが、これが「遅くとも約40年前から続いていた」のなら、盗まれた国民のカネは100億円超に上っていてもおかしくはない。

 防衛装備品を巡るスキャンダルといえば、1998年に発覚した防衛庁調達実施本部背任事件(水増し請求事件)が記憶に残る。敵味方識別装置などを防衛庁(当時)に納入していた「東洋通信機」(神奈川県寒川町、現NECマグナスコミュニケーションズ)が水増し請求によって過大な代金支払いを受けていたとして、親会社のNECの元常務らが逮捕された事件だ。当時、事件の責任を追及され参議院で問責決議案が可決された防衛庁長官、額賀福志郎(81)が辞任に追い込まれたのに加え、NEC「中興の祖」といわれ、当時同社会長だった関本忠弘(2007年死去)が「社会的道義的なけじめをつける」として辞任した。この水増し請求に伴う東京地検特捜部が算定した国の損害は16億9000万円だった。

 社長の橋本、会長の金花はじめ川重首脳陣の責任の取り方を糾弾するのが本稿の主眼ではないが、データ改竄など組織的な不正行為が頻発している重工業界の中でも、この会社のコンプライアンス精神の希薄さは際立っている。

 例えば、2022年6月7日に川重が発表した空調・ボイラー事業子会社「川重冷熱工業」(滋賀県草津市)の検査不正。出荷前の試運転で得られていないビル空調用冷凍機の能力データを水増し表記するなどの不正行為を1984年から2022年まで続けていた。親会社の川重は今回の裏金問題と同様に弁護士らによる特別調査委員会を設置し、2023年3月24日に「調査報告書」を公表。その末尾に原因分析と再発防止策について以下のような文言を掲げていた。

「今後も、経営陣が先頭に立ち、コンプライアンスファーストの意識醸成と二度とコンプライアンス違反を起こさない仕組み作り、企業風土改革を推進し、全社員一丸となって再発防止策を着実に進めていく所存です」

 2024年末に社長の橋本が「潜水艦裏金事件」について語った“決意表明”と何も変わらぬ内容である。

 2022年6月に川重冷熱の検査不正が表面化した当時、橋本は既に社長の座に着いていた。東海道新幹線の台車亀裂や米国向け地下鉄車両の品質不良問題で業績悪化に見舞われた前社長(現会長)の金花からバトンを受け継いだのは2020年6月だ。川重冷熱の不祥事発覚以降、親会社の川重は同様の不正が行われていないかを調べる目的でグループ全社の「総点検」を行ったり、約4万人の全従業員を対象にしたコンプライアンス意識調査を実施したが、今回の潜水艦裏金問題は露見せず、2024年8月に発覚した船舶用エンジンの燃費データの改竄についても内部告発の声は上がらなかった。

 同社はエネルギー・船舶や航空機部品、鉄道・車両や精密機械・ロボット、二輪車など売上高2000億〜6000億円前後に達する主要部門が5つあり、それぞれ独立志向が旺盛で、社内外では「事業部あって本社なし」と揶揄されてきた。部門間の異動が少なく、組織が蛸壺化し、風通しの悪さは折り紙付きだった。

 加えて、橋本は造船や鉄道、航空機部門の出身者で占められていた歴代トップと異なり、初めて精密機械・ロボット部門から抜擢された社長である。同部門の2024年3月期売上高2279億円は、セグメント別では5部門中4番目(首位は二輪車部門の5924億円)で、事業損益は19億円の赤字だ。出身部門が脆弱な橋本にとって、川重グループが抱える縦割り解消は難問だ。畑違いの造船部門の中でもとりわけ把握が難しい防衛装備品の不祥事は、再発防止でリーダーシップを取ろうにも手を拱くところがあるのだろう。

「2社体制」見直しは避けられない

 よく知られているように、潜水艦を製造できる日本企業は川重と三菱重工業の2社だけだ。両社の潜水艦製造拠点はいずれも神戸市内にあり、直線距離で約3キロしか離れていない。島国の日本は潜水艦製造の「2社体制」にこだわってきた。

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執筆者プロフィール
安西巧(あんざいたくみ) ジャーナリスト 1959年福岡県北九州市生まれ。1983年早稲田大学政治経済学部政治学科卒、日本経済新聞社入社。主に企業取材の第一線で記者活動。広島支局長、編集委員などを歴任し、2024年フリーに。フォーサイトでは「杜耕次」のペンネームでも執筆。著書に『経団連 落日の財界総本山』『広島はすごい』『マツダとカープ 松田ファミリーの100年史』(以上、新潮社)、『さらば国策産業 電力改革450日の迷走』『ソニー&松下 失われたDNA』『西武争奪 資産2兆円をめぐる攻防』『歴史に学ぶ プロ野球16球団拡大構想』(以上、日本経済新聞出版)など。
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