
キューバのフィデル・カストロ首相(左)と手を取り合うフルシチョフ・ソ連共産党第1書記[モスクワにて、1963年5月1日(肩書はともに当時)](C)AFP=時事
3. スターリンのいないソ連
フルシチョフの権力闘争
スターリン死後、幹部会ビュローは直ちに廃止され、モロトフとミコヤンを含む従来の政治局の構成が復活した(名称は「幹部会」のまま)。モロトフ夫人ジェムチュージナも解放された。マレンコフが首相(従来はスターリン)となり、ベリヤが内相となり、モロトフが外相に復帰し、ブルガーニンが国防相となった。フルシチョフは党書記として「中央委員会の仕事に集中する」と発表された。1953年3月14日にはマレンコフが党書記の仕事から離れ、フルシチョフが党書記局で指導的役割を得たが、これは必ずしもフルシチョフの権限強化を意味しない。むしろ、今後はソ連政治の中心は政府・行政機構が果たし、党機構はそれをサポートするという構図が示唆されていた1。

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