[キャンベラ、シドニー、ロンドン発/ロイター]アサンジのオーストラリア人弁護士であるジェニファー・ロビンソンは、米政府中枢に対する外交と熱心なロビー活動がアサンジの釈放に大きく寄与したと感謝した。アサンジはロンドンのエクアドル大使館に7年間潜伏した後、厳重に警備されたイギリスの刑務所に5年間収監されていた。
「あらゆる機会を捉えてオーストラリアの当局者たちは米政府と接触し、その際には首相の希望を全面的に代弁していた」。ロビンソンはサイパンの裁判所外で記者団に語った。
オーストラリア政府は自国民を苦境から救うため、米英との同盟関係を有効に活用した。アルバニージー首相は、アサンジの釈放はオーストラリアにとっての勝利であると誇った。「とても複雑な作業であり、熟慮を要したが、世界のどこでも自国民を守るとはこういうことだと示すことができた」。中道左派の労働党政権を率いるアルバニージーは釈放に際して、議会でこう語った。
26日夕方、アサンジは母国オーストラリアに降り立ち自由の身になったが、それ以前、17件の米スパイ活動法違反容疑と1件のハッキング関連の容疑で起訴され最大で懲役175年の刑を受ける可能性があった。数日前に明かされた司法取引により、スパイ活動法1件で有罪を認めて禁固刑を受ける代わりにイギリスでの収監期間を差し引かれて、自由の身となった。
司法取引が浮上したきっかけのひとつは、オーストラリアの議員や外交官がワシントンとロンドンでの働きかけを続ける中、アメリカへの身柄引渡しについてイギリス国内でその合法性を疑う声が高まったことだった。
「アルバニージー首相と、ジュリアンの釈放のために動いてくださった政府のみなさんに感謝します」。アサンジがキャンベラに無事着陸した直後、妻のステラはそう語った。「そして、オーストラリアの人々にも感謝します。みなさんが支持してくださらなかったら、ジュリアンの釈放を可能にする政治的余地は生まれませんでした」。
政治的な変化
10年前の保守党政権であったなら、アサンジを支援する意思はオーストラリア政府になかった。だが2023年、党派を超えて十数人の議員がアサンジを取り戻そうというキャンペーンに加わったことで事態は動き始めたと、アサンジの父親であるジョン・シプトンはロイターに語った。これに弾みを得て今年2月、豪議会は米英両国に対してアサンジを帰国させるよう求める決議案を可決した。
シプトンはロイターの取材に答えて、オーストラリア政府は「ただただ素晴らしかった」と語り、駐米大使を務めるケビン・ラッド元首相と駐英大使であるスティーヴン・スミス元国防相を高く評価した。
オーストラリア保守系議員で元副首相のバーナビー・ジョイスは、昨年9月にワシントンを訪れて問題解決を働きかけた超党派議員のひとりだ。ジョイスによれば、議員たちは米議会に対して、両国の安全保障同盟の邪魔になるこの一件を「速く片付けてしまいたい」というオーストラリア側の意志を明確に伝えたと言う。この訪問によって、米議員たちは「この問題が党同士の政治駆け引きではない」ことを印象づけることができたと、アサンジ支援活動の顧問を長く勤めてきた弁護士のグレッグ・バーンズは言う。
ある政府高官が匿名を条件に語ったところによれば、最初の突破口は2021年1月、イギリスの裁判所がアサンジのアメリカへの身柄引渡しを認めない判決を下した後、当時影の司法相だったマーク・ドレイファスが、アサンジの訴追を取り下げるよう求める声明を出したことだった。
「オーストラリアの主要政党がアサンジの釈放を求めた最初の動きだった」。この政府高官は言った。

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