
ロシア・ウクライナ戦争の停戦に向けたドナルド・トランプ米大統領の仲介外交は、「就任初日に戦争を止める」と大統領選で公言していたトランプ氏の思惑とは裏腹に、行き詰まりを見せている。戦闘の終わりが見通せない中で「戦争責任」を論じるのは時期尚早のように思えるが、実は2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻直後から、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の責任を問い、処罰を与えるための議論が関係国の間で進められ、最近も新たな動きが続く。大国による国際法軽視の流れに抗い、「法の支配」の回復につなげられるだろうか。
プーチン氏の責任追及の先頭に立つのが、オランダ・ハーグにある国際刑事裁判所(ICC)である。昨年3月に日本の検察官出身の赤根智子氏が所長に就いたことで、日本でも注目度が高まった。2023年3月、ウクライナから子どもを連れ去った戦争犯罪の疑いで、プーチン氏に逮捕状を出した。
一方、常設の国際刑事法廷であるICCとは別に、ロシア・ウクライナ戦争に特化した特別法廷を創設し、侵略犯罪を追及するという構想も検討されている。国連総会の決議に基づいて創設する案や、ウクライナの国内法に基づいて設立する案を中心に、関係国が議論している。
現時点では、いずれのケースも実現に向けたハードルは高いが、その成否はいずれ訪れる「ウクライナ後」の国際社会のあり方を左右する。日本の関わり方を含め、順を追ってみていきたい。
米国制裁の打撃と波紋
まずICCである。戦争犯罪などを侵した疑いのある「個人」を捜査・訴追する検察官と、それを裁く裁判官で主に構成されており、国連から独立した常設の国際刑事法廷として2002年に設立された。125カ国・地域が加盟しているが、米国、ロシア、中国などは非加盟だ。
ICCを取り巻く環境は厳しさを増している。ICCがプーチン氏に逮捕状を出すと、ロシアは報復として、逮捕状を出す決定に関わった赤根氏らを指名手配した。
逮捕状が執行され、プーチン氏の身柄が拘束される見通しは立っていない。加盟国にはICCが逮捕状を発行した容疑者の身柄拘束に協力する義務があるが、モンゴルは昨年9月にプーチン氏の訪問を受け入れ、逮捕義務を履行しなかった。身柄拘束はおろか、プーチン氏の移動の自由を抑止するという点でも、逮捕状の効果は限定的だと言わざるを得ない。
だが、ICCにとって最大の逆風は、なんといっても米国である。プーチン氏への逮捕状については、当時のバイデン政権が全面的に支持を表明していたが、昨年11月にICCがパレスチナ自治区ガザへの攻撃をめぐる人道に対する罪と戦争犯罪容疑でイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相に逮捕状を出すと、一転してこれを強く批判。続くトランプ政権は今年2月、ICC職員らに制裁を科す大統領令に署名した。
真っ先に制裁対象に指定されたのはカリム・カーン主任検察官だ。
関係者によると、大統領令署名から数日後には、カーン氏はパソコンなどからICCのシステムにアクセスすることができなくなった。システムに米国企業が提供するソフトウェアなどが使われているためとみられる。
ICCはデジタル化が進み、捜査・証拠資料はすべて紙媒体ではなく電子データでやり取りされる。このため、カーン氏のオフィスでは、システムからはじき出されたカーン氏のために、スタッフが膨大な資料や連絡事項をプリントアウトして手渡すといった、煩雑きわまりない作業を強いられていたという。カーン氏は5月16日、自らのセクハラ疑惑をめぐる国連の調査が終わるまでの「休職」を発表したが、制裁で業務に支障が生じていた影響もあったのではないか。
続く6月5日には、新たにICC裁判官4人が制裁対象に加えられた。米国政府は、4人がネタニヤフ首相らの逮捕状発行と、アフガニスタンでの米兵に関する捜査をそれぞれ許可したことを理由に挙げたが、4人の出身国はウガンダ、ペルー、ベナン、スロベニアで、同じ部署で案件に関わったフランスの裁判官や、当時裁判官だった赤根所長は含まれていない。「小国」を狙い撃ちして揺さぶりをかける狙いがうかがえる。

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