4月22日にカシミール地方で起きたテロを契機に激化した印パ対立は、5月7日にインドがパキスタンに報復攻撃を実施したことで世界的に大きな注目を集めた。インドは、パキスタン領および同国が実効支配するカシミールにおける過激派勢力の拠点が標的であり、民間人や軍は攻撃していないと主張した。だがパキスタン側も対抗し、インド側に反撃した。攻撃の応酬による事態のエスカレートが懸念された——両国とも核保有国である——が、5月10日に停戦が合意され、結果的には戦闘は4日間で終結した。
今回の印パ対立をめぐり、多くの論考が発表されている。双方とも断固とした姿勢を示す一方で、全面戦争、すなわち「第4次印パ戦争」にまで発展することは望んでいなかったという両国の「本音」を指摘するもの、戦闘機やミサイルといった両軍の装備品の性能に焦点を当てたもの、テロや今回の戦闘の主な舞台となったカシミールについて取り上げたものなどである。こうしたさまざまな論点は複雑な問題の諸相を明らかにするものであるが、本稿では「マンダラ的世界観」という視点からアプローチする。
一連の事態をめぐっては、印パ二国間の枠組みで捉えられることが多く、第三国の関与については「仲介」を主張するアメリカ、あるいは兵器面で中国に言及される程度に留まっている。だが、実態はさらに複雑であり、これを理解するためには印パの周囲に位置する国々の動向や思惑を含めて検討されなくてはならない。その点、「マンダラ的世界観」はインドが自国および周辺国との関係をどう位置づけ、利益を最大化すべくどう臨んでいくべきかを示す伝統的な見方であり、今回の事態を合理的に説明することができるのである。
古代インドの戦略書『実利論』が説く「マンダラ」とは何か
「マンダラ的世界観」とは、古代インドの戦略書『実利論(Arthashastra)』で説かれている世界観のことだ。インド亜大陸は、紀元前317年頃に興ったマウリヤ朝によってほぼ全土が統一された。王となったチャンドラグプタを宰相として補佐したのが、カウティリヤという人物である。『実利論』は彼の統治論をベースにその後の数百年で形成されたものと考えられており、マックス・ウェーバーが『職業としての政治』の中で「カウティリヤの『実利論』に比べれば、マキャヴェリの『君主論』などたわいのないものである」と指摘するほど、冷徹なリアリズムが貫かれている。
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