光通信バブルを煽ったのは誰か

執筆者:石山新平 2000年6月号
タグ: 日本

拍車をかけたのは「投資信託」の無責任「百年に一度の事業機会が、当社の事業の延長線上にある」「私が描く当社の将来像に比べると(株価は)安すぎると思う」――。光通信の重田康光社長が金融専門紙のコラムで語った感想は、今となっては異次元の世界の出来事であったかのように虚ろに響く。 重田社長が「安すぎる」と言い切った時点の光通信の株価は二十万円。額面五十円の四千倍である。その半月後には二十四万一千円の最高値をつけた。それからわずか三カ月半、熱病から覚めた株価はまさに「釣瓶落とし」。六月一日には五千円を割り込み、翌二日には三千七百六十円まで下げた。高値のわずか一・六%。ピーク時に七兆四千六百億円に達した時価総額のうち七兆三千五百億円が泡と消えた。

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