昨年末の十二月二十日は、旧ソ連の政治警察「反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会」(略称チェーカー)の創設九十周年記念日だった。ジェルジンスキー議長の下、当初の要員は二十三人しかいなかった。 旧ソ連共産党の治安・情報機関はその後、国家保安部(GPU)、合同国家保安部(OGPU)、内務人民委員部(NKVD)、一九五四年から国家保安委員会(KGB)と名を変えて拡大、強化されたが、九一年末のソ連崩壊で解体、分割された。後身には、現在の連邦保安局(FSB)、対外情報局(SVR)などがある。 世界最大の情報機関だったKGBはソ連崩壊で屈辱と苦難の時代をくぐり抜けた。国を売り、仲間を裏切って、仇敵米国に亡命した高官もいた。KGBスパイを経てFSB長官を務めた経歴を持つプーチン大統領自身がそんな歴史の生き証人だった。
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