[ボー(スーダン)発]永田町で政策秘書として働き始めたのは二〇〇一年九月十一日の米同時多発テロ事件の二週間後。にわかに外交安全保障に注目が集まる中で、テロ対策特別措置法やイラク特措法に関する国会質問を作る仕事にやりがいを感じる一方、日本の政治に限界も感じた。今でも覚えているのは、自衛隊のイラク派遣をめぐる議論の閉塞感だ。はじめから「落としどころ」を意識しての議論は、深まることも、新たな可能性が提示されることもなく、消化不良のまま閉じられた。 言うまでもなく政治の場での行動原理は国益だ。「イラクの人にとって」という問題設定は、建前あるいは修辞としてはともかく、現実的な政策に反映させるには現場の情報が圧倒的に足りない。当時の私たちの情報源は外務省ならびに地域専門家二名のみ。現在私が勤務するピースウィンズ・ジャパン(PWJ)をはじめ日本のNGO(非政府組織)も現地で活動していたが、情報は不十分だった。
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