北欧や大陸ヨーロッパで、移民が持ち込んだ犯罪が社会問題になっている。被害者はすべて女性――。現地でその実態に迫った。
[ストックホルム発]二〇〇八年三月、スウェーデン南部のマルメ市にある自宅のベランダから十六歳の少女が突き落とされて死亡する事件があり、十九歳の兄と三十八歳の義理の父が殺人容疑で逮捕された。スウェーデンでは〇七年三月から一年間に少なくとも八人の若い女性がベランダから転落する事件が起き、うち四人が死亡した。その不可解な状況から、メディアや人権活動家はこれらの事件が殺人か、自殺を強いられた「名誉殺人」の可能性が高いと声を上げた。しかし、警察はいずれも事故か自殺として片づけた。
honor killing(名誉殺人=訳語として的確でないかもしれないが、便宜上こう訳す)とは、「一家の名誉を傷つけるような淫らな行為をした」とされる女性(妻や娘)を、その夫や親兄弟など親族の男性が殺害することを指し、パキスタンや、イラクとトルコに広がるクルド人地域などに多く見られる。宗教よりも、部族的慣習に根ざすものだ。彼らは、殺害によって「家族の恥をぬぐい去り名誉を回復できる」と考える。近年、スウェーデンやイギリス、ドイツなどで若い移民女性が「名誉殺人」(及び未遂)の被害に遭っていることがわかり、移民の流入に伴ってこの悪習がヨーロッパにも持ち込まれている事実が見えてきた。
被害に遭った女性ツッバ(二二)に会うために、スウェーデン西海岸にある小さな町に向かった。イェーテボリ市から南下して、ある小さな駅から電話すると、ベールを被ったツッバの母親が迎えにきてくれた。家に着くと、髪をブロンドに染めたツッバが車椅子で現れた。銃弾で脊髄が傷つき、下半身不随なのだ。
クルド人のツッバの家族はトルコ政府の弾圧を逃れ、一九九八年に政治難民としてスウェーデンに来た。他の多くのイスラム系移民と違い、比較的柔軟な考え方をもつ家族で、「特に母は、私が教育を受けて医師になるという夢を実現できるよう励ましてくれました」と語る。
しかし、スウェーデン国籍を得て、トルコとの往来が自由になると、クルドの村の親戚はツッバに、いとことの結婚を強いるようになる。ツッバは断り続けたが、圧力は帰郷を重ねるたびに強くなった。おばは「息子との結婚を拒否するのなら、お前は墓場行きだ!」と脅したという。息子とツッバとの結婚は、一家がスウェーデンへ移民する道を開くだけに、おばは必死だった。
だが〇六年、当時十九歳のツッバは帰郷中に村で出会った男性とデートし始める。未婚の男女が二人きりになることは御法度なので、デートには必ず弟が同行した。しかし、その夜、弟は約束の場所に現れなかった。恋人と二人でベンチに座っていると、突然銃声が響き、ツッバの右肩に激痛が走った。さらに二発が左下腹部を貫いた。
「いたる所から血が流れ出し、私は傷口を押さえながら、助けを求めました。現場で二人の男性を見ました。撃ったのは結婚を迫るいとこの親友でした」。顔を強張らせながら、ツッバは事件を振り返った。
二週間、ツッバは昏睡状態に陥った。意識を回復した後も、報復を恐れるあまり、トルコ警察の事情聴取には「犯人を見ていない」と証言。この事件では誰一人逮捕されていない。最近になって、スウェーデンの弁護士の励ましを受けて、ようやく犯人を名指しすることができた。だが、これがトルコでの犯人逮捕に繋がるかどうかはわからない。
「秘密の逢い引き場所を知っていたのは弟だけです。弟といとこが共謀したのです」。ツッバはきっぱりと私に言った。「撃った犯人が憎い。彼らを処罰してほしい」。涙を流しながら、彼女はそう繰り返した。
阻止できなかった事件
スウェーデンで、「名誉殺人」の存在が広く社会に知られ、移民問題をとりまく政治論争にまで発展したきっかけは、〇二年にファディメ・シャヒンダールが父親に射殺されるという事件が起きたことだ。彼女はメディアで名誉殺人の恐ろしさについて訴えていたにもかかわらず、その殺害を誰も阻止することができなかったからだ。ファディメの悲劇も、ツッバの経験によく似ている。
クルド人のシャヒンダール一家は八一年、ファディメが七歳の時にトルコから移民してきた。父親や親戚の男たちは娘たちがスウェーデン人と関わることを禁じた。しかし教育を受けたファディメは、自立して生きる道を夢見て、家族と対峙した。
二十二歳になったファディメには、スウェーデン人の恋人ができた。秘密にしていたが、ある日父親に見つかってしまう。九八年、「ファディメと恋人を殺す」と脅迫する父と兄を告訴したファディメは勝訴。兄は一年の保護観察処分になり、父親はファディメを自由にすると誓わせられた。だが、一カ月後の大雨の日に、恋人は「運転を誤って」死亡。捜査では車への不審な工作の跡は見つからなかった。そして、その一週間後に「偶然出会った」兄が彼女に激しい暴力をふるう。それでも警察は「家族と仲直りするように」と、警報装置をわたすだけだった。
頼る人もないファディメはテレビに出演し、スウェーデンに存在する「名誉殺人」の実態を社会に訴えかけた。反響は大きく、同じような抑圧の下に生きる移民女性の存在が浮き彫りになった。〇一年十一月には、スウェーデン議会で「名誉文化」の存在とその恐怖について証言した。
そして、二カ月後、ファディメは母と妹に会うため密かにスウェーデンでの故郷の町ウップサーラを訪れた。ところが、妹のアパートに父親が銃を持って押し入り、ファディメの頭を撃ち抜いた。即死だった。
ウップサーラのキリスト教教会で行なわれたファディメの追悼式典にはスウェーデンのビクトリア王女や国会議長、社会統合大臣、法務大臣をはじめ四千人が参列した。いまやスウェーデン人でファディメの事件を知らない人はいない。
実行犯は未成年も多い
「名誉殺人」は性的に不道徳とされる女性の行ないが、家族に恥をもたらし、それによって家族全体、場合によっては親族や部族一同にまでその不名誉が及ぶと信じる特殊な「名誉文化」社会でおこる。「不道徳とされる行ない」とは、主に婚前交渉や姦通だが、生活や思想が欧米化しすぎた、恋人ができた、親が決めた結婚を拒否した、さらには「ふしだらだ」と周りから噂された、といった理由で殺された女性もいる。
「名誉殺人」が、男性の嫉妬による痴情犯罪や家庭内暴力と性質を異にするのは、家族や親族一同によってその実行が決定される、マフィアにも似た集団行為であることだ。家族や親戚は、時には海外からも集まって一人の女性の「処分」を話し合い、殺害を決定した場合は遂行者が選ばれる。刑の軽減を狙って、殺害は未成年に託されることが多い。
〇二年の「国連の女性に対する暴力についての特別報告書」によると「名誉殺人」の存在が確認されているのは、パキスタン、トルコ、ヨルダン、シリア、エジプト、レバノン、イラン、イエメン、モロッコ、ペルシャ湾岸諸国である。多くがイスラム圏の国々だが、同様の主旨で殺害を行なうキリスト教徒もいる。ヨーロッパでは、イギリス、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、オランダ、ドイツ、フランスに住む前記国からの移民の一部が行なっている。
報告書は、世界中で年間約五千人もの女性が「家族の名誉」に絡んで殺されていると推測しているが、名誉犯罪の廃絶運動に関わるNGO(非政府組織)は、この数字は氷山の一角に過ぎないという。
正確な数字がつかめない理由はいくつかある。ヨーロッパでは刑罰が厳しいために、名誉殺人を行なっても事故死や自殺を装うことが少なくない。たとえば「ベランダ殺人」は、家族が女性を追いつめて、ベランダから飛び降りさせるか突き落として自殺に見せかける方法で、中東などでよく見られる。また、海外で殺害されて行方不明のままのケースも多い。さらに、警察や司法当局が、女性の殺害や不可解な死を「名誉殺人」と認識せず、統計に加えていない場合もある。そもそも、被害者の家族が共謀して実行する犯罪のため、証言がとりにくく、捜査には特殊なノウハウが必要とされる。しかし、対応できるスペシャリストは警察や検察にほとんどいない。
もうひとつ、この問題への対応を難しくしているのが、「人種差別主義」と呼ばれることに極端に神経を尖らせるスウェーデンの国民性だ。
〇八年の時点で、スウェーデンは人口九百万人のうち二〇%が移民か移民の血を引くといわれる移民社会だ。そこで、強制結婚や過剰に一族の名誉に拘るといった移民の文化的慣習に歯止めをかけるような政策を実行しようとすれば、必ず「人種差別だ」という批判の声があがる。勢い、この問題に関する議論は腫れ物に触るようになってしまうのだ。
一方で、イラク移民の人権活動家サラ・モハメッドやクルド系ジャーナリストのディルシャ・テミルバグスタンなどは「名誉を口実にした暴力は移民文化に根ざすもの。解決の糸口をつかむには、その文化的背景に目を向けなければならない」と、移民問題を直視する必要性を説く。
論争の狭間で、今も移民女性が犠牲になりつづけている。
Utsumi Natsuko●神戸市出身。米ハーバード大学ケネディ公共政策大学院修了。ニューヨークに拠点を置きながら、旧ユーゴスラビアで起きた紛争における女性虐待やアメリカの家庭内暴力など、世界各地での取材を続ける。著書に『ドキュメント 女子割礼』(集英社新書)がある。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。