「ものすごく生意気だったから、こりゃあ頭を押さえられるだろうなと。それが恐怖でしたね。自分が思うことも言えない人間にだんだんとなっていくのは哀しいこと。それを予感するのがとても嫌だった」「医者には向かなかったですねぇ。患者さんを真剣に思いやる気持ちというのが僕にはなかった。医者の世界はこれから斜陽産業になっていくとあの頃から確信していましたけど、産業だなんて、そんなふうにモノを考える奴が医者になっちゃいけないんですよ。本当に向かなかったですねぇ」 広島学院高校から慶應義塾大学医学部に進んだ金子恭規(一九五三年生れ)は、「患者さんを助けたいと心から思う人以外、医学部を出てもそこには何もない」と結論づけ、医局に入って半年で退職。一九七八年、カナダとアメリカへ初めての海外旅行に出た。「医者の狭い世界」での言いようのない閉塞感から解き放たれて「明るい気分になっていた」金子に、カリフォルニアの空気がすんなりと馴染んだ。
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