戦前の政党政治家のチャンピオンの一人だった犬養毅首相が陸海軍の青年将校に「問答無用」と暗殺された一九三二年の五・一五事件を機に、大正デモクラシー以来の日本の政党政治は終焉を迎えたといわれる。軍部にねじ伏せられた当時の政治体制は、今回の総選挙で民主党の菅直人代表が実現を訴えた「政権交代のある二大政党制」だった。政友会総裁だった犬養の前任の首相は民政党総裁の若槻礼次郎、その前の前は政友会総裁の田中義一、さらにその前は民政党の前身の憲政会総裁だった若槻と、天皇の指名によってではあったが、実際に二大政党間で政権のキャッチボールが行なわれていたのである。
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