国際人のための日本古代史 (59)

「舒明天皇の謎」を喚起する「小山田遺跡」新発見

執筆者:関裕二 2015年2月10日
タグ: 日本
エリア: アジア

 常識を覆す墳墓が発見されるたびに、被葬者はいったい誰なのか、なぜそこに葬られたのかと、謎は想像力を掻き立てる。奈良県高市郡明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)のすぐ近くで発見された小山田(こやまだ)遺跡も、大きな謎を残してくれた。

 墳丘の一部と濠のあとが見つかり、一辺が50メートル超の巨大方墳で7世紀中頃の造営とわかった。石舞台古墳よりも大きく、飛鳥時代最大級だ。

 

即位をめぐる不可解さ

 橿原(かしはら)考古学研究所は、西暦641年に亡くなった第34代舒明(じょめい)天皇が最初に葬られた墓ではないかと疑っている。舒明天皇は、天智・天武天皇の父親である。『日本書紀』には、皇極元年(642)12月、滑谷岡(なめはざまのおか。場所は不明。明日香村か?)に葬ったとある。年代が合致して、しかも王の墓にふさわしい規模なのだ。

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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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