カンボジアを「育て」フン・センに「命を絶たれた」ジャーナリスト「バーナード・クリッシャー」の軌跡

野党カンボジア救国党(CNRP)党首ケム・ソカーの逮捕を伝える『カンボジア・デイリー』1面トップ。これが最終号となってしまった

 

 バーナード・クリッシャーが両親に連れられフランスへ「休暇」に出かけたのは6歳の時。ドイツにおける民族迫害の激化を受けてのことだった。クリッシャーはこの人生の始まりの時のみならず、後年にも独裁主義に関わることになるのだが、それを当時はもちろんまだ知る由もない。1937年の終わりに始まった両親とのその長き旅は、パリとポルトガルを経てニューヨークのクイーンズでついに終わる。クリッシャーはこの地において、わずか12歳で初めて新聞を作り、その後ジャーナリズムは彼の仕事となり、彼の人生を物語るものとなった。

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執筆者プロフィール
インゴ・ギュンター(いんごぎゅんたー) メディア・アーティスト。1957年生れのドイツ人。ゲーテ大学で、民族学と文化人類学を専攻するとともに、デュッセルドルフのアート・アカデミーでヨーゼフ・ボイスに師事。その後、ナム・ジュン・パイクのアシスタントをしながら、ビデオアートを学ぶ。地球儀をキャンパスに世界情勢を描く手法で知られ、その作品は1994年から99年までの6年間、フォーサイトの表紙を飾った。フォーサイトのフェイスブックの表紙も最近の地球儀アートの1つ。2006年から07年に東京芸術大学客員教授を務めた。
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