シリーズ:中国「見そこない」の歴史(2)柳田謙十郎の場合(上)

執筆者:樋泉克夫 2018年4月18日
カテゴリ: 国際 政治 文化・歴史
エリア: 中国・台湾
柳田が「建築美」と称賛した万寿山(C)EPA=時事

 

柳田謙十郎『北京』(『世界紀行文学全集』修道社 1971年)

 

 戦前は西田(幾多郎)哲学を信奉する哲学の徒として知られた存在だった柳田謙十郎(明治26~昭和58年)は、敗戦から5年、中華人民共和国建国から1年が過ぎた1950年には、マルクス主義唯物論者への転向を明らかにしている。4年後の1954年12月、『わが真実への旅 柳田謙十郎平和紀行』(青木書店)を発表し、そこに中国での体験を収めた。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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