Bookworm (60)

谷津矢車『奇説無惨絵条々』

評者:縄田一男(文芸評論家)

狂言作者「河竹黙阿弥」を
めぐる5篇の戯作の物語

やつ・やぐるま 1986年、東京都生れ。13年、『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『安土唐獅子画狂伝 狩野永徳』『刀と算盤 馬律流青春雙六』など多数。

 谷津矢車の新作は、狂言作者・河竹黙阿弥をめぐる5篇の戯作の物語である。
 黙阿弥に台本を書かせようとする歌舞伎新報の編集人・幾次郎は、古本屋の主人から5篇の戯作を渡される。
 作品は、その5篇の戯作を幾次郎が読んでいき、前後に幕間として古本屋の主人と幾次郎の作品に対する寸評や当時の時代背景に対する意見等が交されていく、という趣向である。
 第1話の「だらだら祭りの頃に」は、御存じ大坂屋花鳥が登場する物語で、まずは、お手並拝見といったところ――。
 ところが、第2話「雲州下屋敷の幽霊」がはじまるや、生きながら幽霊となってしまった雲州松平家当主・宗衍(むねのぶ)の行状が凄惨を極めたタッチで描かれていく。宗衍の懊悩は、どんな仕打ちを受けても、江戸は極楽です、という侍女お幸との対比によって描かれるが、そのお幸の背中に幽霊の刺青を入れさせる場面は、彫師が蝋燭の灯を頼りに墨を入れているときの、蝋のジッ、ジッ、という音が聞こえてきそうな案配だ。
 だが、こんなことで驚いてはいられない。第3話「女の顔」は、講談の〈大岡政談〉の中で、唯一、大岡越前が本当に裁きを下した“白子屋お熊”の1件に材を得たもので、本書の白眉である。作者は戯作の本質をとらえており、その悪の凄まじさを酸鼻を極めた場面で提出している。
 続く第4話「落合宿の仇討」は、私にも元ネタが分かるので、個人的には最も興味深く読んだ。ここに描かれている明石の殿様への仇討は、もともと浪曲や講談にある〈明石の仇討〉に依ったもの。実は、映画『十三人の刺客』(監督・工藤栄一、東映、昭和38年)の脚本を書いた池上金男(池宮彰一郎)から、私はこの作品が、前述の浪曲・講談をふくらましたものだと、直接聞いたことがある。映画はDVDが出ているので、ぜひ、較べてみることをお勧めする。
 そして第5話の「夢の浮橋」は、歌舞伎の〈吉原百人斬り〉を、怪我人1人に死人が2人と、リアリズムに徹して描いたもの。
 この5篇の戯作だけでも、充分、楽しめるが、最後の幕間で、黙阿弥が幾次郎にいうことば――「だが、今の演劇改良は筋が悪い。お上主導はいけないよ。(中略)芝居は―物語は」どういう人々のためのものか、というくだりでは、思わず、目頭が熱くなった。未読の方のため詳述はできないが、これぞ谷津矢車の作家としての矜持であろう。傑作である。

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