香港のアグネス「衝撃逮捕」の狙いは日本への影響力封じか

執筆者:野嶋剛 2020年8月13日
タグ: 香港 中国
エリア: アジア
世界に衝撃が走った周庭さんの逮捕(C)AFP=時事
 

 

 香港の民主活動家、アグネス・チョウ(周庭)さんが8月10日、国家安全維持法(国安法)違反の容疑で逮捕された。11日深夜に保釈されたものの、今後起訴された場合、裁判を経て有罪判決が下れば、長期の有期刑も覚悟しなければならない可能性がある。

 保釈された周庭さんは、

「国安法はまさに政治的弾圧をするためのものじゃないか。もともと法律は市民の権利を守るものだが、今香港政府にとって法律は市民の権利を侵害するものになってしまった」

 と、突然の逮捕を強く批判した。

 活動家のなかでは比較的穏健なグループに属しており、国安法の施行時に政治団体「デモシスト」からの脱退を表明していた周庭さんが逮捕されたのは、日本でのSNSを中心とする世論への絶大な影響力に目をつけた香港当局の狙い撃ちだった可能性がある。

 周庭さんの逮捕は、単なる一活動家の逮捕ではなく、香港当局の対日工作の一環として考えておく視点が必要である。

「今回が最もびっくりした」

 周庭さんは10日夜に逮捕され、11日の深夜に保釈された。

 香港の刑事司法制度では通常、日本のような長期勾留は行われない。容疑者は逮捕後に拘置所に置かれるが、特別な理由がない限りは48時間以内に保釈される。それから調べが続いて、起訴、裁判、判決となって有罪の実刑判決が出た場合に収監されることになる。

 周庭さんは旅券などが没収されたと伝えられるので、出国はできない。ただ、もともと別の事件の裁判中であったので、外国への出国は難しい状況にあった。

 それにしても、今回の周庭さんの逮捕には不可解な点が多い。

激動の香港

 筆者は8月10日に刊行された新著『香港とは何か』(ちくま新書)のなかで、周庭さんにロングインタビューを数回行い、その生い立ちから人となり、政治的立場まで紹介しているが、彼女は香港独立を唱えたことはなく、あくまでも「民主自決」という「デモシスト」の立場を守っていた(2019年6月9日の「100万人デモ」直前インタビューは『香港雨傘運動「女神」が語る「103万人デモ」の現場』参照)。

 自決と言っても、香港は自分たちの将来については民主的な選挙を通して決めていきたいという考えだ。従来の民主化運動の範囲内にとどまるもので、独立を唱えるほかの先鋭的なグループとは一線を画していた。

 また、国安法の施行を受け、「デモシスト」からの脱退を表明し、政治的な発言も少なくなっていた。

 そのなかで周庭さんが、民主化を支持する香港紙『アップル・デイリー(りんご日報)』の創業者、ジミー・ライ氏ら「大物」たちと一緒に逮捕されたことは不自然である。

 周庭さん自身も、

「過去に4度逮捕されたことがあるが、今回が最もびっくりした」

 と述べている。

「トップインフルエンサー50」に

 周庭さんは、日本では「アグネス」という英語名で親しまれている。もともと日本で「香港人のアグネス」と言えば、タレントのアグネス・チャンさんだったが、現在の知名度は「元祖アグネス」を上回っている。

 2019年9月には『Forbes JAPAN』から「時事問題や社会問題、環境問題など、その発信は議論を喚起し、大衆を巻き込む」として、サッカー選手の本田圭佑やプロ野球選手のダルビッシュ有、お笑い芸人の西野亮廣などと並んで「トップインフルエンサー50」にリストアップされるほどだ。

 その最大の原動力は、アニメや漫画、音楽を通して学んだ日本語力で、Twitterのフォロワーは現在46万人を誇っており、FacebookやYouTubeでも積極的に発信を行ってきた。

 2014年の雨傘運動での活躍による「学民の女神」という称号もあって、日本メディアの取材も日を追うごとに増えていき、その対応を通して日本語の勉強を重ねることによって、政治的な言葉も磨かれてきた。

 日本語専攻ではない周庭さんの日本語表現力は現在、長時間の講演を難なくこなすほど非常に高い水準に達している。

 日本記者クラブや日本の大学などでも活発に講演を行っており、政治家の間でも彼女のフォロワーは多い。そのため、今回の逮捕については、日本政界からも香港政府への批判の声が高まり、菅義偉官房長官が「重大な懸念」を表明することにもなった。

 それでもSNSでは日本政府の対応が生温いと批判の声が上がり、解放を求めるハッシュタグ「#Free Agnes」がキーワードとして広く拡散するなど、周庭さんへの同情や心配の声が日本社会であっという間に広がった。

 これこそが、香港政府あるいは中国政府が抑え込みたい周庭さんの日本世論に対する影響力であると見ることがきでるだろうし、もっと言えば、その世論が日本政府を動かすことを気にしている可能性が高い。

警察も説明できなかった逮捕容疑

 今回周庭さんにかけられた容疑は、国安法29条にある「外国または域外勢力との共謀で国家安全を脅かす罪」だと見られている。

 有罪判決が出た場合は3年以上10年以下の懲役刑で、「重大な犯罪」と認定されれば終身刑または10年以上の懲役刑という深刻なものだ。

 中国国内では、この国安法の運用は極めて恣意的に行われて、共産党と異なった意見を表明するだけで「国家分裂」と無理やり関連づけられて逮捕されるケースも多い。

 日本メディアの取材を受けた周庭さんによると、警察は彼女に対して、

「7月以降、ソーシャルメディアを利用して外国勢力と結託し、国家安全に危害を加えようとした」

 と、逮捕容疑を説明したという。

 しかし、彼女は7月以降、政治的に強い発言は控えており、9月に予定されていた立法会選挙(その後、1年間延期された)の民主派候補の応援などを側面的に行っていたにすぎない。

 国安法は法律施行以前の行動には遡行して適用されないので、逮捕容疑は7月以降の行動にかけられていると見られるが、警察も周庭さんに対して、具体的にいつどのような形でソーシャルメディアを使って法を犯したか、説明はできなかったという。

保釈後に日本へ感謝の言葉

 ただ、周庭さんも、香港当局が自分と日本との関わりを断ち切ろうという狙いを持っていることを気づいている。

 今後は日本語での発信についてはさらに注意深くなるしかなく、制約を受けた形になっていくだろう。日本との関わりが招いてしまったトラブルであると言えなくもないが、周庭さんは日本の支援と愛に心から感謝していることを明らかにしている。

 保釈後に記者団の取材に対して、

「香港の民主化運動に参加して8年目になり、今まで4回逮捕されましたが、今回は一番怖かったし、一番きつかった。でも拘束されている間、いろんな香港市民、そして日本の皆さん、世界の皆さんからも応援を頂いた。日本人の皆さんが(#FreeAgnesという)ハッシュタグを私のために作ってくれたと弁護士から聞きました。本当にいろんな支持を頂きました。本当にありがとうございました」

 と語ったという。

 この周庭さんの言葉に応えるには、我々は、周庭さんの日本語の発信がたとえこれから少なくなったとしても、香港政府と中国政府に対して、国安法に関するこのような乱暴な運用を直ちに取りやめ、世界の理解と共感を得られる行動を取るように強く求めていくしかない。

 

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)、『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)など。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『香港とは何か』(ちくま新書)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com
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