国際人のための日本古代史 (131)

元日朝賀「遣唐使船」頻繁遭難に隠された「ミステリー」の謎を解く

執筆者:関裕二 2021年1月14日
タグ: 日本
エリア: アジア
復原された「遣唐使船」(平城宮跡歴史公園 撮影:まるえつさん)
 

 遣唐使は、中国の元日朝賀の儀式に間に合うように出港の日時を決めていたようだ(森公章『遣唐使の光芒』角川選書)。

 遣唐使船は、なぜ頻繁に遭難したのだろうと、謎を追っていたら、ひとつの要因として、「日程に縛りがあった」ことに気づかされた。外洋を航海するのなら、最適な条件の時期が選ばれていたにちがいないと思っていたが、そうではなかったのだ。

 ただし、それで謎が解けたわけではない。遣唐使船はよく沈んだが、それよりも古い時代の遣隋使船は、一度も遭難していない。縄文時代から続く倭の海人(あま)は、自在に大海原を往き来していたイメージがある。歴史や技術が進歩するのなら、なぜ、倭の海人や7世紀前半の遣隋使が無事で、遣唐使船が沈んだのか、新たな謎が浮かびあがってくる。

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カテゴリ: カルチャー 政治
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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