グッバイ、トランプ――今日のつぶやき「翻訳解説」悪戦苦闘の780日

執筆者:藤原朝子 2021年1月22日
エリア: 北米
トランプ「前」大統領のツイッター。すでにアカウントは凍結されているが、ここからあまりにも多くの「嘘」を発信し、最後には踊らされた狂信者たちによる暴動で死傷者も出てしまった……
 

『フォーサイト』というウェブメディアで、ドナルド・トランプのツイートを毎日翻訳して、必要なら短い解説も書いてくれる人を探している――。

 そんな話が舞い込んできたのは、2018年9月のこと。飼いネコが危篤で、動物病院に泊まっていた晩のことだった。

 実は、2016年大統領選の予備選が始まったばかりの頃、別の媒体の依頼で、トランプのインタビューを翻訳したことがあった。インタビュー記事ではなく、インタビューの文字起こしだ。それは間違いなく、私が今まで翻訳したなかで最もチャレンジングな仕事だった。

  なにしろ、トランプの話には脈絡も具体性もなく、「ベリー、ベリー、ビッグ」「ソー・バッド」など、小学生のような(あるいはコメディアンのような)表現がちりばめられていたのだ。

 ああ、この人は、世界で起こっていることも、自分の国の仕組みも、全然知らないのだと思った。そして自分が無知であることを悟られたくなくて、何でもいいから言葉を並べているのだと感じた。

 ただ、それを翻訳するのは厄介だった。「ベリー、ベリー、ビッグ」を「非常に大きい」としてしまうと、トランプの語彙のなさが伝わらない。「とても、とても、大きい」では、翻訳に問題があると思われてしまう。げんなりしながら、数十ページの翻訳を終えた苦い記憶がある。

 だが、ツイッターなら文字数が限られているから、おもしろい仕事ができるかもしれない。「超訳っぽくしてほしい」という編集長のご希望も心強かった。ちょうど大学で現代米露関係を教えているから、情報収集の足しにもなるはずだ――。

 ところが、2018年11月に実際に引き継いでみると、トランプのツイッター訳・解説は、恐ろしく大変だった。

呼吸をするように嘘をつく

 まず、ツイートの量が多い。本人が書いたものと、側近が下書きしたもの、そしてテレビ番組に関する大量のコメントが入り混じっている。

 トランプはゴルフ以外趣味がなく、読書もしない。家族と時間を過ごすこともほとんどない。ワシントンには友達も少ない。だからテレビばかり見て、その感想をツイートする。その断片的なツイートを正確に訳すためには、元の番組をチェックしなければならず、これに膨大な時間がかかった。

 それ以上に困ったのは、トランプが「呼吸をするように嘘をつく」ことだった。それは、「話(数字)を盛る」、ある出来事を都合のいいストーリーに仕立てあげるといったレベルを超えていた(こうした嘘もたくさんあったが)。

 トランプの嘘には、劣等感や嫉妬に根差していると思われる、もっと陰湿な嘘や言いがかりがあった。立場上、自分よりも弱い(とトランプが思っている)人間は徹底的に侮辱し、そのキャリアを潰そうとする(これについてはトランプの姪で心理学者のメアリー・トランプの著書に詳しい)。

 トランプのツイートを紹介することは、その嘘の片棒を担ぐことにならないか。そんな思いがだんだん強くなっていった。日本国内で、「さすが、トランプさん。はっきりモノを言ってくれる」などと評価する声があることを知ったのも、危機感を覚えるきっかけになった。

 1、2行の文章なら、トランプでも(誰でも)的を射た(ように見える)ことは言える。だが、その背後にあるのは、圧倒的な無知であり、司法・行政・伝統的なプロセスの無視であり、ゴリ押しすれば何でも(誰でも)自分の思い通りになるというおごりと勘違いだった。

 その矛先は、たまたま今、別の方向を向いているだけであって、いつ私たちに向かってもおかしくない。トランプを「おもしろい人」として紹介してはいけない。そんな危機感が強くなった。

 だから、なるべく嘘は「嘘」であることを書き加え、その背景を解説しようと試みた。それでも、その嘘に踊らされる人は増え続けた。

背景にある既存のシステムへの不信感

 アメリカ大統領選がある年、私は大学で担当している2つの授業のどちらかで、選挙動向を追うことにしている。投票日は火曜日(日本時間の水曜日)だから、授業のある木曜日午後には、たいてい結果が判明している。

 だから学生たちには、負けた候補の「敗北宣言」を見ておくようにと宿題を出す。事前に過去の大統領選の敗北宣言を見せておき、その年の候補も、投票日の夜、興奮して集まった支持者たちの前で敗北を認め、勝利した相手候補を称え、「考え方は違っても、愛する祖国のために次期大統領を支えよう」と呼びかけることができるかチェックさせるのだ。

 形式的なことに見えるかもしれないが、ほぼ1年間、国を二分して行われるアメリカ大統領選は、どうしても国内に亀裂を残す。負けを認めたくない支持者に、結果(ルール)に従おうと候補者が呼びかけることは、国の一体性を守り、「強いアメリカ」を維持するためには、とても重要なプオロセスの一部だ。

 2008年大統領選ではジョン・マケインが、2012年にはミット・ロムニーが、いずれも民主党のバラク・オバマに敗れたとき、格調高い敗北宣言をした。ところが2016年の大統領選は違っていた。

 民主党の大統領候補だったヒラリー・クリントンは、よほど自信があったのだろう。トランプに敗北したことを知ってショックを受け、その晩の支持者集会に姿を見せなかった。それでも、トランプに祝福の電話はしたようだ。そして翌朝、改めて集会を開き、公に敗北を認めた。

 一方、2018年のジョージア州知事選で、民主党のステイシー・エイブラムスは共和党のブライアン・ケンプに僅差で敗れた。このときエイブラムスは敗北宣言をしなかったし、今も認めていない。エイブラムスは選挙に不正があったとも主張した。

 その後、エイブラムスは主に黒人有権者に地道な有権者登録を働きかけ、今回ジョージアで、バイデンと2人の上院議員候補(いずれも民主党)が勝利する上で計り知れない貢献をした。そんな彼女でも、みずからの敗北を認めることは難しいのだ。

 トランプが今回の大統領選の結果を認めず、陰謀論をまきちらし、暴徒が連邦議事堂に乱入するまでに至った遠因が、エイブラムスにあるなどと言うつもりはない。こうなった背景には、同じ考えの人が集まって過激化しやすいソーシャルメディアの仕組みや、民兵組織が生まれやすい銃規制、奴隷制にルーツを持つ地方警察の仕組み、政治とカネの関係など、多種多様な要因が絡んでいる。

 だが、そのなかに既存のシステムへの不信感があり、それを政治家が後押ししてきたのは間違いない。

拡散された荒唐無稽な選挙不正説

 11月3日の大統領選で、トランプは民主党の大統領候補ジョー・バイデンに敗北した。しかしトランプには、大統領の座に居座りたいだけでなく、「普通の人」になりたくない切実な理由があった。ニューヨーク州における脱税捜査は大詰めだし、向こう3年以内に期日を迎える4億ドルの債務もある。

 ロバート・ムラー特別検察官が中心となって進められた、いわゆるロシア疑惑捜査でも、司法妨害や証人脅迫について、大統領在任中は訴追できないが、退任後はその可能性を退けるものではないと明記されている。

 だからトランプは、なんとしてでも選挙の結果を覆そうとしてきた。

 まず、投票用紙の不正処理を主張し(失敗)、集計機の不正操作を主張し(失敗)、州議会による選挙結果の確定を阻止しようとし(失敗)、各州の選挙ルールが不正だったとして、連邦上下院における選挙結果確定を阻止しようとした(やはり失敗)。

 荒唐無稽な選挙不正説をトランプに吹き込んだのは、個人弁護士のルディ・ジュリアーニ(元ニューヨーク市長)、シドニー・パウエル(元エンロン弁護士)、リン・ウッド(美少女ジョンベネ殺人事件の両親の弁護士)、ジェナ・エリス(元田舎の交通事故専門弁護士)、そして三流経済学者のピーター・ナバロだ。

 彼らの主張はツイッターやフェイスブック、さらにはパーラーなどの陰謀論ソーシャルメディアを通じて、どんどん広がっていった。

激減した陰謀論のトラフィック

 危機感を抱いたツイッター社は、ようやくトランプと側近の選挙不正に関するツイートに警告を入れるようになった。、そして1月6日の連邦議事堂乱入事件以降は、トランプのアカウントを完全に停止した。フェイスブックやYouTubeなどのソーシャルメディアも同様の措置をとった。パーラーはアマゾンのサーバーを使えなくなり、サービス停止に追い込まれた。

 大手ネットワーク局もトランプの発言を垂れ流すことをやめた。それまではトランプの会見に、画面を分割してファクトチェックを入れるなどの工夫がされてきたが、トランプの言動をそのまま流すこと自体をやめた。トランプは(歴代大統領のように)ホワイトハウスの広報室を通じて声明を発表するしかなくなった。

 するとどうだろう。陰謀論のトラフィックが激減し(調査会社「ジグナル・ラボ」によると73%減)、ネットの世界がびっくりするほど静かで平和的になったのだ。あたかもトランプ自身が静かになったかのように。

 実際は違う。退任直前の週末にも、トランプはジュリアーニや陰謀論を支持する大口献金者をホワイトハウスに招いたし、朝から晩まで側近を怒鳴り散らしていたという。だがそれは、編集を経た活字メディアによって、コンテクストと共に伝えられた。トランプの言葉や写真だけが、SNSで拡散することはなくなった。

 その結果、バイデンの大統領就任式が行われた20日は、ワシントンでも全米の主要都市でも、大きな騒乱は起こらなかった。もちろん異例の厳戒態勢が敷かれたせいもあるだろうし、FBI(連邦捜査局)が6日の暴動の中心人物を急ピッチで逮捕していたためもあるだろう。

 だが、多くの熱狂的なトランプ支持者は、リーダーの雄叫びが届かなくなると、急速に日常に戻って行ったように見える。言論の自由との関係で、定型的な対処法にはできないが、デマゴーグや虚偽情報に対する最も効果的な対策は、嘘を発信するプラットフォームを与えないことが、ひとつ確認できたように思う。

「民主主義が勝利した」

 この2カ月半、トランプの声にそそのかされた暴徒たちがアメリカを転覆させるのを阻止したのは、民主主義のシステム(institution)だった。

 ホワイトハウス(連邦行政府)は陰謀論の巣窟と化したが、各州の行政府の職員たち(どとくにルールを重視する筋金入りの共和党系職員たち)は、政治家の圧力から選挙を守った。

 司法の立場はもっとはっきりしていた。トランプは任期中に234人の連邦判事を指名したが、どの裁判所もトランプ陣営の選挙不正の訴えを、「ゴシップの領域に過ぎず、真剣な訴えをなしていない」(アリゾナ州)、「民主的手続きへの信頼を傷つけることが目的の訴訟」(ミシガン州)、「裁判所は大統領を指名する場所ではない」(ウィスコンシン州)など、バッサリ切り捨てた。

 米軍制服組の最高機関である統合参謀本部も、大統領就任式直前に、憲法の遵守を全軍に命じた。こうしたルールを遵守する人々の努力によって、力ではなく、選挙による権力の移行が守られた。大統領就任式で、バイデンが「民主主義が勝利した」と宣言したのはそのためだ。

 これに対して、支持者たちに「連邦議事堂に行こう」「力を示さなくてはいけない」とけしかけたトランプが、司法の裁きにかけられる日は、そう遠くないだろう。さようなら、トランプ。

 

【藤原朝子さんが翻訳・解説を担当した『トランプ「今日のつぶやき」解説付!』はこちら

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
藤原朝子(ふじわらともこ) 学習院女子大学非常勤講師。国際政治ニュース解説者。慶應大学法学部政治学科卒。ロイター通信、フォーリン・アフェアーズ誌(日本語版)などを経て現職。米ドラマ『ハウス・オブ・カード/野望の階段』日本語監修なども務める。訳書に『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』『シフト――2035年、米国最高情報機関が予測する驚愕の未来』『撤退するアメリカと「無秩序」の世紀ーーそして世界の警察はいなくなった 』(いずれもダイヤモンド社)など。
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