ポスト・プーチン最有力?「パトルシェフ農相」とは何者か

執筆者:名越健郎 2022年6月23日
エリア: ヨーロッパ
プーチン大統領の後継者として急浮上したドミトリー・パトルシェフ農相(ロシア大統領府HPより)
健康不安説が完全に払拭できない中、ロシア大統領選挙が1年前倒しされ、プーチン不出馬との情報が流れている。そして後継は、4年前の農相就任時からダークホースとされてきた、盟友パトルシェフ安保会議書記の子息ドミトリー氏だという。

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は6月17日、「サンクトペテルブルク国際経済フォーラム」の全体会合に登壇し、演説や発言を行った。発言に新味はなく、ウクライナ戦争の出口戦略も示さなかったが、声には張りがあり、健在を誇示した。

 3時間40分にわたった生中継イベントへの登場は、欧米や独立系メディアで報じられる癌説、パーキンソン病説など、健康不安を払拭する狙いがある。ただし、6月に予定された国民とのテレビ対話は延期になり、憲法で規定されている議会教書演説も1年以上行われていない。

 一方で、ロシアの通信アプリ「テレグラム」で話題の「SVR(対外情報庁)将軍」は、プーチン大統領の後継者問題で投稿を続け、ニコライ・パトルシェフ安保会議書記の長男、ドミトリー・パトルシェフ農相(44)が来年にも次期大統領に就任すると予測している。真偽は不明ながら、ロシアの政治専門家の間でも「ダークホース」と注目されている農相の人物像を探った。

大統領選を1年前倒し

 クレムリンの内情を知る立場にあるとされる「SVR将軍」は5月27日、

「プーチンは次女のエカテリーナ・チーホノワを与党・統一ロシアの党首に、自らの後任の大統領にドミトリー・パトルシェフを起用することに大筋で同意した」

 と投稿した。与党の支持が低下し、女性党首を求める声があることから、不人気のドミトリー・メドベージェフ党首(安保会議副議長)に代わる新党首として、モスクワ大学理事などを務める次女のエカテリーナさんが候補に挙がっているという。

 6月6日の投稿は、プーチン大統領が今年末にも大統領選を来年3月26日に前倒しで実施すると発表し、自らは出馬せず、パトルシェフ農相を後任に推薦すると伝えた。

「SVR将軍」は、

「プーチンは国家評議会議長のポストを維持し、健康が許す限り、真の指導者の座に居続ける」

 とし、院政を敷くと予測している。

 6月16日の投稿は、

「権力移行に伴う政治プロセスが始まるため、ウクライナの戦争は10月か11月までに終了させる必要がある」

「大統領に近いエリートの間で緊張が高まり、秋の終わりか冬の初めにピークに達する」

 と予測した。

 ただし、6月17日のプーチン大統領の演説は、“特別軍事作戦”の成功に自信を示すなど、政権担当意欲が満々で、来年にも退陣するような素振りはなかった。来年3月の大統領交代説は、政権の動揺を狙ったフェイクニュースの可能性もある。

4年前からダークホース

 パトルシェフ農相は4年前に入閣した時から、将来を嘱望されていた。政権に近い政治学者、スタニスラフ・ベルコフスキー氏は2021年10月、独立系ラジオ局『モスクワのこだま』で、プーチン大統領の後継者で最有力なのはパトルシェフ農相だとし、

「食料価格高騰などで各方面から叩かれているのは偶然ではない。深い政治的背景がある」

 と述べた。同氏によれば、大統領に近いチェチェン共和国のラムザン・カディロフ首長も農相について、

「偉大な政治家であり、真のプロフェッショナルだ」

 と評価したという。

 政治評論家のパベル・シピーリン氏も2018年、農相抜擢について、

「家柄だけでなく、ビジネスセンスもある。情報機関とも関係がある。地方知事などを経て最高権力者を目指すのではないか」

 と予測していた。

 ロシア・エリートの研究で知られる著名な社会学者、オリガ・クリシュタノフスカヤ氏は2019年10月、カーネギー財団モスクワセンターのシンポジウムで、

「シロビキ(武闘派)の子弟から後継者が出るとすれば、パトルシェフ農相だろう。エリートの子弟の多くは国営企業幹部になっているが、政府の役職はまだ少ない。その中でパトルシェフは、農相という極めて重要なポストを射止めた」

 と分析していた。

 政権要人の子弟で政界入りしたのは、大統領の柔道仲間でオリガルヒの子弟、アンドレイ・トルチャク与党書記長兼上院第1副議長程度だ。

銀行家として手腕を発揮

 パトルシェフ農相は1977年にレニングラードで生まれた。当時、父親はプーチン氏らと旧ソ連国家保安委員会(KGB)レニングラード支部で働いていた。長男の彼は国立経営専門大学を卒業後、働きながら、外務省外交アカデミー、連邦保安庁(FSB)アカデミーで学んだ。FSBにも籍を持ち、階級は中尉という。2008年に国立サンクトペテルブルク大学で経済学博士号を取得したが、論文盗用疑惑もあるという。

 大学卒業後、運輸省で働いた後、対外貿易銀行に勤務し、副頭取も務めた。2010年から18年まで、ロシア農業銀行頭取。この間、サービスを多角化して売り上げを伸ばし、ロシアの「バンカー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたこともある。2018年5月、プーチン大統領の4期目発足に伴い、39歳で農相に抜擢された。大統領が長年の盟友の長男を優遇した形だ。

 今年5月末には、天然ガス最大手、ガスプロムの取締役に就任した。ウクライナ侵攻後、ロシアとの癒着を批判されたゲアハルト・シュレーダー元独首相が取締役を辞職したことに伴う人事だ。「SVR将軍」は、

「パトルシェフ農相は政権交代前にリスクを避けるため、政府を離れて中立的なポストに就く可能性がある」

 と伝えていた。

 実弟はガスプロムの子会社幹部を経て、研究機関「北極イニシアチブ・センター」社長。

 略歴を見る限り、農相はサラブレッドであり、情報機関の経験や銀行経営者としての手腕もある。プーチン大統領の後継者は、シロビキとオリガルヒの両方からの支持が不可欠であり、条件を満たしている。ただし、農業や金融以外の発言は知られておらず、外交・安保政策は未知数だ。

大統領が孤立か

 正体不明の「SVR将軍」は6月16日付で、気がかりな情報を投稿している。

 それによると、プーチン大統領は14日に政権のインナーサークルを集めてウクライナへの「特別軍事作戦」について協議し、「近い将来、核戦争が避けられない。われわれは決定的な第一撃を行う準備をしなければならない」と述べた。大統領はこのところ、核攻撃の可能性を排除し、核の脅しもしなくなっていただけに、この発言は出席者を大いに驚かせたという。

 長男が大統領になる可能性が出てきたパトルシェフ書記は、プーチン発言に反発するかのように、翌日ウクライナとの和平案に言及したという。確かに、パトルシェフ書記は6月15日、BRICS諸国代表との会議で、

「ロシア指導部はウクライナとの停戦につながる外交的、政治的合意に早急に到達したい」

 と停戦を支持し、政府系メディアが大きく報じた。

 大統領の腹心であるユーリー・コワルチュク・ロシア銀行会長、イーゴリ・セチン・ロスネフチ社長、セルゲイ・チェメゾフ・ロステク社長ら有力オリガルヒもパトルシェフ書記の立場を支持し、強硬派の大統領が孤立したという。

 もっとも、「SVR将軍」は4月末の投稿では、

「プーチンとパトルシェフ(父)は、大統領の健康状態が急激に悪化した場合、国の運営をパトルシェフ書記に移管することで一致した」

 とし、パトルシェフ父の後継説を指摘。その前には、パトルシェフ農相がウクライナ侵攻を受けて、他の一部閣僚と共に辞表を提出したとも伝えており、一連の投稿は整合性に欠けている。

女性・不動産スキャンダルも致命傷にはならず

 有望株・パトルシェフ農相のアキレス腱は、女性スキャンダルや不動産スキャンダルかもしれない。

 後継説が出始めた昨年11月、独立系メディア『ソベセドニク』は、

「パトルシェフ農相には、2人の妻と計6人の子供がおり、広大な不動産を所有している」

 などと不透明な私生活を報道した。

 農相は公式には「独身」だが、事実婚らしい。2020年の申告所得は1億3310万ルーブル(約2億6000万円)で、「畑で働くロシアの平均的な農民の427年分の年収」という。

『ソベセドニク』によると、農相はモスクワ郊外に運動場のある広大な邸宅や中心部の複数の高級マンションなどを所有する。事実婚の女性名義の不動産や高級車もある。「パトルシェフ農相がロシアでは控えめな閣僚にみえるのは、彼が慎ましい生活を送っているからではなく、それを注意深く隠しているからだ」という。

 ただし、こうしたスキャンダルが致命傷になるとは思えない。エリートの大半がこうした特権、利権を享受しているからだ。政府要人の多くは、反政府活動家、アレクセイ・ナワリヌイ氏のグループによって汚職・腐敗や不透明な不動産取得を糾弾されたが、致命傷にはなっていない。結局、ロシアの歴史はエリートによって決められ、一般庶民は無力なのだ。

 ウクライナ戦争の展開も、エリート層の動向がかぎを握りそうだ。

 

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
名越健郎 1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長、編集局次長、仙台支社長を歴任。2011年、同社退社。拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授を経て、2022年から拓殖大学特任教授。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミアシリーズ)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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