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超大国ソ連を崩壊させた指導者として、ロシア国内では批判にも晒された晩年だった [2012年11月、自伝を発表した時のゴルバチョフ氏] (C)Evgeny Eremeev/shutterstock.com
ロシア西欧主義の死
ロシアでは18世紀初頭にピョートル大帝が近代化を導入して以降、指導者が交代するたびに欧米に接近する西欧主義と、保守・膨張的なスラブ主義が交互に繰り返された。欧州とアジアにまたがるユーラシア国家のロシアでは、西欧主義かスラブ主義かは永遠の哲学論争である。
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