【再掲】ロシア軍が去った死臭と廃墟の町、イジューム 

執筆者:村山祐介 2022年12月29日
エリア: ヨーロッパ
遺体の掘り起こしをする作業員ら=9月19日、ウクライナ北東部イジューム(撮影:村山祐介)
下半期(7月~12月)に掲載した記事から、2022年の世界と日本を捉え直す「再読セレクション」をお届けします。(初公開日:2022年9月29日)

 

2月24日のロシア軍侵攻から1カ月余りで制圧されたウクライナ東部の要衝イジューム。9月以降のウクライナ軍の巻き返しにより、同月10日にロシア軍はそこから撤退を余儀なくされた。残されたのは砲撃によって廃墟と化した街並みと、暴力の痕跡を残す多数の遺体だった。ジャーナリスト村山祐介氏の現地レポート。

 

 ウクライナ東部ハルキウ州のイジュームで見つかった集団墓地から、子ども5 人を含む447人の遺体が掘り出された。ハルキウ州政府によるとほとんどが民間人で、30体には首や手が縛られているなど拷問の痕があり、男性器を切断された遺体も数体あったという。市内の警察署の地下室には、ガスマスクや縄、木の棒が雑然と置かれた「拷問部屋」も見つかった。ロシア軍が占領していた約5カ月の間に、戦略的要衝の地で何が起きていたのか。 

死臭があふれ出す林 

 

 イジュームの町の入り口に位置する松林の奥は、腐った肉と湿った土が混ざり合う凄まじい死臭に満ちていた。 

 目の前に、掘り出されたばかりの遺体がうつ伏せに横たわっている。衣服と皮膚、地面の区別がつかないほど土色に変色している。白骨化が進んでいるのか体はしぼみ、遠目には性別も年齢も見当がつかないほどだ。全体がくしゃくしゃになったシーツのようにも見えた。 

 ウクライナ軍が奪還した後に見つかった集団墓地で9月16日、遺体の掘り出し作業が始まった。私はその日の午後、内外のメディアを集めたプレスツアーに参加して現場に入った。 

 整然と植林された木立の間に盛り上げられた土が無数に並んでおり、木片2枚を組み合わせただけの急ごしらえの十字架が立っている。十字架の中央には「158」「195」といった3桁の数字が手書きで記されていた。その脇で水色の作業服に身を包んだ約200人が、スコップを手に黙々と掘っている。 

 深さ1メートルほど掘ったところで遺体が現れた。作業員たちは遺体の裏に布や縄を這わせ、6人がかりで声をかけながら一気に地上に引き上げた。持ち上げられた遺体が地面にゴロンと転がった瞬間、鼻の奥に痛みを感じるほど濃い臭いが放たれ、私は思わず後ずさりした。 

 土を落として写真を撮り、手足を持ち上げて白い袋にそっと載せ、4人がかりで運び出していく。9体、14体……目の前で遺体袋の数はどんどん増えていく。掘り出された遺体には、すぐにハエが群がった。 

 並べられた遺体袋のすぐわきには、丁寧に管理された古くからの地元の墓地があった。ここに立つ墓は、墓石に顔写真や氏名、生没年が刻まれ、花までが手向けられている。もちろん亡骸は棺桶の中だ。しかし、その隣では3桁の数字だけが記された木片の下から、着の身着のまま、土にまみれて腐敗した遺体が掘り返されていく。 

 そのあまりの落差に、そしておとしめられた命の扱いに、私は言葉を失った。 

 掘り出し作業は8日間かけてやっと終わった。 

 ウクライナ検事総長室は23日、通信アプリ「テレグラム」の投稿で掘り出しが完了したことを明かし、5人の子どもを含む447人の遺体が確認されたと発表した。民間人が425人で、軍人が22人だった。地雷の爆発や爆弾の破片で亡くなったとみられる遺体のほか、銃創や刺し傷、骨折、さらには手が縛られていたり、首に縄がかけられた遺体もあったという。 

 ハルキウ州のオレグ・シネフボウ知事も23日、テレグラムで、「遺体のほとんどに暴力による死因の痕が見られ、30体には拷問の痕跡があった。数人の男性は性器を切断されていた」と明らかにした。ほかにも少なくとも3カ所で集団墓地が見つかったという。 

なりふり構わず遺体搬送 

 だれが、いつ、どうやって、そして何のために、この異様な集団墓地はつくられたのか。 

 国家警察のイゴール・マリシュ犯罪分析局長は19日、現場で記者団に対し、墓地が今年3月から5月にかけてつくられたことを明らかにした。親ロシア派の地元政府の管理下で、地元の遺体埋葬業者が埋葬したという。 

 埋葬に関わった人物が記録したA4ほどの大きさの台帳も見つかっており、そこには墓標に示された3桁の番号と、埋葬された人物の氏名、父称、埋葬日が記されている。ただ、身元不明とだけ記載された番号も少なくなく、DNA鑑定などを通じた被害者の特定には相当な時間がかかる見通しだ。 

墓標の3桁の番号と氏名が記載された台帳=9月16日、ウクライナ北東部イジューム(撮影:村山祐介)

 住民たちの話からは、ロシア側がなりふり構わず墓地に遺体を運び込ませた様子が浮かび上がる。 

 たばこ店を経営するルドミラさん(52)は3月8日、自宅への砲撃で夫を失った。自宅の庭に仮埋葬したところ、5月21日に突然、軍内部で「カルゴ200」と呼ばれる遺体搬送車が来て、夫の遺体を掘り出して持って行ってしまったという。 

「戦争が終わったら家族の墓に埋めたかったので、こんなところは嫌でした。でも誰も私の言うことを聞いてくれませんでした」 

 遺体搬送作業に住民が強制的に徴用されたとの証言も複数出てきた。 

 店員ロマン・チェレニチェンコさん(50)が暮らす集合住宅では、近くの草むらに仮埋葬されていた高齢者3人の遺体を、業者が来てどこかに運び出したという。 

「ロシア兵が来て、『遺体を回収して運ぶから手伝う人を出せ』と言われました。彼らは自分たちでやりたくなかったんです。我々と一緒に来てお前らがやれ、ということです」 

 年金暮らしのリドミラさん(74)の証言もこれとほぼ一致する。 

「旧市街では大勢の人たちが砲撃で死んで、遺体が臭い始めました。ロシア人は民間人を連れ出して、『これを森に運んで埋めろ』と言ったんです。いつも銃を手にしていました」 

 住民たちは担架に遺体を3、4体載せて橋を歩いて渡り、集団墓地のある対岸で車に積みこんだという。 

拷問部屋に残されたガスマスク 

 

 拷問が行われた現場の一つになっていたとみられるのが、イジューム市内の中心部にある警察署だ。 

 隣接する2階建て部分は天井が崩れ落ち、ガラスはほとんど残っていない。私は19日、立ち入り禁止の紙が貼られた非常線をくぐり、警察官の案内でほかのメディアと一緒に署内に入った。 

 地下室の入り口にある頑丈な鉄扉を開けると、教室ほどの大きさの空間があった。銃痕のような穴が点々と空いた壁面に、頭全体を覆うグロテスクな形状のガスマスクがかけられている。案内役の警察官は「酸素供給を絞って呼吸困難にさせるためのものです」と言った。 

 部屋の中央には、低い背もたれのついた小さな木の椅子が2つ置かれていた。尋問する側とされる側が座っていたとみられるという。 

 作業机の上にもガスマスクが無造作に置かれ、長さ1メートルほどの木の棒、そして棚の上には長さ1メートルくらいのロープが置かれていた。 

 隣の地下室には大きめの部屋と倉庫のような小部屋があり、いくつかベッドが置かれていた。署内にロシア軍のSOBR(特殊緊急対応部隊)などの特殊部隊や東部ドンバス地方からの兵士、警察隊など100人から200人が寝泊まりしていたとみられるという。 

 空のペットボトルや空き缶など、あらゆる遺留物に指紋採取用の粉がかけられていた。 

「誰がここにいて、誰がこうした道具を使ったのか。我々が必ず特定します」 

 家族でガソリン店を営むジュリア・ジラブレナさん(33)の前夫も、この部屋で取り調べを受けた。ウクライナの国旗や国章を自宅に持っていたことで3回、連行されたという。 

「ロシア兵に目隠しされて、足元を銃撃されたり、木の棒で腕や足を殴られたりしたこともあったそうです。ただ国章が家に置いてあっただけなのに」 

 前妻であるジラブレナさんのところにもロシア兵が事情聴取に来た。ウクライナ軍やネオナチとは無関係、と訴えたことで前夫は解放されたという。 

叫び声が聞こえる電気ショックの拷問 

 

 13日にはイジューム近隣のバラクリアを訪れた。ここでもやはりロシア軍は地元警察署を拠点として使い、留置場が拷問部屋として使われていたとみられている。 

 建材店員アルテム・ラルチェンコさん(32)は記者団に対し、電気ショックによる拷問を受けたと証言した。 

「ロシア兵は私に2本のケーブルを持たせました。発電機があって、回転が速まるほど高い電圧が流れるようになっています。ロシア兵は『手を離したらお前は終わりだ』と告げて、尋問を始めました。ただ、何を答えても『お前は嘘をついている』と言って回転数を上げられました」 

 連行されたのは、ウクライナの軍服を着た兄の写真がロシア兵に見つかったためだった。兄の所在やバラクリアにいる軍人の情報などを執拗に尋ねられた。 

 2人用の部屋に7人が詰め込まれたが、そこにいたのは軍人の息子を持つ父親や、ウクライナの国旗を持っていた人たちだった。ラルチェンコさん自身が拷問を受けたのは1度だけだったが、1日おきに連れ出されていた人や、女性もいたという。 

「電気ショックの拷問をするとき、ロシア兵はわざわざ騒々しい空調機を止めていました。ほかの拘束者に叫び声が聞こえるようにするためでしょう」 

 しかし、こうした証言に基づくロシア軍の戦争犯罪の疑いについても、ロシア側は「作り話」として否定している。ロイター通信によると、ロシアのドミトリー・ペスコフ大統領報道官は19日、記者団に対し、「ブチャと同じシナリオで、これは嘘です。我々はもちろんこの話の真実を主張していきます」と述べた。 

破壊しつくされた要衝の町 倒壊した集合住宅から47人の遺体 

 

 イジュームは、ロシア軍の弾薬庫などがあるロシア南部ベルゴロドからウクライナ東部ドンバス地方を結ぶ交通の要衝に位置している。ロシア軍は2月24日の侵攻開始後ほどなくしてイジュームに進軍し、ウクライナ軍との一進一退の激戦が1カ月にわたって続いた。4月上旬にロシア軍が完全制圧した後は、ドンバスの戦線に人員や弾薬、車両などを送る補給拠点となった。 

 事態が急変したのは9月6日。南部奪還の構えを見せていたウクライナ軍が、北東部ハルキウ州で電撃的に攻勢を始めたのだ。ウクライナ軍はまずバラクリアを奪還して勢いに乗り、約40キロ離れた要衝イジュームに迫った。虚を衝かれたロシア軍はわずか4日で撤退し、5カ月余に及んだ占領は幕を閉じた。 

 解放から5日後に私が初めてイジュームに入ったとき、路上にはロシア軍の象徴である「Z」の白い文字が描かれた戦車が何台も放置されていた。大きな損傷は見当たらず、撤退を優先して放置していったものとみられる。案内役の軍関係者は「我々の戦利品だ」と誇らしげに話した。 

 3月の攻防戦では市の中心部を蛇行するドネツ川を挟んで両軍が対峙した。そこに架かる橋はすでに破壊されており、私たちは難を逃れた歩行者用の橋を渡って旧市街に入った。その先の街並みは、文字通りの廃墟となっていた。 

空爆で二十数メートル幅でごっそり倒壊したアパート=9月19日、ウクライナ北東部イジューム(撮影:村山祐介)
 

 橋の近くにある5階建ての集合住宅は、中央部分が20数メートル幅にわたってごっそり倒壊し、消滅したような状態になっていた。地面には深さ3メートルほどの巨大な穴が開き、周囲にはハンドバッグやPCのキーボードなど住民の持ち物が散乱している。州政府によると、建物の崩落で地下シェルター内に生き埋めになるなどした住民47人の遺体が見つかっており、うち7人は子どもだったという。 

 町の中心部の3階建て商業用ビルは屋根が落ち、壁面は真っ黒にただれ、窓枠すら残っていない。レンガ造りの2階建ての学校も屋根がなく、壁も床も崩れて古代の遺跡のような姿になっていた。スーパーや薬局など路面店のガラスはすべて砕け散り、壁には無数の弾痕が刻まれている。 

 燃え焦げた雑居ビルの入り口には、子どもたちのイラストがあしらわれた看板がひしゃげていた。ビルの管理人アレクサンダー・バラクレイスキーさん(38)に保育所だった部屋を案内してもらうと、壁がごっそり崩れ、天井から配管がぶら下がり、床は瓦礫が山積みになっていた。「ロシア兵はテレビや家具まで盗んでいったんです」 

 地下のシェルターでは開戦直後から、住民約70人が3カ月にわたって暮らしていた。電気や水、暖房が止まるなか、「砲撃と空爆の繰り返しが丸2日間続くこともありました」。体の自由が利かない高齢者も多く、バラクレイスキーさんらは飲み水を確保するため500メートル離れた給水所まで命がけで走って取りに行ったという。 

 だが、そんな占領下の暮らしも、ひとまず終わりを迎えた。解放された今、住民たちは、安堵の表情を見せてこちらの問いにかけに答える。 

 前出のジュリア・ジラブレナさんと母マリナ・ジラブレナさん(53)に今の気持ちを尋ねると、2人同時に「ハラショー」(ロシア語で「素晴らしい」の意)とほおを緩ませた。 

「もうびくびくしながら外を歩く必要も、理由なく発砲されることもありません」 

 全身麻痺を患う夫と暮らすトロフィモバ・ナタリアさん(71)は「砲撃が始まるたびに夫をシェルターに連れて行くのが、本当に大変でした」と振り返った。食料がなかなか手に入らず、砲撃でシェルターの外に出られないときは、キュウリだけでしのいだこともあったという。 

迫来る厳寒の冬 

 ロシア軍は去ったが、間もなく訪れる厳寒の冬を前に、壊滅した町の暮らしを立て直すのは容易ではない。 

 開戦前のイジュームの人口は約4万5000人で、多くが避難したが、いまもなお約1万人が暮らす。地元市議はオンラインでの会見で、住宅やアパート、電力供給など町のインフラの8割以上が損傷したとの見方を示した。 

 ウクライナ軍東部管区のイルコ・ボシュコ大尉(39)は現在のインフラの状況について、電力は近く復旧できるものの、水道供給の再開には一定の時間がかかり、住民の命に直結する暖房の供給は絶望的との見通しを示した。 

「冬が来る前に町全体を建て直すのが無理なことは明らかです。何らかの解決策を探らなければなりません」 

 この地域では冬の最低気温が氷点下15度になることも珍しくない。占領下に残った住民の多くは高齢者で、体が不自由だったり、持病を抱えたりする人も多い。医療も壊滅状態のなか、暖房なしで冬を迎えるリスクは大きく、住民をインフラが整った場所へ避難させることも検討されているという。 

 住民たちも生活に不安を募らせる。花屋を営んでいたタチアナさん(63)は、スマホを手に私に声をかけてきた。 

「ゴミの山みたいでしょう。こんなになっちゃったの。これ、私の家なんです」 

 泣きじゃくりながらスマホの画面を指でなぞり、倒壊した自宅の画像を次々に見せてくれた。 

「あらゆるものが瓦礫の下敷きになってしまいました。これまで手に入れてきたものは、もう何も残っていません。電子レンジやオーブン、ストーブ、冷蔵庫、冬物の衣料も。もう冬が近づいていますが、何もないんです」 

 

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
村山祐介 ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。立教大学法学部卒。1995年、三菱商事株式会社入社。2001年、朝日新聞社入社。2009年からワシントン特派員として米政権の外交・安全保障、2012年からドバイ支局長として中東情勢を取材し、国内では経済産業省や外務省、首相官邸など政権取材を主に担当した。GLOBE編集部員、東京本社経済部次長(国際経済担当デスク)などを経て2020年3月に退社。米国に向かう移民を描いた著書『エクソダス―アメリカ国境の狂気と祈り―』(新潮社)で2021年度の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。2019年度のボーン・上田記念国際記者賞、2018年の第34回ATP賞テレビグランプリのドキュメンタリー部門奨励賞も受賞した。
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