地方で陸上自衛官に会うと、タイムトリップをしたような錯覚に襲われることがある。すでに5年前に制服のデザインが一新され、色も紫紺に変わったのに、今なお古い緑色の制服姿の人がたくさんいるからだ。
東京・市ヶ谷の防衛省では新制服が大多数だし、旧制服が多い地方の駐屯地にも紫紺の新制服を着ている人はいる。そもそも制服(uniform)とは、「統一された衣服」を意味する。一体なぜ、陸上自衛隊の制服は統一されていないのか。そんな疑問を投げかけられることがしばしばあるので、この背景を深掘りしてみたい。
繊維産業の海外移転で製造能力不足に
陸自の制服は創設時の茶色から数度の変更の後、1991年に緑色に変わり、27年の時を経て2018年3月末から紫紺の制服に生まれ変わった。しかし、約15万人全員に行き渡るには10年ほどかかるということで、陸自隊員の制服が不揃いの状態はまだ当分の間は続くのである。
当時、自民党などからも「一気に調達できないのか」「士気にも関わり、短期間で調達すべきだ」との声が噴出し、計画の短縮を求め財務省にも申し入れをしたというが、どうすることもできなかった。
というのは、財務省にお願いして予算を増やしてもらってもどうにもならない事情があるからだ。現にこの度、新たな国家安全保障戦略の策定にともない自衛隊予算は大幅に増額されるが、それでも状況は変わらないのである。
主たる原因は、国内製造能力の問題である。わが国の繊維製造拠点の多くは、とうの昔に人件費が安い海外に移転し、純国産の被服を作るインフラが脆弱になってしまっているのだ。現在の日本で国産の衣服にこだわっているのは、自衛隊をはじめとする安全に関わる分野ぐらいとなっている。
航空会社の客室乗務員もなりすましを防ぐなど危機管理上の理由から国産にしているとかつて聞いたことがあるが、そういった制服着用の職種であっても、現時点でどれくらい国内調達を行っているかは不明だ。すでに多くの職種で、高価格になる国産ではなく輸入品を採用している可能性が高いのではないだろうか。もはやわが国は被服を大量生産することができなくなっているからである。
制服を着る重み
特定の公務員は制服の着用が法令によって規定されている。国家権力の行使権限を持つという意味で、これらの人たちは国民から容易に識別できる必要があるからだ。制服の意義と制度などについては『オールカラー陸海空自衛隊制服図鑑』(内藤 修、花井健朗編著・並木書房刊)の「自衛官の制服」という章に詳しい。
制服の着用は法令で定められていて、それを着る資格を持たないものが制服あるいは類似するものを着用すると、軽犯罪法(第1条第15項)により拘留または科料に処せられることになる。
さらに自衛隊において制服は当然のことながら「軍服」である。同書によれば「軍服」には「身体の保護」のみならず「任務遂行の支援」「敵味方の識別」「存在の表示」「団結の象徴」「統制の斉一」などの目的が加わるといい、また「着用者に『職務に対する誇り』をもたらすというのが、もうひとつの大きな意義であろう」としている。
実は私自身、写真週刊誌の企画や自衛隊の行事において「1日司令」を務めた際に自衛官の制服を着用した経験がある。しかし、その写真を見た米軍関係者から怪訝な顔をされたことが何度もあり、日本人にとってはテレビで芸能人などが自衛官の制服を着ていても特に違和感を持たれないが、米軍人にとってそれは許し難いことであり、彼らの誇りを傷つけることにもなるのだと思い知らされることになった。
因みに日本では依然として理解が徹底されていないが、「自衛隊員」という呼び方は防衛省の全ての職員を指し、制服を着ている人だけが「自衛官」である。自衛官にとっての制服は単なる被服ではない。昭和32(1957)年に定められた防衛庁訓令第4号「自衛官服装規則」3条には「自衛官はこの訓令の定めるところに従い、正しく制服等を着用し、服装および容儀を端正にし、自衛隊員としての規律と品位を保つように努めなければならない」とある。
ジュネーブ条約で武器の保有・武力の行使権限が制服の着用を条件に与えられていることから、「制服を着る」という行為は国際的にも非常に重い意味を持っているのだ。
糸1本も機密扱い:知られざる制服作りの現場
万が一、制服そのものやその仕様書でさえも国内外に流出するようなことがあってはならない。テロリストの手に渡るなどすれば極めて深刻な事態となるからだ。実際に昭和46(1971)年8月21日には、陸上自衛隊東部方面隊所属の自衛官が警衛勤務中に制服姿の2人の左翼運動家に襲われ、殺害される事件が起きている(「朝霞自衛官殺害事件」)。制服を盗んだ上での犯行だった。こうした教訓からも、本物の制服が部外者、特に犯罪者の手に渡るようなことはあってはならないのだ。
コスト削減のため、制服の製造も海外工場で低賃金の外国人労働者にさせてはどうかという議論がこれまで度々醸されてきたが、実施に至らず国内製造を維持してきたのはこうした理由がある。
しかし、被服は誰にも身近なもので、まして一般国民には「あえて国産の服にこだわる」など考え難いこともあり、自衛官の制服をわざわざ国内企業に発注するのは「防衛産業を守るためなのか」と批判の的になりがちである。
自衛官の制服作りは大量生産の服のそれとは全く違う。まず製造段階で監督や検査が繰り返し行われなくてはならない。糸作りから染色までを独自に行い、その保全も徹底している。これらは重要機密になるからだ。
各企業は糸の1本までも責任を負っている。具体的には製造に関わるあらゆる情報保全も企業が担うことになる。文字通りたった1本の糸ですら余剰分は焼却処分し、焼却炉の煙突の煙まで撮影して報告書を作成し、防衛省に提出するのだ。
競争入札の弊害で税金が食い物に
一方、制服を国内製造する重要性は分かっていても、付属品等は安物でもいいのではないかという声もあり、これまでに数々のものから「国内製造規定」を外している。ネクタイくらいはいいのではないか、といった具合である。
しかし実際には、色や素材は制服に合わせたものを発注するために既製品というわけにいかない。数万人分あるいは十数万人分という数量の規模では海外発注する分量でもない。「15万本のネクタイ」をオーダーしたところで、大手の企業にとって大量発注と言えるものではなく、かえってコストがかかり、私たちお馴染みのアパレルメーカーが喜んで受注するような注文ではないのだ。
外国の工場に人を派遣して保全や品質管理のチェックをする労力を考えれば、結局は国内製造にするのが合理的だ。
また、国産品の最大の特徴は「100%の状態で納品」されることだ。海外製造では数の過不足や不良品があることを想定しなくてはならない。その管理にマンパワーを割くことや、返品・交換などの二度手間を余儀なくされることは想像に難くない。
従来の国産に替えて中国製の手袋を入れたところ、色落ちしてすぐに使えなくなり1年後に再公募した事例もあった。だが、再公募では過去の最安値より価格を上げることはできないルールがあるため、手を挙げる企業がおらず、仕方なく従来の国産品を納めていた企業が引き受けた。いや、正確に言えば自衛隊側から頭を下げてお願いしたということだった。
その企業にとっては赤字覚悟の苦渋の受注となる。こんなことができるのは日本の企業くらいで、昨今は経営形態も変ってきているため、日本的な義理人情や使命感といった観点での判断は難しくなっているし、またそれは決してあるべき姿ではないだろう。赤字受注のあおりを食うのは下請の零細企業なのである。
因みに、中国製の不良品を納入した業者は指名停止になるか、自ら姿を消してしまうため、1回限りの「取り逃げ」をしていることになる。
防衛装備品という特殊な分野における競争入札制度は「安かろう悪かろう」の悪しき事例を積み上げているだけでなく、結果的に税金を食い物にされている現実があることを多くの人に知ってもらいたい。
企業が求めるのは「特需」より「予見性」
なぜ陸自の制服がまだ全隊員に行き渡らないのか、というテーマから離れたようであるが、早く出来上がりそうな海外製造ではなく、国内調達しなければならない理由がお分かり頂けたのではないかと思う。
米国では、バイアメリカン法などで「米国外で生産された物は調達しない」と定められていることもあるが、それ以前に、国のため命を懸ける人たちの身に着ける物が「安物でいい」という感性そのものがあり得ない。かつて、米軍のベレー帽が中国製だったことが分かり、すでに配布された物も在庫も全てを破棄したという逸話もあったほどだ。
防衛費の大幅な増額が決まり、企業関係者の表情はさぞかし明るいだろうと思われるかもしれないが、繊維産業に限らず、実際は危機感に溢れている。製造現場にとっては、「特需」によって一気に人員を増やしたり設備投資をしたりしたところで、それが何年続くのかが問題だ。10年後に、状況が変わったからと従業員を解雇するわけにはいかないのである。導入した設備も将来にわたり使用するのでなければ経費を回収できないだろう。
日本で「防衛産業」と呼ばれる企業はどこも防衛事業専従ではなく、民生品の製造で経営が成り立っている。最大手の三菱重工や、川崎重工のようなプライムメーカーでさえ、企業利益全体に占める防衛部門の貢献度は極めて小さい。これは、儲かる民需部門がなければ、儲からない自衛隊の装備品を手がけることはできないという実情を如実に表している。
一方、繊維業界はもともと価格競争が厳しく利幅が小さいため、民生部門の売上で防衛部門を支えることができない。よって立つところがない点で、他の防衛装備とは特徴が異なるものだ。
それにもかかわらず、ここにも競争原理を適用させ、製造能力と技術を弱めてきてしまったのである。自衛官の制服を開発・製造できる企業は限られており、本来は完全な自由競争に委ねるのではなく、国家として保護する必要があったはずだ。そのような説明が通用しなかったのは残念でならない。
国の防衛に関わる制服製造能力を守るためには、大量受注ではなく、製造計画が立てられることだと関係者は口を揃える。そうすれば人も機械も作業量に凸凹なく稼働でき、効率的に運用できるからだ。複数年度契約や随意契約にすべきという指摘は外部有識者からもなされてきたものの、もし「談合」などと報じられれば「また防衛産業が不正か」と厳しい目が向けられる。世論の同意を得られないと考え、官側からも政治家からもそう主張することはあり得なかったのだろう。その結果、ますます真実を知ってもらう機会が遠のくということが繰り返された。
こうした「事なかれ」体質により、業界維持のための根本的な対策に着手しなかったことが、制服を一気に製造できない状況につながり、統一されているべき自衛官の制服の色がバラバラのままという現在の光景を生み出したのだ。
陸上自衛隊側の人手不足も
自衛隊側の事情も関係している。すでに述べてきたように、武器使用の国権さえも伴う自衛官の制服は、「端正」かつ「品位を保つ」ものでなければならず、体型に合わない不格好なものであるわけにはいかない。配付にあたっては、まず一人一人採寸を行い、体に適合したものを作る必要がある。
約15万人の陸上自衛官全員にその作業を行い、製造し、配るという一連の行程は決して容易ではない。部隊では常に人が交代し、退官と入隊が繰り返されており、任務の多さに比べ人員が全く足りていない。採寸などの作業が追いつかず、すでに納品はされているものの倉庫にとどまり配布に至っていないケースもあるとみられる。
自衛隊の場合は誰か一人分だけ間に合わせるというわけにはいかず、部隊単位で配布する必要があり、そういった自衛隊独特の事情も遅れている理由ではないかと想像する。
いずれにしても、陸自の構造的な事情と国内繊維産業、そして日本の防衛産業政策が進まなかったことが、緑と紺の2種類の制服の混在に繋がっていると言えるだろう。
また、リアルに有事を考えていくと、これから先、仮に予備自衛官を充実させるなど人員の強化を図るにしても、果たしてその人たちに制服が行き渡るのかという素朴な疑問も湧いてくる。私服で戦うということになるのだろうか、と。
最後はミシンを踏んで出来上がる
自衛隊向けの装備品は戦車であれ被服であれ、「製造ライン」といっても基本は手作りだ。発注量が少なく大量生産に適したレベルではないからだ。昭和製の古いミシンで自衛隊の制服や靴を一つ一つ丁寧に心を込めて作業をしていた現場の人たちのことが思い出される。
こうした縫製工場は、プライムメーカーと専門の商社が全国を探して引き受けてくれる所を見つけている。「工場」と言っても、その多くが北海道や東北の農家で農閑期に作業をするケースが多く、担当者は担い手探しのため驚くような僻地にも足を運ぶという。
「引き受けると言ってくれても、どこでもいいわけではありません」とある担当者は言う。品質を維持できる技術を持つ担い手探しは至難の業だ。腕の良い職人は仕事内容に納得がいかないと引き受けない。そのため、何度も訪れてとことん話をするのだという。
2011年、こうした零細縫製工場に大きな衝撃を与える出来事が起きた。東日本大震災だ。災害派遣で泥地での行方不明者捜索を行う自衛官の被服が早急に必要になったのだ。しかし、通常の人員規模では到底、縫製が追いつかない。困惑する関係者を救ったのは高齢の担い手たちだった。
「おれらがやるで!」と腕をまくったのは、すでに10年以上前に引退し年金生活をしていた人たちだった。急遽ミシンを増設し必死の作業を行うことになった。しかし、それでも自衛隊が求める量には間に合わない。そこで、より古い人たちを探すことになった。すると、日本の戦後復興を支えた時代の人々も集まった。恐る恐るミシンの前に座った彼らだが、技術の衰えは全くなかったという。先の担当者はこう語る。
「最後は人がミシンを踏んで服は出来上がります。機械がいくつあっても作れないんです」
防衛技術の維持というのは、結局は「人」を意味していると私はこの時教えられた。
今、日本の繊維製品全体に占める国産品の割合は約5%と言われている。それはそのまま、高い技術をもって「ミシンを踏める」人の少なさを表している。それを考えれば、制服の配付に時間がかかるのもやむを得ないのだろう。
自衛官にとって制服は「誇り」であり、もし有事の際に殉職すれば「納棺服」にもなる。そこには隊員の血が滲むのである。1着に込められる意味の大きさを多くの国民、特に為政者には知ってもらいたいと思う。