(前回はこちらから)
渡部昇一は1930年生まれ、百田尚樹とは26歳違いであり、保守論壇におけるキャリアも百田よりはるかに長い。渡部は1975年の『腐敗の時代』で論壇に、翌76年ベストセラーとなった『知的生活の方法』で広く読書界に認知された。その後、1980 年に大西巨人との間のいわゆる「神聖の義務」論争ではその優生学的姿勢が物議を醸した。1982年の第一次教科書問題では大手マスコミ各社の報道姿勢を批判して注目を集め、以来、2017年に死去するまで『正論』や『諸君!』といった媒体で展開された保守系論壇で重きをなし続けた。
渡部の存在は、『日本国紀』にとって大きな意味を持っている。『日本国紀』の編集者、有本香は「自虐史観」と区別された「民族の物語」としての日本通史の必要性を強調しつつ、「渡部昇一さんをはじめ、様々な方」が「それぞれ立派なお仕事」を残していると述べる。そのうえで、「できれば世代的に自分に近い方が通史を書いてくれたらいいな」(『「日本国紀」の副読本』、32頁)と百田本を位置づけてみせる。保守系・「右寄り」のマーケットにおいて競合する存在として、渡部の著作が意識されていたことがここからはうかがえよう。
単に意識されていたというだけではない。より具体的な関係もおそらくある。剽窃の指摘を受けて参考文献が付されるようになった文庫版『日本国紀』では、渡部昇一『日本の歴史』第一巻~第七巻(ワック、2015〔2010〕)と、その短縮版ともいうべき『増補 決定版 日本史』(扶桑社、2014〔2011〕)が挙げられている。特に、『日本の歴史』全七巻については、対応する時代を扱う章のすべてに参考文献として挙げられており、その存在感は大きい。前述したように渡部の知的キャリアは長く、その言論活動も多岐にわたるが、日本史については『日本史から見た日本人 正・続』(産業能率短期大学出版部、1973~77年)以来、かなり早い時期から関心を示し続けてきた。ただし、『日本国紀』で明示的に参照されるのは『日本の歴史』及び『決定版 日本史』の方であり、また渡部の歴史叙述も大枠については大きな変化は見られないことから、以下はもっぱら『日本の歴史』『決定版 日本史』に依拠して議論をすすめることにする。
渡部昇一の史観
両書を読み比べてみれば、後述する戦後史についてはもちろんのこと、確かに明治期までの歴史叙述について多くの重複があることに気づかされる。他方、両者の違いも目立つ。結論から言ってしまえば、第1回で『日本国紀』について指摘した点と対照的に、渡部の『日本の歴史』には確かに独自の「史観」があり、「ストーリー」がある。したがって、読んでいて「面白い」のである――
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