※両氏の対談内容をもとに、編集・再構成を加えてあります。
池内 今回は松田拓也特任研究員との議論を通じて、現状分析をしていきたいと思います。テーマは10月7日に発生した、ガザ地区のハマースによるイスラエルへの越境攻撃です。今回の攻撃が中東の国際関係、そして国際社会全体に及ぼす影響について検討します。
松田さんは10月1日付で当センターに着任したばかりですが、中東の国際政治も研究テーマのひとつとされており、今回の越境攻撃に関する基本的な事実関係についても、さっそく英語のコメンタリー(ROLES INSIGHTS第5号)をまとめてくださいました。
私は今トルコのイスタンブールにいます。中東各地のシンクタンクと連携して海外での研究拠点形成を行っており、この9月、10月はトルコとイスラエルの間を往復して、予定では10月8日にイスラエルに戻る計画でした。その前日にハマースの攻撃が行われたため、現地で予定していたシンポジウムなどが開催できるのか、そもそも安全に滞在することができるのか、様々に検討しましたが、結果としてイスタンブールに留まって情報収集・分析をすることにしました。
国家間の戦争に発展する可能性はあるか
池内 今回のハマースの越境攻撃は、私の印象としては「窮鼠猫を嚙む」行動です。イスラエルはガザ地区の中にハマースを完全に閉じ込めてきた。それでもハマースは、手に入る限りの武器を蓄えて攻撃するのですが、イスラエルは有効に反撃し、市民生活に影響を及ぼさないようにしてきた。実際、この10~15年の間には数日から数週間程度の衝突はあったものの、いずれも小規模で一時的なものでした。ガザ地区の外から空爆などでハマースに対する懲罰行動を行うことで、国際的な非難を浴びつつも、ハマースの攻撃を沈静化させていた。
今回のような大規模な越境攻撃は起こらないと思われていた。しかも、キブツでの殺害行為は、テレビやSNS等によって非常に衝撃的な形で世界に伝わりました。国境付近で開いていたパーティーを襲撃し、多くの人を殺害した。平和にみえた場が、突然戦場になった。それによって、もちろんイスラエル社会は国際社会から注目を集めていますが、国際社会の反応はこれから一日ごとに変わっていく可能性があります。
この攻撃は何を意味するのか。松田さんはどのように見ていますか?
松田 私は大きな「ちゃぶ台返し」だと見ています。これまでイスラエルは、ガザ地区とハマースの問題を「管理可能な厄介事」として長いこと放置してきました。冷戦終結後、オスロ合意も含め「2国家解決案」が唱えられてきたものの、2000年のキャンプデービッド会談以来、ほとんど何も動いていない状態でした。2国家案で解決する、パレスチナの民族自決を実現するという大義は、形骸化していた。ハマースとしても置き去りにされているという感覚があったと思います。
背景として大きいのは、イスラエルとアラブ諸国、特に湾岸諸国との間の国交正常化です。特にサウジアラビアとイスラエルの国交正常化交渉が進展することで、「パレスチナ問題は放置しても構わない」という正当性をイスラエルに付与してしまった。ハマースはそういった現状をひっくり返そうとした。
この攻撃によって、中東情勢が一気に40、50年も巻き戻される可能性があります。冷戦後のパレスチナ問題は、あくまでイスラエルとパレスチナ二者間の問題であって、地域全体を巻き込む問題ではなかった。それが、再び地域全体を巻き込んだ戦争に発展する危険をはらむ、予断を許さない問題になった。「もしかしたら中東の平和が見えてきているのではないか」という我々の観測を打ち砕くことになるのではないかと危惧しています。
池内 そうですね。2国家解決案こそが国際的に合意されている解決策であって、それに向けた和平プロセスというものも存在する。しかしそれがまったく進んでいない。しかも、そのプロセスの主体となるのはヨルダン川西岸のラマラにあるPLO(パレスチナ解放機構)主流派のファタハであり、その統治実態はだんだん怪しくなってはいるものの、アッバス大統領が交渉相手ということになっている。ガザ地区は西岸地区と切り離され、ガザを支配するハマースと、ハマースに支配されているガザの市民全体が、閉じ込められて排除されている。ガザの住民たちが非常に劣悪な環境に置かれていることを、国際社会があまり問題視しなくなっていた。
そこでハマースが力によって自らの存在を示そうとした。その示し方というのが残虐な殺害行為や人質略取を含む暴力であって、今後はそれらの人質を使って交渉してくることが予想されます。そしてそれは、イスラエル社会と国際社会に強い反発、怒り、嫌悪感を呼び覚ました。
場合によっては、かつての中東戦争のような、近隣アラブ諸国も含めた国家間の戦争が起こる可能性もないわけではない。本当にそうなれば、1973年の第4次中東戦争以来の国家間戦争となり、それこそ時計の針を50年も巻き戻すことになります。当時はイスラエルの主要な交戦相手国はエジプトでしたが、今であればイランと、イランの支援を受けたレバノンのヒズボラとなるでしょう。
現在、すでにヒズボラが小規模で限定的な攻撃を行ってはいますが、これは従来の攻撃とあまり変わりがない。ハマースが突如として息を吹き返したことに対して、いわば競争心で、自分たちにも力があるのだと示すための威嚇、アピールとして行っているもので、まだ本格的な参戦意思を示したとはいえない。
ただし、それにイスラエルが反撃することによって、エスカレーションの可能性はある。おそらくそうはならないと思いますが、慎重に情勢を見極めて相互に自制する必要があります。また、組織的な意思とは関係なく個人が勝手にテロに走る恐れもあります。
アメリカは東地中海に空母を派遣しましたけれども、本来ハマースは大規模な軍事力で叩くような相手ではない。アメリカの動きはイランの参入を牽制するものだと私はみています。国家間戦争に発展する最悪のシナリオが実現する可能性はそれほど高くないものの、継続してみていく必要があります。
イスラエルと距離を置く湾岸諸国
池内 もうひとつの可能性は、場合によってはもっと悪いかもしれません。それはイスラエルによる報復が、ハマースの攻撃との均衡を失うほど大規模になることです。イスラエル軍とハマースの間には圧倒的な軍事力の差がある。もしイスラエル軍がガザ地区の一般市民をかなりの頻度で巻き込む形で攻撃してガザを破壊した場合、国際世論の風向きは大きく変わる可能性がある。ハマースによる攻撃の後、日本とカナダを除くG7各国はイスラエルとの一体性を強調しました。西洋が一体となってイスラエルに対する強い支持を表明した形ですが、果たしてガザを大規模に破壊した場合でもイスラエル側の正当性は保たれるのか。
近年、イスラエルにとって最も重要な外交政策の柱は、湾岸諸国との国交正常化でした。湾岸諸国にとっては、イスラエルと同盟に近いパートナーシップを組むことで、アメリカとの関係も安定し、そこから富を得ることができる。イスラエルも、湾岸諸国をパレスチナ問題に介入させず、同問題を置きざりにしたまま「普通の国」としてやっていける。そういう方向に向かっていました。
しかし、やがては大問題が起こるだろうことを多くの人が知っていました。ガザの問題に対処しなければいけないと言われていたのに、イスラエルは本気で取り組まなかった。今回、湾岸諸国はハマースの行為をそれほど強く非難していません。サウジアラビアは「イスラエルに責任がある」とかなり厳しく非難する一方で、ハマースの名前は挙げることもなく単にその行為のみを非難し、双方に自制を求めました。イスラエルにしてみれば、サウジの反応は、これからパートナーシップを組もうとしている相手とはとても思えないものでした。地域の盟主であるサウジの影響は非常に大きい。UAE(アラブ首長国連邦)も、この国は現在、国連安保理の非常任理事国ですが、イスラエルとはアブラハム合意で国交を正常化して非常に親密な関係を構築していたにもかかわらず、距離をおいて中立に徹しています。
イスラエルは非常に難しい立場に立っています。しかし、ハマースへの怒りと恐怖、憎しみに駆られて、湾岸諸国の支持がなくても報復を行う恐れがある。イスラエル国民の戦意は高揚しています。その復讐心が軍事行動に反映されれば、結果的にはイスラエル自身にマイナスの影響をもたらす。ハマースの軍事力を破壊することはできても、巻き添えでガザ市民を犠牲にしたら、湾岸諸国との関係構築、安定的な発展の未来は、極めて長い間途絶えることになります。
アメリカのコミットメントを「アジアに取られている」という認識
池内 ハマースとイスラエルの衝突を、二つの国の間の戦争として捉えてはならない。実態としてのハマースは、イスラエル軍に対抗できるようなまともな軍事力を備えた存在ではありません。イスラエルに批判的な人々はガザ地区の現状を表すのに「天井のない監獄」という言葉をよく使いますが、イスラエルを批判する立場ではなくとも、客観的な事実として、今回のハマースの攻撃は「刑務所破り」に近いものがあると思います。イスラエルはガザ地区の電気も遮断できるし、そこに住む人々の携帯電話の通話記録も含め、ほぼ完璧に監視できる状態でした。そういう状況下でハマースは、いわば「看守」の役割をしているイスラエル治安当局の監視の目を搔い潜って、ユダヤ教の宗教休日に攻撃を仕掛けた。おそらく何年もかけて、宗教休日にイスラエル側の警備体制がどれほど緩むのかを見ていたのでしょう。
ガザ地区という巨大な「刑務所」から脱獄して、近隣に住む一般市民をターゲットに殺戮を繰り広げた。その意味で、軍と軍との戦争というよりも刑務所破りに近い。ですからイスラエルの側からすれば、再び刑務所に立てこもった勢力を懲罰するのであって、法を逸脱してでも制圧、除去しなくてはならないということになります。イスラエル側の認識では、そこに暮らす市民は犯罪者と区別がつかない。ある程度の犠牲はやむを得ないという理論武装もして攻撃に臨むのでしょうが、実際にはかなり際どいケースが出てきて、国際的な批判を浴びることになるのではないか。
松田 どのくらいの烈度で反撃し、どのくらい長期化してどのくらいの被害が出るか、それが大きなカギとなります。
地域内での国家間戦争に発展するかという点では、イランはハマースの攻撃への関与を否定しています。エスカレーションしないようコントロールしたいアメリカも、イランの関与は否定している。ヒズボラが第二戦線を開くことも懸念されますが、ヒズボラはレバノンの経済状況も考えると、2006年の第2次レバノン戦争のようなことになれば政治的なコストは大きいので、容易に戦争を始めることは考えにくい。ただし、パレスチナ人の被害が増えると参戦せざるを得ないかもしれない。イスラエルの攻撃が長期化すると、思わぬ形でエスカレーションする可能性は高まる。
倫理的な観点でも、人口が密集したガザ地区への大規模攻撃は、イスラエルの外交的な資産を一気に失わせるかもしれません。イスラエル自身がカギを握っているといえます。ハマースを除去しても、ガザ地区に力の空白を生むことになる。ガザを瓦礫の山にしたとして、その後はどうするのか。9.11の後にアメリカが始めた対テロ戦争の例をみれば、政治的な目標と着地点を冷静に考えて判断すべきです。アメリカも、自らの経験をもとにイスラエルに自制を求めなければいけない。そうでなければ、中東から手を引きたいというアメリカ自身の思惑も台無しになってしまいかねません。
池内 アメリカが主に軍事力によって提供する安全保障には、国際公共財としての側面があります。親米の国同士は多くの場合、相互に価値観を一致させていますが、同時に「米軍による安全保障」という限られた資源を奪い合う潜在的な競合関係にもある。ロシア・ウクライナ戦争に直面する西欧諸国も、台湾有事に備える日本も、アメリカの軍事力を必要としています。
中東、アジア、欧州がアメリカの提供する安全保障に依存する中で、イスラエルは従来から、アメリカのコミットメントを過剰に与えられていると見られてきました。一方で中東諸国の近年の認識は、アメリカのコミットメントという公共財を「アジアに取られている」というものです。湾岸諸国は、それをなんとか引き戻そうとあらゆる努力をしてきた。今回の件でアメリカは否応なく、その希少な軍事力を中東に割くことになりかねない。これは欧州やアジアに大きな波及効果をもたらします。
ウクライナによるイスラエル支持に潜む危うさ
池内 もう一つ不安なのは、ウクライナが積極的にイスラエルに寄り添い、まるで一緒に戦うかのような姿勢を示していることです。これは、短期的には色々と必要性があってやっていることだと思いますが、長期的にはウクライナのためにならない可能性がある。
隣国が国境を越えて攻めてきて一般市民を殺害しているという、非常に限定された場面においては、イスラエルに連帯を示すのは当然です。ただし、ロシア対ウクライナと、ハマース対イスラエルでは、力の関係はまったく異なっている。封じ込められたガザから武装勢力が出てきて一般市民を殺害したというのと、大国ロシアがウクライナに攻めてきて人を殺しているというのでは、やはり事情が違います。
国際法の解釈や適用、さらには国際秩序を形作る規範という観点でも、ウクライナが一方的にイスラエルの報復行動を支持することが、法と秩序に基づいて国際社会を動かしていくという主張と完全に一致するのか議論を呼ぶことになるでしょう。その場合に得をするのはロシアであり、既存の国際秩序の揺らぎを指摘しつつ自らはそれに服さないという中国のような現状変更勢力です。
ウクライナが積極的にイスラエルを支持すれば、ロシアや中国は国際法上の矛盾を主張するでしょう。イスラエルの報復による一般市民の被害を容認しているとして、国際法に基づく秩序は不安定で状況次第で適用のされ方が異なるのだ、それに縛られないで行動してもよいのだ、という空気を国際社会に広められかねない。国際法を守ることで利益を得ている勢力には非常に由々しき事態ですし、ウクライナのためにもならない。場合によっては、ゼレンスキー大統領の発信力が仇となり、重大な波紋を起こすかもしれない。
宗教右派の台頭がイスラエルの警備に隙を生んだ?
松田 イスラエルが反撃に出ることはハマースにとっても想定内だったはずです。そして反撃の過程で、イスラエルが国際人道法に違反してしまう可能性もわかっている。イスラエルが12日にシリアのアレッポ空港を攻撃したのは、ハマースの思うつぼかもしれません。ハマースの攻撃が何を目的としたのかまだわかりませんが、2年くらいかけて準備していた可能性がある。イスラエル軍の戦車の弱点が書かれたマニュアルも見つかっています。
池内 ハマースが周到な準備と訓練、シミュレーションを行っていたこと自体に驚きはないのですが、イスラエルによる厳重な監視下でそれができたという事実には注目すべきです。
ハマースは長年イスラエルのやることを見てきたので、段々イスラエルのやり方を真似するようになる。イランにもそういうところがあります。イスラエル軍がガザ地区の模型をつくって空爆のシミュレーションをすることはよく知られています。ハマースもそれを真似したのでしょう。宗教休日には多くの公的活動がストップすることは、毎年見ているのでわかっている。そこに攻撃を仕掛けたらどうなるか、事前にシミュレーションもしている。それを実行に移してみたら効果が出た。
逆にイスラエル側の警備がここまで弛緩していたことに驚きます。イスラエル国内の変化は大きな要素です。ネタニヤフ政権の構成が非常に偏ったものであるのは確かですが、それは民意に基づいたものでもある。国内で宗教右派勢力が強くなると、宗教的な義務を守るため休日には公的な機関も一斉に休んでしまう。もちろん世俗的な人だって休めるなら休みたいわけです。結果としてイスラエルの様々な制度が宗教休日には停止してしまう。それを問題視する雰囲気がイスラエル側になくなっていた。
しかもこれは長期にわたって培われた雰囲気ですから、短期的に改めることはできないでしょう。今回の攻撃を受けてイスラエル社会は問題を認識しましたが、認識したからといってすぐには改善できない。ですから短期的には、軍事力によってハマースに殺された分を殺し返すという、同害報復に近い動きをしてしまう可能性もある。国際社会からの厳しい批判も、かえってイスラエルを頑なにするでしょうから、そう簡単に行動を変える方向にはならない。イスラエル社会の中でますます強硬派への傾斜が強まり、紛争の烈度がじわじわと上がっていき、新たな活力を得て持続することになる。
反撃後のイスラエルの交渉相手は誰になるか
池内 ハマースのほうは、そもそも国際社会から認められてこなかったわけで、通常の意味で認められようともおそらく思っていない。力を示すことで最終的には認められるという認識があると思います。これは長期的には正しい面もあります。力と力のぶつかり合いになって、それ以上の力の行使が自国のためにならないとイスラエルが悟るまでやり続ける。それがハマースに残された唯一の戦略なんですね。妥協したところで、イスラエルからも国際社会からも何も得られないという認識に、とうの昔に到達していると思われる。
今回の攻撃で、ハマースは批判を受けるし、嫌悪の目で見られるけども、その力と存在は国際社会に克明に印象付けられた。「壁の中に閉じ込めておけばやがて朽ち果てる」と認識されるよりは、嫌悪感をもって恐れられ、怒りあるいは憎しみの対象になったとしても、存在を認められたい。そうでなければ自分たちは生きていけないと認識している。そしてそれは一定程度ガザの一般市民の認識にも根ざしているわけですから、事ここに至って、ハマースを攻撃するだけで問題が解決できるとは考えられない。
もとより誰の目にも明らかな力関係を、イスラエルは改めてガザの市民とハマースに認識させようとしているわけですが、それによって問題は終わらない。「ハマースの巻き添えになりたくなければ逃げなさい」といって、エジプトに無理矢理国境を開かせて、200万人がエジプトに逃げたら解決、ということにはならない。まずエジプトは受け入れないでしょうし、エジプトとイスラエルの間で人道危機の責任の押し付け合いを始めれば、両国の長期にわたる和平も崩してしまう。もちろん200万人のガザ市民を地中海に追い落とすこともできないわけです。
したがって、イスラエルもいずれはパレスチナ側と交渉しなければならず、その交渉相手は今回、力を示してしまったハマースになる可能性が極めて高いでしょう。残虐な攻撃があった直後の今は想像し難いことですが、イスラエルによる軍事的な反撃を経た後に、たとえば軍事部門と政治部門を再び明確に切り離すような外交的な作為を経て、ハマースが交渉の当事者として生き残る。その時はおそらく、国際的に認められているヨルダン川西岸の自治政府中枢は、あまり影響力を行使できないのではないかと思います。ただし、あくまで現時点での仮定を積み重ねて考えていることですけれども。
パレスチナ問題を解決しなければ中東に平和と安定はない。それを思い知らされたのが今回の出来事だったと思っております。今回は事件の発生からまだ間がなく、本格的な地上戦も始まっていない段階での将来展望を行いました。この問題は長引く可能性がありますので、ROLESの様々な研究者の知見を結集して継続的に分析し、その成果をお届けしていきたいと思います。