
欧州委員会は中国製EVへの追加関税の暫定的適用を発表することで、中国を交渉のテーブルに引き出すという最初の「勝利」を手にした。だが中国に深く依存するドイツの自動車業界は、関税上乗せを強く批判。業界の頭上に貿易紛争の暗雲が垂れ込める。
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欧州委員会は7月4日、中国から輸入される電気自動車(EV)に対し、最高37.6%の追加関税を暫定的に導入すると発表した。「暫定的」と呼ばれるのは、実際に関税が徴収されるのが今年の11月以降だからだ。しかし輸入会社は関税額をリザーブ(保全)することを求められる。今後欧州委員会と中国政府は、約4カ月の交渉に入る。交渉が実を結ばない場合には、追加関税が正式に発動される。
「中国からのEV輸入量が42%減る」との予測
キール世界経済研究所(IfW)とオーストリア経済研究所(WIFO)は、「シミュレーションの結果、追加関税が欧州の消費者に与える悪影響は軽微と予想される」という見方を同日発表した。両研究所は、「EU(欧州連合)の追加関税が正式に適用された場合、中国からのEV輸入量は現在に比べて42%減る。だが中国車の減少分は、EU域内の自動車メーカーの販売数の増加や中国以外の国からの輸入量の増加によって相殺される。このためEU域内のEV価格は、0.3~0.9%しか上昇しない」と予測している。IfWによると、2023年に中国からEU域内に輸入されたEVの台数は約50万台だった。
IfWは今年5月に発表した別のシミュレーションの中で、EUが中国のEVに対する関税を平均20%引き上げた場合、中国のEU向けEV輸出額は約40億ドル(6400億円・1ドル=160円換算)減る」と推測していた。
欧州の論壇では、「EVをめぐる一連の動きは、EUの作戦通りに進んでいる」という見方が強い。今年6月12日に欧州委員会が「調査の結果、中国のEVメーカーが天然資源の採掘から製造、輸送に至るまで、政府による不当な補助金を受けていることがわかった。このため中国製EVは、欧州製EVに比べて平均20%安い」と指摘し、追加関税をかける方針を明らかにした。
もっとも、EU域内での中国製EVの数はまだ少ない。欧州委員会によると、2023年にEU域内で販売されたEVの内、中国製EVの比率は7.9%にすぎなかった。ドイツ連邦自動車局によると、ドイツで2023年に新車として登録されたEVの内、BYDなど中国製EVの比率は5.5%に留まった。筆者が住むミュンヘンで、中国製のEVはめったに見かけない。しかし欧州委員会は、EUでの中国製EVの比率が2025年には15%に増加すると警戒している。
EUの「宣戦布告」から10日後の6月22日に、ドイツ連邦経済気候保護省(BMWK)のロベルト・ハーベック大臣が訪問先の北京で、「我々は中国を罰しようとしているのではない。制裁関税は『究極的な対抗手段』であり、しばしば最悪の選択だ。今後EUと中国が関税引き上げ競争に陥った場合には、双方が敗者になる。今重要なことは、欧州委員会と中国政府が話し合いによって事態を解決することだ」と述べた。中国側は欧州委員会の発表に対し、EUが予想したほど強く反発せず、ハーベック大臣に対して欧州委員会との交渉に応じると伝えた。ハーベック大臣の比較的穏健なメッセージが、中国側の姿勢を軟化させたのかもしれない。
中国を交渉に引き出したEUの「勝利」
中国政府が「交渉に応じる」というシグナルを送ったことは、EUにとって最初の「勝利」だ。中国政府はこれまで、EVをめぐり交渉のテーブルに着くことを拒否し続けてきたからだ。また米国がEUに先駆けて関税適用を発表していたことも、EUにとっては有利に作用した。EUの追加関税率(最高37.6%)は、米国のバイデン政権が今年5月14日に発表した関税率(100%=現状の4倍)よりもはるかに低い。EUが米国のように極端に高い追加関税率を打ち出さなかったことは、「中国との正面衝突を避け、話し合いによって事態を打開しよう」というEUのメッセージと見られる。
ドイツの保守系日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)は7月4日、「欧州委員会は、自動車というEU産業界にとって重要な分野を守る姿勢を打ち出した。EUが暫定的関税の適用によって、公平な競争を歪める中国の態度を拒否したことは、正しい。ウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長の毅然とした態度は、ドイツのオラフ・ショルツ首相の優柔不断さとは対照的だ。EUが、これまでEVに関する交渉を拒んできた中国政府を、協議のテーブルへ引っ張り出したことは成功だ。その意味でEVをめぐる動きは、EUの作戦通りに進んでいる」と論評した。
貿易戦争を懸念するドイツの自動車メーカー
だがドイツの自動車業界のムードは、暗い。この国の自動車業界は、中国に大きく依存しているからだ。フォルクスワーゲン、BMW、メルセデス・ベンツが2023年に世界で売った車のほぼ3台に1台が中国で売られている。ドイツの自動車メーカーは、EUと中国の間の対立が貿易戦争にエスカレートし、自社の中国ビジネスに悪影響が及ぶことを強く恐れている。自動車業界の重鎮たちは、異口同音にEUの決定を批判した。
ドイツ自動車工業会(VDA)のヒルデガルド・ミュラー会長は、「EUの決定は、グローバルな共同作業を阻害し、世界規模の貿易紛争の危険を高める。EUの追加関税は、欧州の自動車業界にも悪影響となって跳ね返ってくる恐れがある。この措置は、欧州の自動車業界の競争力を高めることにつながらない」と批判した。確かに、欧州製EVの価格の高さは、この地域の人件費が中国よりも高いこと、そして電池などを自社で製造せず、他社から購入しなくてはならないことに起因している。欧州の価格競争力の弱さは、覆うべくもない。
ただしミュラー氏は「中国政府によるEVへの補助金は確かに問題である。重要なことは、欧州委員会と中国政府が話し合いによって、11月までに正式な関税適用を回避することだ」と述べ、中国側にも対応を求めた。同氏は「我々は、気候変動などのグローバルな問題を解決する上で中国を必要とする。EV普及やデジタル化で中国は極めて重要な役割を果たしている」とも付け加え、欧州委員会に比べると宥和的な態度を見せた。つまり「欧州は引き続き中国と協力していくべきだ」という姿勢だ。
BMWのオリバー・ツィプセ社長は、「追加関税は我々を袋小路に追い込む。追加関税はグローバル企業に損害を与え、消費者にとっては購入できるEVの車種を制約し、モビリティの脱炭素化にブレーキをかける」と述べEUの決定を批判した。フォルクスワーゲンの広報担当者も「追加関税による損害は、それがもたらす利点に比べてはるかに大きい」とコメントした。
日本経団連に相当するドイツ産業連盟(BDI)も「EUの決定は、我が国の製造業界にとっても重大な影響を及ぼすだろう。我々はこの発表が、世界的な貿易紛争にエスカレートすることを望まない」と述べ、欧州委員会・中国政府に慎重な対応を求めた。ドイツ商工会議所(DIHK)は、「EUの決定は、中国で活動しているドイツの自動車メーカーにも影響を与える。欧州委員会は、米中間の貿易紛争に巻き込まれることを避けるべきだ」という声明を発表し、ドイツ経済界への悪影響に強い懸念を表した。
ハンガリーにEV工場を建設して、追加関税を骨抜きに?
ドイツの経済学者の間にも、EUの追加関税の「副作用」を懸念する声がある。ベルリンのドイツ経済研究所(DIW)のマルセル・フラッチャー所長は、「中国のEVメーカーが、政府からの多額の補助金によって、競争上有利な立場に立っていることは疑いようがない。したがってEUの追加関税は、中国が競争条件を歪めていることに対する、欧州の回答である」と述べEUの決定に賛意を表した。EUとドイツは、中国を単なるパートナーではなく、「システム上のライバル(systemic rival)」と見なしている。EUとドイツは、議会制民主主義を持たず、言論の自由などを保障せず、国家が大きく介入する中国の「疑似資本主義体制」を、欧州の経済体制とは大きく異なるシステムと位置付けている。
だがフラッチャー氏は同時に、「関税適用が、欧州に跳ね返ってくる危険がある。つまりEUが関税を適用しても中国企業が欧州のEV市場でマーケットシェアを拡大し、同時にEU加盟国に対して報復関税を導入する可能性がある」と警告する。
実際、中国企業はすでに手を打っている。BYDは2023年12月、「ルーマニアとセルビアの国境に近い、ハンガリーのセゲドに、EV組み立て工場を建設する」と発表した。つまりBYDはEUの追加関税を回避するために、EU域内に生産拠点を作り始めているのだ。他の中国企業もBYDに追随した場合、EUの追加関税の「打撃力」は大幅に弱まる。EU加盟国の中で最も中国寄りのオルバン・ヴィクトル首相は、ハンガリーをEVやEV用電池の重要な生産立地にすることを目指している。BYDのこの橋頭堡は、EUの追加関税を骨抜きにする可能性を秘めている。
BYDは、現在ドイツなどEU加盟国での販売網を構築しつつある。知名度を高めるための工作も強化している。たとえば、6月から7月にかけてドイツで行われたサッカー・ヨーロッパ選手権(ユーロ2024)でのeモビリティー・パートナーの座を初めて獲得した。これまでは、フォルクスワーゲンや現代・起亜などがこの任務を担っていた。BYDは、ドイツのEV市場でのシェアを将来10%に引き上げる方針を明らかにしている。イタリア政府も、BYDのEV組み立て工場を誘致しようと努力している。
交渉の行方は予断を許さない。欧州委員会は、正式に追加関税を発動するのか? 中国政府は、ドイツ企業に対し報復の矢を放つのか? 米・欧・中三つ巴のEV貿易戦争が始まるのか? ドイツの自動車メーカーのCEOたち、そしてこの国の自動車業界で働く全ての人々にとって、不安な日々が続く。