世論を背にするイスラエル、「ハマスと心中するつもりはない」ヒズボラ――エスカレーションとジレンマの危うい構図

執筆者:曽我太一 2024年9月30日
タグ: イスラエル
エリア: 中東
ナスララ師が殺害される約1カ月前、ベイルートでは人々がテレビでナスララ師の演説を視聴していた[2024年8月25日、レバノン・ベイルート](C)EPA=時事
ネタニヤフ政権にとっては、イスラエル北部から避難している6万人以上の住民を帰還させるためにも、ヒズボラをレバノン南部のリタニ川の北まで押し戻すことが最大の課題となった。世論も6割以上が攻撃強化を支持しており、民間人を巻き込むポケベル爆破作戦などで事態をエスカレートさせているのはイスラエル側だ。一方のヒズボラは、報復しなければその存在意義が問われるというジレンマに陥っている。

 イスラエルとレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラとの間の緊張が高まり続けている。双方の交戦は2023年10月8日以来続いているが、直近のエスカレーションのレベルを引き上げたのは、イスラエルであると言える。

 きっかけは、レバノンの首都ベイルートなどで9月中旬に起きた通信機器の連続爆発だ。17日、ベイルート南部などでヒズボラのメンバーが持っていたとされるポケベルが多数爆発。8歳の女の子など含めて少なくとも12人が死亡し、約3000人がケガをした。その翌18日には、トランシーバーなどの通信機器が爆発し、2日間での死者は合わせて少なくとも37人に上った。死者の多くは、ヒズボラの関係者とみられている。

 ヒズボラはこの爆発について、イスラエルによる攻撃だと非難。イスラエル側は、例によって公式に声明は出していないが、イスラエルの軍事や諜報機関に詳しいロネン・バーグマン氏が連名で書いたニューヨークタイムズの記事は、匿名の政府関係者の話として、この爆発はイスラエルが仕掛けたものであると伝えている。通信機器に爆発物を仕掛けて、ターゲットを暗殺するのはイスラエルの諜報機関の常套手段だ。

 これだけに止まらない。イスラエル軍は20日、ベイルートでピンポイント空爆を行ったと発表。この空爆では45人が死亡したとの報道されている。               イスラエル側は、ヒズボラのエリート部隊「ラドワン部隊」の司令官などを含む幹部など16人          のヒズボラ戦闘員が死亡したとしている。

 イスラエルは攻撃の手を緩める気はない。9月27日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相がニューヨークで開かれている国連総会でイスラエルの戦闘の正当性を訴え、情勢の都合から旅程を切り上げてイスラエルに帰国すると発表したかと思えば、28日にはベイルート近郊にあるヒズボラの本部とされる建物を空爆し、最高指導者のナスララ師を殺害した。イスラエルによる攻撃で幹部が相次いで死亡する中、ヒズボラは大きな打撃を受けた。

「最も強力な非国家主体」

 奇襲攻撃により大きな被害を被ったハマスとは異なり、ヒズボラはイスラエルにとって安全保障上の大きな懸念となってきた。ヒズボラは1982年、当時南レバノンを占領していたイスラエルに対する抵抗運動として結成された。同じシーア派が多数派の国家であるイランから軍事支援を受け、ハマスやフーシ派と共に「抵抗の軸(Axis of Resistance)」と呼ばれる。

 ヒズボラの名は「神の党」を意味し、これまでに度々イスラエルと衝突。最も大きな衝突となったのが2006年のレバノン戦争で、ヒズボラの戦闘員がイスラエルに侵入し、イスラエル兵2人を誘拐したことで大規模な衝突に発展した。攻撃の応酬はおよそ1カ月にわたった。

 ヒズボラの軍事力はレバノン正規軍をも凌ぐとされ、イスラエル国家安全保障研究所(INSS)によると、5万人から10万人の戦闘員を擁し、短距離弾道ミサイルやロケット弾など合わせて15万発から20万発を保有すると推定される。その強力な軍事力から、「最も強力な非国家主体」や「正規軍のように訓練を受け、国家のように装備した武装勢力」とも呼ばれ、ハマスの軍事力とは比べものにならない。この非国家組織を率いるのが、ハサン・ナスララ師で、1992年から指導者を務め、2006年のレバノン戦争では、イスラエル軍に大きな打撃を与えたことから、アラブ諸国で最も人気の指導者ともなった。

 このため、イスラエルはヒズボラとの来るべき衝突に向けて万全の態勢を構築してきたと言える。

焦点はレバノン南部のリタニ川

 今回のイスラエルとヒズボラの交戦は2023年10月8日に始まった。前日7日のハマスの攻撃を受けて、ヒズボラが交戦を開始。以来、双方による攻撃の応酬は1年にわたり続いている。ある攻撃に対してどのような報復を仕掛けるのかは、「交戦の規定(Rules of Engagement)」や「ゲームのルール」とも呼ばれるが、イスラエルとヒズボラのこれまでの交戦はこれを大きく逸脱することなく、徐々にエスカレートしてきた。背景にあるのは上述の2006年のレバノン戦争で、この時は双方が相手の戦略を読み違えて戦争に突入した経緯もあり、互いに相手の脅威を認識している。

 ただ、ヒズボラは今回、イスラエルとの全面戦争には消極的だとみられてきた。INSSのヒズボラ研究者オルナ・ミズラヒ上級研究員は今年3月、筆者の取材に対し、「ヒズボラは、イスラエルとの全面戦争を望んでいない。ヒズボラは“結末”を懸念していて、全面戦争となれば、レバノンに破壊をもたらし、組織としても大きな痛手を受ける」と指摘していたが、今回改めて取材したところ、「その姿勢に変わりはない」と強調した。

 また、ヒズボラがイスラエルに大きな打撃を与えた2006年とはレバノン国内の経済状況が大きく異なる点もヒズボラの姿勢に影響を与える。レバノンの2005年のGDP成長率は2.7%、2006年も戦争があったにも関わらず1.5%を記録していたが、現在はマイナス成長が続き、政治的な混乱もあり危機的な経済状況に陥っている。停電なども相次ぎ、国民は厳しい生活状況に置かれている。

 このため、ある外交関係者は、「2006年の戦争後は、国際社会から復興に寛大な支援の供与を受けられたが、今回、仮に全面戦争になりレバノンが大きな被害を受けたとしても、当時のような支援は受けられないのではないかという懐疑的な見方もあり、ヒズボラも大規模な戦争はやるべきじゃないというのは理解している。ただ、“やられたらやり返す”というのは、抵抗運動としての存在意義でもある」と分析し、ヒズボラとしてもジレンマに陥っていると指摘する。

 このヒズボラの置かれた状況の足元を見たのか、事態のエスカレートによって圧力をかけようとしているのがイスラエルだ。ミズラヒ氏は、「イスラエルは手口(Modus Operandi)を変えた。この数週間、イスラエル側が事態をステップアップさせ、ヒズボラの思考回路を変えようとしている」とイスラエルの狙いを強調する。

 かねてから指摘されているベンヤミン・ネタニヤフ首相の政治的な魂胆は別として、イスラエルにとって、避難を余儀なくされている6万人以上の北部住民の帰還は大きな課題となっている。イスラエル政府は今月、戦争の目標として、これまで定めていた「ハマス殲滅」と「人質の帰還」に、「北部住民の帰還」を加え、北部戦線での戦闘体制を強化した。

 北部住民の帰還のためにイスラエルが設定しているとみられる目標は、ヒズボラの勢力をレバノン南部を流れるリタニ川の北側に押し戻すことだ。9月20日の国連安保理で、イスラエルのダニー・ダノン国連大使は、「もし外交的な努力によってヒズボラがリタニ川より北に後退しなければ、イスラエルは国民を守るためにあらゆる手段を尽くすほかに選択肢はない」と述べ、リタニ川が焦点になることを示唆した。

攻撃支持に傾くイスラエルの国民世論

 イスラエルの国民世論は、ヒズボラへのさらなる打撃を与えることを望む方向へ傾いている。

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カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
曽我太一(そがたいち) エルサレム在住。東京外国語大学大学院修了後、NHK入局。北海道勤務後、国際部で移民・難民政策、欧州情勢などを担当し、2020年からエルサレム支局長として和平問題やテック業界を取材。ロシア・ウクライナ戦争では現地入り。その後退職しフリーランスに。
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