2023年10月のハマスの大規模テロ攻撃はイスラエル社会に大きな衝撃を与えた。イスラエル人は左右を問わず、ホロコーストの惨禍を否応なしに想起させられ、世論はガザ地区への全面攻撃に大きな勢いを与えた。
その後もイスラエルの攻撃によってガザ地区で建物の8割が破壊され、地区内の一部では中東初となる飢饉が報告されるという深刻な人道危機に陥っている。だが、世論の大半はイスラエルの攻撃が正当化されるという意見が大勢を占め、ガザの人たちに少しでもシンパシーを示せば、ハマスの擁護者と糾弾された。
イスラエルを代表するニュースアンカーであるチャンネル12のヨニット・レビ氏が去年、ガザ地区の状況について、「これはPRの問題ではなく、道徳的失敗だ」とコメントしたことがある。レビ氏はイスラエルの典型的な中道で、自身がホストするポッドキャスト「Unholy」でも、基本的にネタニヤフ政権には厳しいスタンスではあるものの、パレスチナとの和平については積極的には言及しない。しかし、上記のコメントでイスラエル側の失敗という見方を示した途端、「ハマスを擁護するのか」と批判が広がった。イスラエル社会はそれだけ、イスラエル側の責任を追及されることを恐れている。
ガザ地区で飢饉が報告された直後に筆者がテルアビブで行ったインタビューでも、半数は「ガザでは飢饉はない」と否定した。人質解放を優先しないネタニヤフ政権の姿勢は批判しても、ガザでの人道状況については政権側が発する情報を信用するという人もいた。
パレスチナの現実を描いた作品に映画賞
パレスチナについて語ることがタブーとなるなか、イスラエルでは去年、ある映画が波紋を呼んだ。去年公開されたイスラエル映画『The Sea』は、ヨルダン川西岸地区に住む12歳のパレスチナ人少年が、未だ見たことがない地中海を見るため、イスラエルの沿岸まで一人で旅に出るという物語だ。西岸のパレスチナ人は特別な許可がない限り、イスラエル側との間に張り巡らされた壁の検問所を越えることは許されない。西岸地区に暮らす子供達は14歳を超えると、検問所の通過は原則、禁止される。
占領下のパレスチナ人の苦悩を描いたこの作品は、去年9月に開催されたイスラエル映画界のアカデミー賞に相当する「オフィール賞」で作品賞や監督賞、主演男優賞など複数部門で最高賞を受賞した。イスラエルの映画だが言語はアラビア語で、主演を務めたのはパレスチナ系イスラエル市民のムハマド・ガザーウィさんだ。シャイ・カルメリ・ポラック監督がイスラエル国内のパレスチナ系の村を訪れて発掘したという。イスラエルの文化・芸術界は一般的にパレスチナ問題において左派的傾向があるが、ハマスとの戦争の最中に占領の現実を描いた作品が最高賞に選ばれた意味は大きい。
オフィール賞を主催するイスラエル映画・テレビアカデミーのアサフ・アミール会長は受賞の背景について、「アカデミー会員による政治的な意思表示だとは思わないが、私たちが依然として自由な社会に生きており、政治的な線引きで投票するのではなく、自分たちが最も気に入り、最も優れた作品だと考える映画に投票したのだろう」と話す。
さらにアミール会長は、左派的・中道的な傾向を持ち、多くがテルアビブなどリベラルな都市に住む、多くのイスラエルの文化関係者が忘れてしまった現実があると指摘した。
「私たちの多くが近年、イスラエルの民主主義を変えようとする(政府の)動きに反対するデモをしてきた。しかし、イスラエルの民主主義のためにデモをしている人たちの大半が、同時にパレスチナ人の権利のためにもデモをしているかというと、そうではない。それは同じ闘いであるはずなのに、別物になってしまっている。
実際、イスラエル人の多く、あるいはテルアビブに住む人々や映画制作者たちは、この政治的な問題に気づいていても、(パレスチナ人が置かれた)現実と日常的に向き合ってはいない」
ネタニヤフ政権は公的資金の引き上げを表明
人口1000万程度のイスラエルではマーケットの規模が小さく、映画などの芸術作品が生み出されにくい。そのため、政府が制作資金などについて公的資金を投じ、文化振興を進めている。『The Sea』も公的資金が投入されて制作された。
しかし、この作品に極めて否定的な反応を示したのがイスラエル政府だ。
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