一家言内閣の勝算

執筆者:元木忠 2024年10月26日
タグ: 石破茂 日本
エリア: アジア
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 石破内閣は良い仕事をするだろう。色々な失態や醜態が笑いものになっているが、多くは石破茂氏の狙ったプロットの上に並んでいるように私には見える。

 まず石破内閣が客観的にどうふるまっているかを確認し、そこにこめられた石破氏の主観的な狙いを説明したい。

 衆議院議員会館の廊下を歩きながら、ドアの開いている議員事務所をちらちらのぞく。すると石破事務所は異彩を放っている。所狭しと本が並び、古本屋のようである。その勉強熱心には頭が下がる。

 だがまさに古本屋のようなさびた雰囲気が、年を経るほどに石破氏の周りにたちこめるようになってきていた。世論の期待はあっても権力闘争で浮かばれず、やがて世論の期待も若い世代に流れようとしていた。

 だから自民党総裁選に勝利した瞬間は、意外感があり、意外感に伴う高揚感もあった。長年不遇のご意見番が、最後の挑戦と覚悟した総裁選で政界の頂点を極めたのだ。政界のシンデレラのようだった。

 この高揚感はすぐに薄れた。

 解散・総選挙を早めたことは大きな問題ではない。自民党や立憲民主党がどういう政党かを有権者は知っている。それぞれの党首である石破茂と野田佳彦は政界屈指の古武士であり、やはり有権者はイメージを持っている。虚心に投票すれば、それ相応の結果が出るはずだ。

 ところが組閣を見て有権者の虚心はぐらついた。村上誠一郎氏を総務大臣にしたのは驚きであり、また象徴的であった。石破氏と似ている。勉強家だが気難しく、味方を増やすことに長けていない。

 日ごろ味方が少なくても、何かの拍子に地位を与えられると大きな仕事をする人はいる。だが勉強家にはこの方面の過大な期待も禁物である。細かいことまで気にするから勉強家なのだ。のめりこめば事の大小が置き去りになる。学んだ上で、学んだことから離れて、大小を俯瞰できるようになればよいのだが、自衛隊が米国に訓練基地を置けば地位協定を改定できるかもしれないという石破氏や、安倍晋三は国葬どころか国賊だとかつて述べた村上氏は、物事の大小の判断やバランス感覚に不安を抱かせる。どうも勉強家の風貌を抜けきれずにいる。

 世間よりも議員仲間の方がそれに気づいており、だから石破氏に権力を与えなかったのだろう。石破氏はそれを学習しなかったか。組閣ぶりを見ると、そんな不安を禁じ得ない。シンデレラかもしれないが、くるみ割り人形でもあった。逆境をバリバリとかみ砕いてきた不屈の歳月は立派だ。だが逆境を体内に摂取して消化し、教訓という名の栄養を得る機能には欠けていたのではないか。

 一家言(いっかげん)あるから一目は置かれる。だが一家言あることと、一国統治の準備があることとの間には、月とスッポンほどの距離がある。それを知っているのか知らないのか、〈一家言内閣〉が誕生した。

 案の定、政権基盤は弱い。何か一家言を口にした途端、党内や政府内で牽制を受ける。そこで軌道修正する。すると発言がぶれている、という批判が起きる。一家言というほどの考えがそもそもあったかを疑う人々まで出て来る。〈一家言内閣〉の正体は〈いい加減内閣〉だったらしい。

 こう思わせるのが石破氏の恐ろしいところだ。その深謀遠慮は、政治のあり方から経済、安全保障にまで及ぶ。順に暴露していこう。

カテゴリ: 政治
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