「DeepSeekショック」という21世紀の「ミサイル・ギャップ」
Foresight World Watcher's 4 Tips

冷戦期の米ソにとって、国家の命運を左右する情報の筆頭格は互いの核戦力状況でした。1950年代後半の米政府はソ連が大量の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を配備していると誤認し、ミサイル技術の遅れが致命傷になりかねないと危機感を募らせました。いわゆる「ミサイル・ギャップ」論です。
数年後、実際にはソ連のICBM配備はごく僅かであることが判明します。しかし「ミサイル・ギャップ」は、それが誤認だと分かった上でも、ソ連の脅威の政治利用などの形で米国の国防政策に影響を与えたとされています。
中国の新興企業DeepSeekによる“低コスト・高性能”な人工知能(AI)モデルの登場は、高価・高性能なAI向け半導体の巨人、米NVIDIA(エヌビディア)の株価を急降下させるなど「DeepSeekショック」と呼ぶべきインパクトを持ちました。当初の動揺がひと段落した直近では、看板の低コストや性能を疑問視する声も増えていますが、意識しておきたいのは技術競争における米中間の優劣が急速に見えにくくなっていることです。
米国が最先端技術の対中流出を規制で防ぎ、一方で中国が自前の技術エコシステム構築を進めれば、双方の相手理解は加速度的に難しくなり「ミサイル・ギャップ」に似た疑心暗鬼を呼ぶでしょう。バイデン政権が任期終了直前に打ち出したAI半導体の輸出規制も、最大の眼目は半導体流通の正確な把握にあるとされます。つまり、最先端技術をめぐる中国の“戦力状況”は、それほどまでに見えていない。このたびのDeepSeekショックは、中国を「切り離す」ことで優位に立つという米国の技術競争戦略の危うい側面も示唆しているように思います。
フォーサイト編集部が熟読したい海外メディア記事4本、よろしければご一緒に。
DeepSeek poses a challenge to Beijing as much as to Silicon Valley【Economist/1月29日付】
「なんでも中華人民共和国の科学者たちは、人間を小型化する実験にとりかかっているらしい。そうすれば、たくさん物を食べなくてもすむし、大きな服を着なくてもすむからである。/[略]母はうつろな声で、中国人はその気になればなんでもやりとげてしまえるのね、といった」
「ついその一カ月ほど前にも、中国人は二百人の探険隊員を火星に送りこんだばかりだった──それも宇宙船のようなものはいっさい使わずに。/どうやってそんな芸当ができたのか、西欧世界の科学者はだれも見当がつかなかった。当の中国人たちも、詳しいことは発表しなかった」
「母は、アメリカ人がなにかを発見したのはもう遠い昔のような気がする、といった。『急にいつからか、なにもかも中国人が発見するようになったのね』/[略]「むかしは発見といえばアメリカ人に決まっていたのに」と、母はいった」
これは、海外メディアの記事からの引用ではない。米国の小説家、カート・ヴォネガットによる長編『スラップスティック』(浅倉久志訳/ハヤカワSF文庫)の一節だ。
発表は1976年であり、ここでの「中国」は当時、繊維や鉄鋼、電機や自動車で世界市場を席巻し、米国との間に貿易摩擦を抱えるようになっていた日本の隠喩でもあったかもしれない(米国もいろいろな意味で病み、弱気になっていた時期だった)。
だが、このくだりを2025年の今、読み返すと、「中国」はもはやストレートに中国そのものだ。たとえば1月の終わりに世界を襲ったDeepSeekショックは、それほど大きなものだった。
「実態のよくわからない中国企業、DeepSeekが最新の人工知能モデルを発表したことにより、中国企業のイノベーションを抑制することを目的とした米国の数年にわたる政策が無駄になった――そして、その過程で、米国のAIチップの雄であるエヌビディアから、データセンターで使用される電力機器メーカーであるシーメンス・エナジーまでが、企業価値に大きな打撃を受けた。米国の輸出規制を回避して革新能力を発揮したことで、DeepSeekは、AIモデルのトレーニング[学習]において、最先端の半導体や関連機器へのアクセスが、以前考えられていたほど重要ではないのかもしれないという疑問を提起している」
英「エコノミスト」誌の「DeepSeekはシリコンバレーのみならず北京にも挑戦状を突きつけている」(1月29日付)の書き出しは、ショックの大きさのみならず、その影響の広がりを見事に示している。

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