
政治とカネを巡る改革の焦点である企業・団体献金の禁止法案が迷走している。自民党安倍派の裏金問題が昨秋の衆院選での与党大敗を招き、世論に押される形で政策活動費全廃などを盛り込んだ政治改革関連3法が2024年末に成立したが、肝腎要の企業・団体献金禁止法案は採決が持ち越され、政治資金パーティー券購入の取り扱いについても各党の溝は埋まらない。
一方、経団連はじめカネの出し手の企業・団体側は相も変わらず「物言えば唇寒し」とばかり沈黙を続ける。時代の変化で大義・合理性を失って久しい企業・団体献金になぜ歯止めが掛けられないのか。
政界「改革派」と組んで廃止に動いた平岩外四
「企業献金については、公的助成や個人献金の定着を促進しつつ、一定期間の後、廃止を含めて見直すべきである。その間は、各企業・団体が、独自の判断で献金を行うこととし、経団連は来年以降、その斡旋は行わない」
1993年9月2日、経団連は正・副会長会議を開き、高度経済成長期から続けてきた企業献金斡旋の廃止を宣言した。時の経団連会長【東京電力会長】だった平岩外四(1914〜2007年、経団連第7代会長)に因んだ、いわゆる“平岩ドクトリン”である。
それまで約30年間、経団連は一定のルール下で加盟企業や業界団体に金額を割り振り、毎年合計100億円前後の政治献金を与党・自民党に行っていた。始まりのきっかけは1954年に東京地検特捜部が摘発した「造船疑獄」。吉田茂内閣が戦後復興の一環として打ち出した「計画造船」を巡り、政府の利子補給限度額引き上げを画策した海運・造船業界首脳らが多額の工作資金を政界に注ぎ込んだ大掛かりな贈収賄事件(被疑者約120人、逮捕者71人)だ。与党・自由党幹事長だった佐藤栄作(1901〜75年)の逮捕を阻止するため、法相の犬養健(1896〜1960年)が検事総長への指揮権を発動し、政界捜査に歯止めをかけたことでも知られる。
山下汽船(現商船三井)や三井船舶(同)、三菱造船、石川島重工業(現IHI)といった財界有力企業の社長が相次ぎ逮捕されるという非常事態に直面した当時の経団連副会長(後の3代会長)植村甲午郎(1894〜1978年)は「こんな破廉恥な事件を起こしていては、財界は国民の信頼を失い、経済再建も覚束ない」と危機感を強めた。
経団連発足時から事務局を仕切ってきた植村は、二人三脚で政界への窓口役を務めてきた総務部長(後の副会長)の花村仁八郎(1908〜97年)に「企業・団体からクリーンにカネを集める方法や金額・配分などを任せるので案を作って欲しい」と要請。それを受けて、資本金・売上高・経常利益・自己資本比率など約40項目のデータをもとに個別企業への割り当て金額を算出する手法が編み出され、後にその割当一覧表が“花村リスト”と呼ばれるようになった。花村はこのリストに準じて集める政治献金を「自由経済体制を堅持する保険料」と位置づけ、東西冷戦下における企業社会防衛を大義名分とした。
その花村が副会長から相談役に退いたのがバブル経済ピーク直前の1988年。直後からリクルート事件をはじめ、佐川急便事件、ゼネコン汚職事件と政財界の癒着を象徴するスキャンダルが続発する。とりわけ、1992年8月に当時の自民党副総裁、金丸信(1914〜96年)に対する東京佐川急便からの5億円のヤミ献金が発覚し、政治資金規正法違反に問われた金丸がわずか20万円の罰金刑で済まされたことに世論は激高した。略式起訴で済ませた東京地検への批判が集中し、同年9月には東京・霞が関の「検察庁」の石碑に「金丸事件の地検の対応に腹を立てた」という男が黄色いペンキを投げつけ逮捕される一幕もあった。
国民の失望が増幅されることに危機感を抱いた東京地検特捜部は、半年後の1993年3月に金丸を脱税容疑で逮捕した。ドンの失脚で自民党は内紛状態に陥り、小沢一郎(82)ら大量の造反・離党者を出しながら行われた同年7月18日の衆院選では大敗。宮澤喜一(1919〜2007年)内閣は総退陣し、8月9日に日本新党代表の細川護熙(87)を首班とする8党派連立内閣が発足した。
元首相、竹下登(1924〜2000年)を表看板とする自民党内最大派閥の経世会(竹下派)が金銭スキャンダルで瓦解し、衆院選で大敗した1993年当時の経緯は、清和会(安倍派)の裏金問題に対する世論の反発で自民・公明の連立与党が過半数割れに追い込まれた昨年来の政界情勢によく似ている。異なるのは、細川や小沢ら永田町の「改革派」と連携しながら、経団連内の抵抗勢力を抑え込み、政治献金斡旋廃止に漕ぎつけた当時の「財界総理」、平岩の存在だ。
会長棚上げ、経団連「民僚」の官邸工作
抵抗勢力の根強さを物語るこんなエピソードがある。

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