これは人間の進歩と呼ぶべきか、長期的な堕落の始まりなのか。
バルカン半島の小国アルバニアで、世界初の人工知能(AI)大臣が誕生した。ディエラ(アルバニア語で太陽の意)という名の汚職対策・公共入札担当大臣である。9月18日のアルバニア議会でスクリーンに映し出された女性民族衣装姿のディエラは「個人的な野心や利害はない。人間にとって代わるのでなく支援するためにいる」と演説した。
アルバニアは汚職が深刻なことで知られ、その政治腐敗が欧州連合(EU)加盟承認の障害となっている。ディエラを任命したエディ・ラマ首相の狙いは、「100%腐敗を撲滅して公共事業の決定をする」との姿勢でEUにアルバニアの成熟国家ぶりをアピールすることにある。
AIが揺さぶる民主主義の根幹
調査団体である「国際透明性機構」によると、アルバニアの政府清廉指数は100点満点で42、欧州では最低クラスだ。トップはデンマークの90、ちなみに日本は71、米国は65。これを何とか改善したいというラマ首相の意欲は理解できる。ラマは5年以内のEU加盟を目指しているのだ。
だが欧州のエリートらは「熟議の民主主義を捨てたAI権威主義」と早くも批判の声を上げている。欧州最貧国でイスラム教徒が多数を占めるアルバニアをEUが受け入れる道がこれで短くなるわけでもない。そもそも汚職の根源である縁故主義経済や国民文化にAIは手を付けられない。
ディエラは人間の閣僚が差配する時と違って、利得や情実に左右されず公正だという論理だが、AIといえどもハルシネーションやバイアスはあるし、使う人間が悪意を持てば信頼性は落ちる。野党はこうした点を指摘し猛反発している。
アルバニア憲法は「閣僚は人間である」と定めているから、ディエラは公僕としてアドバイスをするだけなので安心してほしい、とラマ首相は言う。デビューしたディエラの今後は順風とは言えない。アルバニア出身の政治学者レア・イピが著書『FREE』で書いたような、ホッジャ労働党独裁政権が倒れた冷戦後のアルバニアの悲しみは簡単に終わらな い。
ここでは、アルバニアの今後を探るのではなく、ディエラが意味するのが単なる科学の進歩というよりも、民主主義の根幹を揺さぶるものである点に注目したい。
ウォルター・リップマンが100年前に指摘した限界
民主主義の機能不全への失望が日増しに強まり支持を失うのと反比例するように、ディエラが宣言したとおり「野心も利害もない」AIが最適解を出してくれるのではないか、という幻想が植え付けられる土壌が広がる。
悪化する一方の経済格差、世代間格差、移民流入、少数派、隣国との安全保障危機など長年の問題を「熟議の民主主義」は確かに解決できていない。様々な世論調査で、民主主義による国家統治を望むとする回答は多くの国で減り、権威主義を好む声が顕著に増えている。
あからさまな権威主義ではなくとも、専門家集団に統治を託すべしとの声が、2017年と2023年を比べたピューリサーチ・センターの調査では先進国・途上国を問わずほとんどの国で増えている。ディエラは究極の専門家統治としてAI大臣がとうとう誕生したという意味をも持つ。
時間をかけた意思決定プロセスの末に何も決まらないとされる民主主義の欠点は、20世紀初頭から指摘されてきた。
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