そしてフランス大統領候補がいなくなった――ルコルニュ「836分内閣」後に広がる「政治砂漠」(上)

執筆者:国末憲人 2025年11月7日
エリア: ヨーロッパ
[公共テレビの生放送インタビューに出演したルコルニュと、背後のスクリーンに映し出されたマクロン=10月8日](C)AFP=時事
組閣発表から首相の辞表提出まで、わずか836分間で崩壊した第1次ルコルニュ内閣の姿がフランス政治の行き詰まりを示しているのは間違いない。だが、実はコンセンサス作りに徹したセバスティアン・ルコルニュの支持率は目立った伸びを見せており、マクロン大統領のそれも僅かながら上がっている。代わりに評価を下げたのが、マクロン批判を展開した保守と中道の有力者たちだ。国民を置き去りにした政争への嫌悪感が広がる中、2027年大統領選の行方もますます不透明になってきた。9月9日のバイル内閣総辞職から第2次ルコルニュ内閣発足に至る経緯の深層を捉える。

 政策や論理よりも野心や感情がしばしばものを言うフランス政治に、ハプニングはつきものである。その最大のものは、まだ左右が拮抗していた2002年、大統領選で最有力候補の社会党首相リオネル・ジョスパン(88)が第1回投票で敗れ、右翼「国民戦線(現「国民連合」)」創設者ジャン=マリー・ルペン(1928-2025)が決選に進出した「ルペン・ショック」だろう。ただ、2025年10月6日月曜日にあった新首相セバスティアン・ルコルニュ(39)の記者会見も、驚きの度合いではそれに匹敵する。何せ、前日の夜に組閣し、一夜明けて首相が抱負を語るかと思いきや、いきなり辞任を表明したのである。内閣の顔ぶれに納得しない閣僚が早くも辞任に動き、内閣自体が持ちこたえられないとの判断からだった。

 その内閣の寿命は、まる1日にも達しなかった。日曜日の午後7時45分から月曜午前9時41分まで、計836分間である1。フランス第5共和制ではもちろん最短だった。

 無政府の状態に陥ったフランスでは、ルコルニュに代わる新首相を巡って、様々な憶測が飛び交った。自分にお鉢が回ってくると意気込んだ人もいたようだが、4日後に指名されたのは、またもやルコルニュだった。2026年度予算を通す使命を帯びた彼は、実務者を中心とする第2次内閣を発足させ、国民議会(下院)で突きつけられた不信任案を辛くも乗り切ったものの、前途は多難である。大統領エマニュエル・マクロン(47)への左右双方からの攻撃も、ますます激しい、一方、政界では今回の危機を通じて、2027年次期大統領選の有力候補だった政治家らの評価が大きく変化し、マクロン後のフランスの行方はますます不透明になってきた。

 2002年のハプニングの際は、不人気だったジャック・シラク(1932-2019)が最終的に大統領に再選され、その翌年のイラク戦争では攻撃反対の国際キャンペーンを展開して大いに株を上げた。もしこれがジョスパンだったら、そのような外交手腕は全く期待できなかっただろう。その意味で結果オーライだったのだが、今回も落ち着くところに落ち着くか。しかし、これまでの混乱ぶりを見ると、とてもそうは期待できそうにない。

極右でも極左でもない「極中道」内閣の末路

 ハプニングといえば、ルコルニュ首相指名の原因となった前内閣の崩壊自体が、それなりの驚きだった。

 2024年12月に組閣指名を受けたフランソワ・バイル(74)は、シラクやジョスパンと大統領を争った世代に属する老練な政治家である。ただ、その任期中にフランス第5共和制首相として最高齢となる彼に、活力や斬新さは期待できなかった。マニュエル・ヴァルス(63)、エリザベート・ボルヌ(64)という2人の元首相も加わった内閣は、さながら政界OB会の様相を呈していた。マクロンはこの時、腹心のルコルニュを首相に据えようと考えたが、政権をともに運営してきたバイルの猛反発を食らい、しぶしぶ彼を首相に指名したといわれている。

 予想通り、バイル内閣は墜落すれすれの低空飛行を続け、大衆人気は全く盛り上がらなかった。発足直後に調査機関Ifopが発表した世論調査では、66%が首相について「不満」と答え、首相就任時としては1958年以来最低を記録した2。少数内閣であることに加え、右派と左派から正反対の要求を突きつけられて身動きが取れず、目立った実績を上げられないでいた2025年8月、バイルは突然、国民議会で自らの信任投票を実施すると表明した。

 その真の狙いは不明だが、自らの政治的勇気を示して国民の支持を集めようとしたのでは、と取り沙汰された。ただ、少数内閣がこのような挙に出た例はない。「自滅行為」というのがもっぱらの見立てだった。

 大雑把に言うと、フランス国民議会はマクロン与党の中道と、左派左翼、右翼の3勢力が拮抗する構図である。不信任案の場合は通常、左派左翼が提出すると中道と右翼が賛成せず、右翼が提出すると中道と左派左翼が賛成しない。従ってなかなか採択されないのだが、信任投票だと別である。左派左翼と右翼の両方が遠慮なく反対するだろうから、たぶん否決される。サルでも予想可能な論理である。

 にもかかわらずそのような行為に出たバイルを、モンペリエ大学教授アレクサンドル・ヴィアラ(58)は、その前年に負けるとわかりながら解散総選挙に打って出たマクロンになぞらえた。非合理的だと明白なのに、あえて踏み出し、罠にかかる――。ヴィアラはこの現象を、歴史家ピエール・セルナ(62)の言葉を引用して「極中道」と位置づけた3。極右でも極左でもなく、「中道でありつつ過激」だというのである。

 9月8日に実施された投票の結果、364対194の大差で信任案は否決された。翌日、バイルはマクロンに辞表を提出し、マクロンは後継首相にルコルニュを指名した。

最年少記録を更新し続けたルコルニュ

 マクロンをはじめとするフランスのトップ政治家の多くは、パリ政治学院を経てキャリア官僚養成校「国立行政学院」(ENA、現「国立公務学院」)を卒業している。しかし、ルコルニュはそのようなエリートへの道を歩まなかった。パリ郊外オーボンヌに生まれ、カトリック系の私立校を経て、パリ第2大学に学んだ。この大学は以前から右派右翼の傾向が強く、ジャン=マリー・ルペンや、その娘で右翼「国民連合」の最高実力者マリーヌ・ルペン(57)も、ここの卒業生である。

 すでに大学生になる前から、

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授、本誌特別編集委員 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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