日露「文化・学術交流」「民間外交」が諜報と影響工作の起点になるリスク:ロシア情報機関の視点から(上)
ロシアの大学には情報機関FSBの将校が出向し、教職員や学生、留学生を監視する。時にはエージェントとしてリクルートすることもある[モスクワ国立工科大学の学生との会合に出席したプーチン大統領(右)=2025年4月16日](C)EPA=時事
侵略戦争を支持する大学
2025年9月、日本のロシア地域研究を専攻する大学教授4名がサンクトペテルブルク国立経済大学を訪問し、「持続可能な発展に向かうロシアと日本」と題する会議に参加した。同大学の発表によれば、会議には在サンクトペテルブルク日本国総領事も出席し、文化・芸術、科学技術分野での交流を維持し、友好と相互理解を強化することの重要性を強調した。日本側はロシア企業への制裁の影響などを報告し、ロシア側からは日本研究に関する報告が行われた1。
同大学のドミトリー・ワシレンコ副学長(国際関係担当)は、会議が昨年に続く2回目の開催となり、すでに恒例行事となりつつあると述べた。ワシレンコは2024年7月のインタビューで、留学生受け入れを含む国際協力の主な目的は、「ロシアのソフトパワー強化」と「世界各地域でのロシアのプレゼンス拡大」にあると明言している2。2024年11月に開催された第1回会議では、同大学のイーゴリ・マクシムツェフ学長が「政治的困難を越えた協力事業や人間的友好関係の重要性」を強調し、日本の4大学と関係を維持していると述べた3。
2022年2月のロシアのウクライナ全面侵攻後、ロシアの大学の学長300名超は連名で「特別軍事作戦」への支持を表明した。マクシムツェフ学長もその一人である。声明は、ウクライナの「非軍事化」と「非ナチ化」を掲げ、ウラジーミル・プーチン大統領の下に結集するよう呼びかけた4。
2024年11月、「特別軍事作戦」に志願したサンクトペテルブルク国立経済大学の学生がウクライナ・ハルキウ州で戦死すると、マクシムツェフ学長はその「英雄的行為」を称える声明を発表した。
祖国への義務とは、人間にとって神聖なものです。祖国を守る方法はさまざまな形があります――工場で働くこと、科学的発見を成し遂げること、宇宙を開拓すること。しかし、最も崇高な祖国防衛は前線での戦いであり、それには勇気と自己犠牲が必要です(…)5。
学長はさらに、「ロシアの武力の威光と栄光はロシア国家の偉大さと不可分」であり、「故郷、家族、祖国への愛はすべての戦士にとって根本的価値だ」と述べ、戦死した学生が歩兵戦闘車「ブラッドレー」の部隊を撃破した功績によって勲章を受章したことを称えた。マクシムツェフは、リトアニア拠点の反体制派ロシア人の団体「自由ロシア・フォーラム」が作成した「戦争を扇動する1500人」リストにも名を連ねる6
学長の声明には、「ウクライナ」という国名は一度も出てこない。ウクライナの国家、言語や文化、歴史を抹消しようとするロシアの妄信的ナショナリズムは、ロシアの学術界の隅々まで浸透している。侵略戦争を支持するロシアの大学や学者と、果たしてどのような「友好と相互理解」が築けるのか甚だ疑問である。
こうした交流は、学術的な言説を通じて侵略や民間人殺戮といった違法・異常行為を徐々に「当たり前」のものとして扱い、常態化させ、結果的に容認する「正常化(normalization)」を助長しかねない。
しかし、より深刻な問題は、大学の軍事化よりもはるか前に始まった大学への情報機関の制度的浸透にある。本稿では、日本の大学が学術交流のカウンターパートとするロシアの大学の内部で何が起こっているのかを詳しく見ていく。
制度化されたFSB将校の出向
ロシアの大学や研究所には、ソ連時代の全体主義的伝統が色濃く残っている。連邦保安庁(FSB)の将校が「国家保安」を名目に出向しているのだ。彼らが所属する部署は、ソ連時代は「第一課」と呼ばれていたが、現在は「国際交流課」などの名に変わっている。一部の大学では、2011年頃に学生の徴兵事務を扱う「第二課」と統合され、「特殊レジーム局」と呼ばれている7。
FSB将校の出向の根拠はロシア法にも明記されているが(後述)、ロシアの教授や学生だけでなく、西側の研究者も、この事実に注意を払ってこなかった。
出向者は大学の副学長や国際部職員の肩書きを持ち、教職員や学生、留学生を監視したり、情報提供者として勧誘(ときにはエージェントとしてリクルート)したりする。
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